第七百九話 小隊結成(二)
結局、掲示板で行った隊員募集への反応は、この三日間一度もなかった。
九月三日。
期日である。
第七軍団の導士たちは、今日中には葦原市を出発しなければならず、そのための準備が戦団本部で着々と進められている。
戦団本部内の駐車場を見れば、輸送車両イワキリが大量に停まっており、準備中の導士たちが集まっている様子が見て取れた。
第七軍団だけではない。
第六、第十一軍団の導士たちもまた、それぞれの任地に向かって出発するための様々な準備を行っている最中だった。
大量の輸送車両が、広大な駐車場内を埋め尽くしているのだが、それで全部ではない。既に出発し、現地に到着している車両も数多く存在しているはずだ。
なぜこのように日を分けて出発するのかといえば、衛星拠点が完全に空になるのだけは避けなければならないし、央都の防衛が手薄になってもいけないからだ。
各軍団が一斉に移動するということは、つまり、防衛力が激減するということでもある。
そのため、日数をかけて順次交代していくのである。
幸多に三日間の時間が与えられたのも、それが理由だ。
初日である九月一日に出発した導士たちも少なくなく、三日目ともなれば、大多数が交代を完了しているという有り様だ。
この九月、葦原市の防衛を担当するのは、第一、第三、第五軍団であり、戦団本部に到着した各軍団の導士たちは、それぞれの兵舎に入り始めている。既に通常任務に出撃している導士たちもいることだろう。
幸多が焦りを覚えるのは当然だった。
菖蒲坂隆司、金田姉妹は、それぞれの任地に向かって今朝出発したところであり、幸多はそれを見送ったばかりだった。
そして、そろそろ幸多も出発しなければならないという状況にあって、だからこそ、駐車場で途方に暮れていたというわけだ。
空は、晴れていた。
八月が終わり、九月を迎えても、気温は相変わらず高いままだ。むしろ、真夏はこれからなのではないかと思えるほどなのだが、しかし、戦団本部の敷地内にいるかぎりは、その暑さに辟易することはない。
温度調節機器が生み出す冷風は、夏の暑さなど忘れてしまうほどに心地よかった。
そして、頭上には、あざやかなまでの青空が広がっている。雲は少なく、風も強くはない。太陽は直に頂点に至ろうという頃合いであり、もはや幸多も輸送車両に乗り込まなければならないという時間帯であった。
何度携帯端末を見ても、隊員募集への反応を示すような通知はなかった。あるのは、学友からの声援めいたやり取りばかりだ。
やはり、どれだけ窮極幻想計画の有用性を見せつけても、魔法不能者が隊長を務めることに対して必要以上に不安を持つものなのだろう。
幸多の活躍も、F型兵装の性能も、完全無能者という事実の前には霞んでしまうのだ。
(仕方がない……か)
幸多が嘆息とともに携帯端末を懐に仕舞おうとした、ちょうどそのときだった。
「お、いたいた!」
「義一くんのいうとおりだったね」
不意に幸多の耳に飛び込んできたのは、聞き慣れた声だった。幸多は、きょとんとしながらそちらに向き直る。
九十九兄弟である。
戦団の制服を着込んだ二人は、それぞれ大荷物を抱えてながら、駐車場に向かってくるところだった。
「なんでここに?」
幸多は、陽光を跳ね返す真白の白髪の眩しさに目を細めながら、疑問を浮かべた。
二人は、第八軍団所属の導士だ。
八月中、第八軍団が担当していたのは出雲市である。そして、九月になって衛星拠点に出発するとなった以上、出雲基地に集合していなければならないはずだった。
合宿は、終わった。
合宿参加者七人のうち、幸多と義一の二人だけが第七軍団の所属であり、残りの五人は元々所属していた軍団に戻り、それぞれ異なる任務先に向かうことになっていた。
それぞれの活躍と健闘を祈り合ったのは、大式典の後、合宿の打ち上げを行ったときのことであり、幸多はそのときのことを鮮明に覚えていた。終生、忘れないのではないか。
それくらい濃厚な一ヶ月を七人で過ごしたのだ。
また、逢うこともあるだろう――などと、格好を付けたのは隆司だが、そんな彼の振る舞いを爆笑したのは金田姉妹だった。
『そんなに気負う必要なんてある?』
『逢えなくたって、繋がってるよ』
朝子も友美も、そんな風にいってのけて、携帯端末を示してきたものである。
『なにかあれば、いつでも連絡してくれていいからね』
『特に義一様、待ってますから』
熱っぽい金田姉妹の視線を受けて、義一が困り果てるのは、いつものことではあった。
それから、三日が経過した。
幸多は、九十九兄弟はとっくに出雲市に到着していて、そこから衛星拠点へと出発したのだとばかり思っていた。
