第七十話 草薙真
最悪の事態が訪れたのは、戦況が動き始めたと思ってすぐのことだった。
天燎高校の陣地と化した獅王宮の最奥部に身を隠しながら、圭悟たちは、嵐が去ってくれるのを待っているような心境でありながら、そんなことはありえないという確信も持っていた。
嵐は、意思を持って近づいてきている。
凄まじい破壊音が、足音のように接近してきているのだ。
「なんだよ、あれ! あんなの卑怯だろーが!」
「まったくだぜ、どういうこった」
「どうなってんだよ」
圭悟が吼えれば、怜治と亨梧も強く同意する。
幸多も、気分としてはまったく同じだった。
幸多たちが獅王宮の最奥部に隠れたのは、外で起きた事態を目の当たりにしてからのことだった。
それまでは、法子と雷智の活躍を見守るため、獅王級の屋根上にいた。圭悟、怜治、亨梧が三人がかりで防御魔法を張り巡らせていたこともあり、無防備ではなかった。
しかし、それでは駄目だと判断したのは、圭悟だった。
地上に降り注ぐ光の雨を見た。
それはさながら破壊を司る神の所業だった。光の雨は、ただ地に降るだけではなく、虚空を縦横無尽に駆け抜け、触れるもの全てを粉砕し、蹂躙し、壊滅させていった。
無数の閃光が、天に昇る様を見た。
重力を無視して飛び交う光の雨が、多数の生徒を現実に回帰させたことの証だった。
だからこそ、圭悟は、皆を連れて獅王宮の最奥部に隠れたのだが、勝算があったわけではなかった。
「あれが叢雲の作戦だったんだ」
幸多は、努めて冷静に思考を巡らせていた。叢雲の時間稼ぎの目的が、草薙真の大魔法を完成させることだということは、最初からわかっていたことだ。
しかし、その大魔法が、ただ大魔法と呼んでいい次元のものではなかったのは、誤算以外のなにものでもなかった。
学生の分際が使える大魔法といえば、草薙真が試合開始直後に使ったような魔法が該当するだろう。
戦闘を生業にしている魔法士ではないのだ。
どれだけ鍛錬と研鑽を積もうとも、限度というものがある。
だが、草薙真は、そうした常識を覆すようなことをして見せた。
少なくとも、学生が使う魔法の水準を大幅に陵駕したものであることは疑いようのない事実であり、だからこそ、法子たちも一瞬で撃破されてしまったのだ。
誰一人、対応できなかった。
そして、それは幸多たちも同じことだ。
大地を蹂躙する破壊音は、すぐそこまで来ている。
「ったく。ふざけた野郎だな。さんざ時間を稼いだ挙げ句、一瞬で蹴りをつけようっていうんだぜ。馬鹿にするのもいい加減にしろってんだ」
圭悟が悪態を吐けば、怜治が彼を見る。状況は最悪だ。時間もない。愚痴をこぼしている場合ではない。
「いうだけなら誰でも出来るが?」
「そうだな。だからおれは良いことを思いついた」
「へえ」
「その顔、信じてないな?」
「いいからいえよ。時間がない」
「おう、いってやる。いいか、このまま制限時間一杯まで逃げ回るんだ。そうすりゃ、おれらが勝つ見込みがある」
「見込みがある……って」
茫然と、亨梧。圭悟の作戦には大きな穴があった。四人が生き延び、生存点を稼いだところで、掛け合わせるべき撃破点がなければ、なんの意味もない。
四点に零点を掛けたところで、零点になるだけだ。
圭悟が、声を励まして、いった。
「黒木先輩と我孫子先輩を信じろ。あの二人なら、きっと、大量に撃破点を稼いでくれてる!」
「そりゃあ信じないわけねえけどよお」
「勝算があるとすれば、そこしかない……か」
幸多が、ある種の覚悟とともにつぶやいた瞬間だった。
爆音とともに獅王宮最奥部の天井が崩壊し、飛散する瓦礫の中に眩い光源が降り立ってきたのだ。
「勝算? そんなものはないよ」
光り輝く魔法の剣を手にした草薙真が、幸多たちの眼前に現れたのだ。その姿は、ある種の神々しささえ感じられるほどだった。自信に満ち溢れ、勝利を確信し、しかし、優勝などどうでもいいとさえ言いたげな空気を纏っている。
ただ、勝つことだけに執着しているような、そんな気配。
「うっそだろ」
「早すぎる!」
「げえ」
幸多は、圭悟たちの反応を聞き流して、飛びかかっていた。
草薙真の群青色の目が、幸多を見据えていた。
距離は近い。
幸多が彼との距離を詰めるのに刹那もいらなかった。
「無駄なことを」
「どうだか!」
幸多は、圭悟の案に全てを掛けた。もはや、幸多は犠牲になる以外に方法がない。誰かが草薙真をこの場から引き離さないと、一網打尽だ。
だから、幸多は、草薙真に体当たりするような勢いで飛びかかると、その体を抱え込んだ。地面を蹴って、天井に穿たれた大穴へと飛び上がる。
草薙真は、抗わなかった。
幸多にされるがまま、空中へ、獅王宮の外へと運ばれていく。
