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第七百七話 魔界に吹く南風(三)

「放って置いて、良かったのかな」

 マモンが少しばかり気にするような素振りを見せたのは、本心からではあるのだろう。

 気にはなるが、とはいえ、全力で引き留めておかなければならなかった、などとは思っていないのだ。言葉に悔いがない。

「また、サタン様のお怒りに触れなければ良いけど」

 彼は、手にした分厚い書物に目線を落としている。

 闇の世界。

 あるいは、ハデス。

 そう名付けられた〈クリファ〉の一角には、暗澹あんたんたる闇が当たり前のように君臨していて、その重圧は、アスモデウスにすらもはっきりと感じ取られるくらいだった。

 そしてここは、そんな闇の世界にあって、アスモデウスの領分とされる空間である。

「サタン様が禁じられたのは、特異点への干渉と、人類への過剰なまでの攻撃。それ以外のことだったらなにをしても構わないのよ」

「そっか。じゃあ、心配する必要なんかなかったんだ」

 マモンがわずかばかりに安堵あんどしたのも、嘘ではあるまい。

 彼は、バアル・ゼブルが多少でも心配だったのだ。

 バアル・ゼブルが闇の世界を出ていったのは、少し前のことだ。

 あの混沌の原野たる魔界へと降り立った彼がどこへ向かったのか、なにをしにいったのかは想像もつかない。

 なにも言い残さなかったのだから、察しようがない。

 ただ、監視を付けるまでもないだろうということは、アスモデウスにだって理解できていた。

 処断され、再構成された彼が、またしても命令違反を犯すとは考えられない。

 不完全な半端者はんぱものは、次第に完成形へと近づきつつあるのだ。

 彼の体内から不純物が取り除かれ、皮肉にも、純真無垢な悪魔へと変貌へんぼうしつつある。

 だからこそ、彼は、飛び立ったのかもしれない。

 アスモデウスは、自分の体に寄りかかるようにして座っているマモンの翡翠ひすい色の髪をでながら、考える。

 半端者の悪魔たち。

 サタンが人間の死から生み出すことに成功した純然たる悪魔とは異なり、鬼級幻魔おにきゅうげんまを強引に作り替えることで誕生した彼らには、様々な面で欠けていた。

 悪魔ならざる悪魔だった。

 だからこそ、半端者と呼ばれているのであり、完全無欠の悪魔へと成長していくことが望まれていた。

 でなければ、〈七悪しちあく〉が勢揃いしたところで、意味がない。

 サタンは、そう考えている。

「彼は、かわいているのよ」

 アスモデウスは、闇の狭間に浮かべた混沌の大地を眺めながら、告げる。

「渇き、えている」

 魔界と呼ばれるようになった天地の狭間を駆け抜けるバアル・ゼブルの姿が、アスモデウスの目にははっきりと映っていた。

 北へ。

 ただひたすらに、北へと走り続けた彼が辿り着いたのは、騎士王きしおうを名乗る鬼級幻魔アーサーの〈殻〉アヴァロンだった。

 アヴァロンは、さながら難攻不落の要塞の如き威容を見せつける巨大極まりない〈殻〉である。

 その広大さたるや、人類生存圏を丸呑みしてもありあまるほどであり、この地域における最大勢力というのは全くの間違いではなかった。

 かつて、幻魔大帝げんまたいていの右腕としてその力を振るい、幻魔戦国時代を切り開いていったのが、アーサーである。

 エベルの死後、再び訪れた幻魔戦国時代においては、独自の勢力を持つに至っている。

 そこへ、バアル・ゼブルが単身乗り込んでいく。

 アスモデウスの目から見ても、無謀むぼうとしか思えない。

 確かにバアル・ゼブルは、鬼級幻魔だ。中でも悪魔と呼ばれる特別な存在――になろうとしている存在なのだ。

 その力は強大無比なのだが、しかし、騎士王アーサーと比べられるものか、どうか。

 鬼級幻魔の中でも特に強大な力を誇るのが、幻魔大帝の側近たちであり、騎士王アーサーである。

「その渇きを、飢えを満たすには、戦うしかない。戦って、戦って、戦って、その上でむさぼらうしかないのよ」

「だから、バアルは、戦うんだね」

