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第七百十一話 小隊結成(四)

 夢を見ていた。

 白い部屋の中にいる夢。

 四方を潔癖けっぺきなまでの白で塗り潰された部屋。滅菌めっきんされ、ありとあらゆるものから隔離された空間。

 隔絶された世界。

 自分以外の何者も存在せず、故に自己を認識することも出来ない領域。

 そこにある限り、自分は自分たりえず、故に存在そのものを証明することもできない、そんな場所。

 それは夢であり、しかし、確かな記憶でもあった。

 それがわかっているからこそ、彼はあえいだ。

 空気を求めるように。

 逃げ場を探すように。

 駆けるように。

 くように。

 けれども、そう簡単には抜け出せないこともわかっていた。

 そこは始まりの部屋。

 生きている限り、そこに囚われているのと同じだ。

 生きるとはつまり、そういうことだ。

 確信がある。

 それは諦観ていかんにも似ていた。

 けれども、いまは――。

「朝だよ、義一ぎいち

 そういって、彼の顔を覗き込むようにしてきたのは、自分と同じ顔をした少女だった。

 いつものように微笑みながら話しかけてきた少女の幻影は、彼の覚醒とともに意識の底に沈み込んでしまう。それが悲しいからだろう。

 目が覚めると、いつだって、瞼が濡れていた。

「……おはよう」

 義一は、誰とはなしにつぶやいて、窓から差し込む陽光を見遣みやった。そこが伊佐那家本邸にある自室だということに安堵する。生きていることの実感を得られるからだ。孤独ではないと思えるからだ。