「なんでって、そりゃあ、なあ?」
「うん」
九十九兄弟は、幸多の反応にこそ困ったような顔をして、制服の胸元を示した。
黒を基調とする戦団の制服には、戦闘部の場合、所属している軍団の団章が入るのが基本だ。そして、二人の胸元には黒地に銀の月の団章が輝きを放っている。
それは、紛れもなく第七軍団の団章であり、幸多は、ただただ驚くばかりだった。あまりの出来事に思考がついていかない。
「どういう……?」
「見てわかるだろ。第七軍団に移籍したんだよ」
「ぼくたち、第八軍団だと居場所がないから……」
「で、軍団長に相談してみたわけさ。そしたら、合宿仲間のいる第七軍団にでも行ってみればいいんじゃないかっていわれて、なるほどってなったんだよな」
「うん。それに、軍団長がさ、幸多くんが隊員を募集してるってことも教えてくれたんだ。それで……ね」
真白と黒乃が少しばかり照れくさそうにしたのは、幸多に面と向かっていうのが気恥ずかしかったからにほかならない。
散々小隊を追い出されてきた二人が、結局は合宿仲間に縋り付くことになったようなものなのだ。たとえ幸多が気にしないとしても、考えてしまう。
すると、幸多は、またしても驚いた。
「え? まさか、ぼくの小隊に入ってくれるの?」
「おう!」
「うん。ぼくたちなんかで良ければ、だけど……」
「なんかなんてそんな、良いに決まってるじゃないか!」
幸多は、二人に駆け寄ると、その自分よりは小さな体を抱きしめた。真白も黒乃も照れくさくて仕方がなかったが、幸多があまりにも嬉しそうにするものだから、それでいいと思えた。
真白にせよ、黒乃にせよ、自分のことをここまで全力で受け入れてくれる導士は、幸多が初めてだった。
これまで第八軍団で様々な小隊に入った。そして、全ての小隊で上手く行かなかったのは、結局、真白と黒乃の性格の問題なのだろう、と、二人は考えていたし、そのことで他の導士たちが悪いという風には思わないようになっていったのは、合宿のおかげだろう。
最初こそ、真白は悪口雑言ばかりで言いたい放題だったが、それも、次第になくなっていった。
自分たちが悪いのだと気づいたからだ。
だからといって、それが自分たちの性格である以上、変えることは難しい。
『無理に変える必要はないんじゃないか』
悩んでいる二人にそんな助言をくれたのは、天空地明日良だった。
『おまえたちには才能があり、実力がある。この魔法社会でもっとも重要なものを持っている。胸を張れ。前を向け。そうすれば、自ずと道は開かれる。きっとな』
その道が、今まさに目の前に広がったような気がしたのは、きっと気のせいではあるまい。
真白が顔を赤らめる様を横目に見ながら、黒乃は、自分のことのように嬉しくなった。
九十九兄弟が小隊から蹴り出される最大の理由は、真白がすぐ噛みつくからだ。いつだって喧嘩腰だったし、いつだって牙を剥いた。
そして、その原因は、黒乃だった。
黒乃があまりにも不安定だったがために小隊に迷惑ばかりをかけてしまった。そのことを小隊の隊員や隊長たちにいわれると、真白が過剰なまでに反応したのだ。
そうしたことが積み重なって、九十九兄弟は小隊に入れないほうがいい、という評判に繋がっていった。
だから、真白が素直に自分を曝け出すことのできる相手がいるということが、黒乃には幸福なのだ。
そして、そんな相手を隊長として仰ぎ見ることができることもまた、黒乃にとっても喜ばしいことだった。
「二人が入ってくれるってことは、後一人いれば小隊が編成できるんだよね」
幸多は、ひとしきり二人を抱きしめると、感動に震えながら携帯端末を起動した。すると、入隊希望通知が届いており、それが九十九兄弟のものだということがわかった。
「まじで一人も応募してこなかったのかよ」
「なんでだろ?」
真白は本当のことだったという事実に呆れ、黒乃はただ不思議がった。
二人には、幸多が優良物件としか思えなかったからだ。
幸多がどれほどの鍛錬を積み、研鑽を重ねているのか、黒乃たちは間近で見て知っている。
それこそ、血反吐を吐いてもおかしくないくらいの猛特訓を日夜繰り返していた。
魔法士と対等以上になるためには、魔法士と同等の訓練をしていては駄目だ――そんな当たり前の結論を実践しているのが、幸多だった。
並大抵の努力では、魔法不能者が魔法士を追い抜くことなど不可能だ。
だからこそ、彼は努力を惜しまない。
そんな彼とともにいるということは、自分もまた、努力を怠らない人間でいられるということでもあった。
少なくとも、黒乃が合宿を乗り越えることができたのは、幸多がいたからだ。
それだけは揺るぎようのない事実である。