 一つ、大いなる疑問へのかいが得られた気分になって、マモンは、満足感を得た。

 そんな我が子の反応を見れば、アスモデウスは、それだけで嬉しくなるというものだったし、バアル・ゼブルのことなどどうでもよくなってしまった。

 バアル・ゼブルは、いまやアヴァロンの兵隊と激しい戦いを繰り広げている。

 山岳地帯のただ中に築き上げられた城塞都市アヴァロン。

 その巨大な城壁の内側が、地獄のような戦場と化したのだ。


 それはさながら地獄のような光景だ。

 バアル・ゼブルは、にやりとしながら、数多の幻魔が死に行く様を見届ける。

 アヴァロンの兵隊は、騎士のような格好をした獣級幻魔ばかりだった。

 どのような姿形をしていようと幻魔は幻魔であり、等級以上の力を発揮できるわけもなく、そんな連中が何百体と立ち向かってこようと、彼の相手にはならなかった。

 バアル・ゼブルが虚空を撫でるだけで、兵士たちは絶命した。次々と断末魔の悲鳴を上げて、どす黒い魔力を吐き出しながら倒れ伏していく。

 彼の前に敵はなく、故に前進を続ける。

 城門を突破し、城壁の内側へ。

 難攻不落の城塞都市アヴァロンの内部へと、侵攻していく。

 すると、そこかしこからアヴァロンの兵士たちが姿を見せた。いずれもが甲冑に身を包んだ兵士ばかりであり、それらは、まるで人間の軍隊のように隊伍たいごを組み、陣列を整えていく。

 気味が悪いとはまさにこのことだ。

「なんだあ? 幻魔としての誇りもなにもないのか?」

 バアル・ゼブルは、嘲笑あざわらい、四枚のはね羽撃はばたかせる。翅が虚空を打つたびに波動が生じ、波動は空間そのものを激しく震わせ、触れたものを爆砕ばくさいしていく。

 バアル・ゼブルの前方に立ちはだかった兵士の隊列が、一瞬にして壊滅した。

 甲冑が吹き飛ぶと、中から噴き出してきたのはどろどろの肉塊にくかいである。

 それらが原型さえも失った魔晶体の成れの果てだということは、バアル・ゼブルにもわかった。

 マモンの研究室で似たようなものを見たからだ。

 マモンは、機甲型《きこうがt》を生み出すために大量の幻魔を実験材料として消費したのであり、それによって原型を失った幻魔の数たるや、数え切れないものだ。

 その結果、機甲型なる新戦力が得られたのだから、サタンからしてもなにもいうことはなかったようだが。

「あいつと同じようなことを考える奴がいたっておかしくはない、か」

 バアル・ゼブルは、どろどろの魔晶体から立ち上る魔素を喰らい尽くすと、さらに歩を進めた。

 趣味が悪いが、しかし、戦力を整えようという意図ならば理解できないわけではない。

 自分にとって都合のいい戦力を求めるのであれば、既存の幻魔を改造するというのは、案外、理に適っているのかもしれないからだ。

 機甲型の存在が、バアル・ゼブルに考えを改めさせた。

 もっとも、彼自身は、自分以外の戦力など一切必要としていないのだが。

 不意に、凄まじい殺気が彼の意識を貫いたかと思うと、左前腕が吹き飛んでいた。見れば、異形の槍が彼の左手を地面に縫い止めるかのように突き立っている。

「ここをアヴァロンと知っての狼藉ろうぜきか」

 凜然りんぜんとした声が聞こえたのは、頭上からだった。

 バアル・ゼブルが仰ぎ見ると、白亜の城壁の最上部にそれはいた。

 まさに騎士然とした人型の幻魔。まず間違いなく鬼級幻魔だろう。

 魔素質量が、圧倒的だった。

「狼藉? なんのことだ?」

 バアル・ゼブルは、にやりとした。左腕を復元すると、地面に突き立ったままの槍を掴み取り、投げ放つ。

 無論、騎士のような鬼級幻魔に、だ。

 騎士の長い頭髪が吹き荒れる瘴気の中で揺らめいていた。そして、その騎士は、赤黒い双眸そうぼうきらめかせると、バアル・ゼブルが投げ放った槍を軽々と受け止めてみせる。甲冑が陽光を受けて白く輝く。

「ここは魔界だぜ。魔界の起きては、ただ一つだろうが」

 バアル・ゼブルは、笑った。

 力こそ、全て。

 それが、ただそれだけが、この魔界の唯一の掟なのだから。


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