幸多は、草薙真を抱えたまま、獅王宮からより遠く離れた場所まで一足飛びに飛んだ。
もはや周囲は壊滅状態であり、草木一本残っていなかった。なにもかもが七支刀の放つ光によって灼き尽くされ、破壊され尽くしたのだろう。
草薙真が身を捩ったが、幸多は彼を決して離さなかった。
獅王宮からさらに離れ、戦場の中心、つい先程まで叢雲陣地とされていた地点まで飛んでいく。地を蹴り、飛ぶようにして、移動する。
草薙真は、幸多の腕の中から逃れるのを諦めたようだった。
そして、中心に辿り着いたところで、幸多は草薙真を解放した。地面に向かって投げ飛ばすようにして、だ。
すると、草薙真は、背中から地面に叩きつけられた。
幸多を仰ぎ見て、目を細める。
幸多は、重力に逆らえずに着地すると、半身になって構えた。左肩を前に出し、右肩を引っ込めるような構え。そうすることにより、正面から狙われる面積を減らすのだ。軽く腰を屈め、さらにいつでも動けるよう、死に体にならないようにわずかに揺れ続ける。
草薙真もとっくに跳ね起きている。上空から投げ落とした程度の衝撃では、幻想体を破壊することは出来ないし、受け身を取られた以上、気を失わせるにも至らない。
わかりきったことだ。
だから、幸多は瞬時に飛びかかろうとした。だが。
「これできみ一人だ」
草薙真の言葉が、幸多の思考を阻害した。
なにをいっているのか、一瞬、まったく理解できなかった。つぎにわかったのは、草薙真の様子だった。
(なんだ?)
違和感があった。
直前まで見ていた彼の姿とは、なにかが違う。なにもかもが違う。草薙真は、ついさっきまで、光の中にいた。眩いばかりの燃えるような光の中で、悠然と佇んでいた。
それなのに、いまは、ただ、悠々とした態度で幸多を見ている。
(剣がない!?)
幸多が愕然とその事実を理解したときだった。
天地を揺らすほどの轟音が聞こえた。
この戦場そのものを激しく揺らすほどの連続的な爆音、その発生源は、獅王宮のほうだった。
「ああっ……!」
幸多は、悲鳴を上げることしかできなかった。
遥か遠方に聳え立っていた獅王宮は、いまや跡形もなく消えてなくなっていて、濛々《もうもう》たる爆煙が立ちこめているだけだった。
幻想体の破壊に伴って天に昇るはずの閃光すら、見送ることができなかった。
判断を間違えたのだ、と、思った。
あのとき、連れ去るのは、草薙真ではなく、圭悟たち三人のほうだった――が、魔法士でもない幸多には、そのような芸当ができるわけもない。幸多の体格では、頑張って二人までしか運べなかっただろう。一人は、置いていくことになる。
「この七支宝刀は、擬似召喚魔法だ」
「擬似召喚魔法……」
幸多は、彼の言葉を反芻するとともに、その右手に魔法の剣が握られていることを認めた。丹精込めて作り上げた魔法の剣だ。術者の元に移動するくらい自由自在なのだろう。
「魔法不能者のきみでも、聞いたことくらいはあるだろう」
草薙真が、枝分かれした七つの刀身を持つ光の剣、その切っ先を幸多に向けた。
幸多は、その燃え盛る剣を見て、草薙真に視線を移した。
幸多は、擬似召喚魔法に関して、人並み以上の知識はあった。魔法不能者であるからといって魔法を学ばないのは、愚かとしか言い様がない。魔法社会なのだ。だれもが当然のように魔法を使い、魔法に使われる。そんな世界である以上、一定以上の知識を持っていなければ、魔法士たちに言い様に操られるのがわかりきっている。
だからこそ、幸多は、並の魔法士以上には知識を持っていた。
擬似召喚魔法。
魔法時代黄金期、偶発的に発明された魔法の類型の一つだ。
この世界には、古くから、召喚魔法という概念が存在する。
古の昔、魔術や魔法の存在が信じられていた時代、悪魔や怪物といった高次の、あるいは異次元の存在を現世に呼び出し、力や助言を借りる方法のことだ。
魔法の発明によって、様々な研究が行われた。当然、召喚魔法に関する研究も盛んに行われた。
しかし、結局、召喚魔法は、成らなかった。異次元の存在、高次の存在と交感することすら叶わなかったのだ。
だが、そんなあるとき、一人の魔法士が召喚魔法とは全く異なる魔法の研究の際、誤って魔法を暴走させ、意思を持つ魔力体を誕生させた。その意思を持つ魔力体は、長期に渡る研究の末、組み込んだ目的通りに自動的に行動する魔力体へと進化したのだ。
発明者たる魔法士ヴェリオン・オークルーンは、これを擬似召喚魔法と命名した。
さながら空想上の召喚魔法のようだから、という理由で、だ。
そしてそれは極めて高度な魔法であり、だれもがおいそれと真似の出来るものではなかった。
草薙真のようなただの学生が使うような魔法では、断じてない。