 それがたとえ仮初の、欺瞞に満ちた思い込みなのだとしても、構わなかった。

 そのようにして彼は、九月三日の朝を迎えたのだ。

 今日は、第七軍団を始めとして、八月度の央都防衛を担当していた各軍団が衛星拠点に向かって移動するための最終日である。

 央都防衛任務と衛星任務は、基本的に月毎つきごとの交代制であるため、毎月初頭は、どの軍団も多忙を極めた。

 日程等の調整に様々な部署も忙殺ぼうさつされている。

 衛星拠点が誕生した当初は、そうではなかったという。

 一つの拠点に三ヶ月ほど滞在し、任務に専念するというのが、当初予定されていた衛星任務の概要なのだ。

 しかし、一月程度の空白地帯への滞在ですら、人は、精神を病んだ。

 空白地帯は、まさに魔界そのものだ。

 幻魔が跳梁跋扈ちょうりょうばっこする、幻魔だけの世界。

 端的に言えば、地獄だ。

 そこに人間にとって安息の場所はなく、一瞬たりとも気を抜くことが許されなかった。わずかな気の緩みが、致命的な失敗へと繋がり、壊滅的な被害を生む。

 そして、常に緊張しているということは、常に精神に負荷を掛け続けるということである。

 いくら衛星拠点が擬似霊石ぎじれいせきの結界によって護られた場所とはいえ、到底安全とは言いきれなかったし、安心しきれるはずもなかった。

 空白地帯の真っ只中に孤立しているも同然なのだ。そして、常に敵意に曝されているような感覚を抱くのは、衛星任務中によくあることだった。

 故に常時緊迫した空気が、衛星拠点には漂っている。

 そんな緊張感に満ちた日々が、導士たちの精神を不安定にさせ、任務に支障をきたす事例が頻発したこともあり、戦団は、衛星任務と央都任務を月毎の交代制にした。

 その結果が、この月頭の忙しさなのだが、それももはや慣れたものだ。

 少なくとも、多忙さに辟易へきえきするのは、新人導士くらいのものであり、半年、一年もすれば慣れてしまう。

 義一は、伊佐那家本邸で準備を整え、戦団本部へとやってきた。

 衛星拠点へと向かうことになる各軍団は、総勢約千名の軍団員を三日に分けて移動させることになっている。

 同時に、衛星拠点からも各軍団千名の導士たちが、三日に分けて央都四市の基地へと移動する手筈になっており、この時期、交通機関が戦団優先になるのも恒例となっていた。

 さて、戦団本部を訪れた義一は、第七軍団の兵舎へと足を運んだ。軍団長から直々の呼び出しがあったからだ。

 軍団長執務室には、既に出立の準備を終えた美由理みゆりの姿があり、そのりんとした佇まいを目の当たりにすれば、義一も居住まいを正すしかない。

 緊張感すら、覚える。

「義一、きみを呼び出したのは他でもない。総長そうちょう直々の指令を預かっているのだ」

「総長直々の……ですか」

 義一は、特に驚きはしなかった。

 美由理が義一を呼び出すなど、余程の理由がなければないことだ。

 義一は、まだまだ閃光級の導士に過ぎず、小隊長ですらない。そんな程度の導士が軍団長に直接命令されることなど、まずあることではないのだ。

「端的にいう。ある小隊に移籍してもらいたいのだ」

「またですか」

 義一は、よくあることだ、と想うだけだった。困惑はない。よくあることだ。

 閃光級導士である義一は、当然、他の輝光級輝士を隊長とする小隊に所属している。ただし、その小隊に常に所属していたわけではない。

 八月中はその小隊を離れ、合宿に専念していた上、入団以来、いくつかの小隊を渡り歩いているのだ。

 それもこれも導士として経験を積み、見聞けんぶんを広げ、深めるためだった。

 それこそが、義一に課せられた使命だからだ。

 将来伊佐那家を背負う立場にある以上は、戦団について、導士たちについて、より広く、より深く知る必要があった。

 いくつもの小隊を渡り歩き、様々な考え、価値観に触れ、戦い方を学び、その上で生き残る。

 それこそが彼に求められてきたことだ。

 そして、彼の小隊の移籍は、大抵の場合、上からの指示によるものだった。

 例えば、今回の総長からの指令のように。

「今回は、どの小隊でしょう?」

「新設の小隊だよ」

「なるほど。人手不足の隊に入れ、と」

「そうなる。もしかすると、出発までに埋まらないかもしれないが……その場合は、向こうで見繕みつくろうことになるだろう」

「そんな隊、あります?」

「ある」

 美由理が少しばかり困ったような顔をしたのを義一は見逃さなかった。彼女が、鉄面皮とすらいわれるほどの表情にわずかでも変化を生じさせるというのは、余程のことだろう。

 少なくとも、義一は、そう思っている。

 そして、そんなことをさせる相手というのも、知っている。

皆代幸多みなしろこうた輝士の小隊、ですか」

「……そうだ」

 美由理は、義一の推察に頷くと、手元の端末から出力した幻板げんばんを彼の元へと移動させた。その幻板こそが指示書であり、義一は携帯端末で受け取ると、内容を覗き見た。

 そこには、いつも通りの格式張った文章が並んでいる。

 端的に言えば、皆代幸多を小隊長とする小隊への移動を指示する、と書かれていた。

「これも、見聞を広げるため、ですか」

「それもある」

「も?」

「彼は、皆代幸多は、今現在、護法院ごほういんおよび戦団最高会議がもっとも重要視する存在だ。彼は特異点であり、特異な体質、特異な能力を持っている」

「ああ……」

 義一は、美由理の説明を受けて、静かに納得した。

 なぜ、自分が幸多の小隊に所属しなければならないのか、そのわずかな言葉だけで全てが理解できる。

「戦団としては、彼を厳重な監視下に置き、管理しておきたいというのが本音だが、とはいえ、それで状況が好転するとは考えにくい。サタンは、特異点に手を出すなと悪魔たちに指示していたそうだが、その理由は不明なままだ。いつ変節するかわかったものでもなければ、サタン自身が手を出してくる可能性も少なくはない」

「まるでいつ爆発するかわからない爆弾みたいですね」

「だからだ。彼を戦団本部に留め置くことは、むしろ危険なのではないか、と、護法院の長老たちは結論づけた」

「なるほど」

「それに彼の能力は、悪魔に通用した」

 幸多の能力とは、彼の肉体から生じた青白い燐光りんこうのことだ。

 その特異な能力は、彼をして幻想体への干渉を可能とし、幻想空間への転移をも行わさせるだけでなく、悪魔を名乗る鬼級幻魔に痛撃を叩き込んだという事実があった。

 その一撃がどれほどの威力を発揮したのかは不明ではあったが、幸多の打撃が、マモンを吹き飛ばした記録映像には、義一も度肝を抜かれたものである。

 鬼級幻魔を殴り飛ばしたというだけでも、とんでもないことだ。

 その上で、幸多は、生き残っている。

 幸多が輝光級導士に昇格するのも、当然の結果といえた。

「彼がもし、あの能力を完璧に使いこなすことができるようになれば、それは戦団のみならず、人類にとって大いなる希望となる」

 そう告げると、美由理は、忌々しげな顔をした。

「悪魔は、魔法では殺せない」

 それは天使型幻魔ドミニオンの言葉に基づく情報だが、しかし、美由理には実感があることでもあった。

 美由理は、以前、バアル・ゼブルをたおしたはずだった。虚空事変の最中に出現したバアル・ゼブルに対し、星将せいしょう三人がかりで戦い、全力の魔法を叩き込んだのだ。

 そのとき、麒麟寺蒼秀も神木神流も、そして美由理も、星象現界を発動し、星神力でもって魔法を発動したのだ。その威力たるや、想像を絶するものがあったはずだ。

 だが、バアル・ゼブルは生きていた。

 魔晶核ましょうかくを徹底的に破壊し尽くしたはずなのにも関わらず、だ。

 美由理には、手応えがあった。勘違いでも錯覚でもなく、確かに、討ち滅ぼしたはずなのだ。

 なのに、生きていた。

 今ならば、その理由がわかる。

 美由理たちが、悪魔を殺すことのできる力を持っていなかったからにほかならない。

「つまり、彼の小隊に所属し、彼の成長を手助けしろ、ってことですか」

「きみも、成長するんだ」

 美由理は、義一に釘を刺すと、微笑した。

 その微笑みがあまりにも優しいから、義一は、どういう表情をすれば良いのかわからなかった。しばらく見惚れていても問題ないのではないかと想ったが、そのような時間的猶予がなかったのだけは、残念だった。

 移動時間が迫っていた。 

 ともかくも、これが、義一が幸多の小隊に所属することになった経緯である。


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