第七百二話 祭は終わり、そして(一)
暗転して、どれくらいの時間が経ったのか。
なにもかも全てが破壊され尽くして、肉体はばらばらになり、意識は寸断された。
長い長い断絶があった。
けれども意識はあり、だから自分は生きているのだという確信もあった。
全身を撃ち抜いた痛みが消えてなくなれば、感覚も復活していく。触覚、嗅覚、聴覚、視覚――あらゆる感覚が蘇ると、視界を閉ざしていた闇も消えて失せ、目の前に見慣れた景色が現れる。
「いやあ、参った参った。さっすが星将だなあ」
「善戦したと思うけど……」
「そうだね。善戦はしたかな」
真白と黒乃、そして義一が、それぞれに感想を述べる声が聞こえてきて、幸多は、彼らも無事に現実に帰還したのだと理解した。
自分もまた、伊佐那家本邸の道場に舞い戻ったことを認識して、上体を起こす。
「ぼくはほとんど役に立たなかったけどね」
幸多は、真白たち三人を見回して、つぶやいた。
絢爛武闘祭でのことだ。
あの死闘としか言いようのない激戦の中、幸多にできたことなどなにもなかった。
「仕方がないよ。相手は十二人の軍団長だよ?」
「しかも全く容赦なかったからな」
「全員が星象現界を使うだなんて、ねえ」
真白たちは、幸多の発言に苦笑を漏らすほかなかった。
彼のいいたいことは、わからないではない。
絢爛武闘祭の場で多少なりとも活躍したい、奮戦したいというのは、誰もが思うことだ。
相手は戦団最高峰の魔法士たる星将たちだ。
あの場でなにかしら爪痕を残せるほどの活躍を示すことができれば、軍団長や上層部からの印象も良くなるだろうし、待遇も良くなるかもしれない。上層部の覚えも良ければ、昇格が早まるのは、誰もが認めることである。
だからこそ、というだけではない。
それ以上に、幸多が、導士として一矢報いることすらできずに撃破されたことに悔しさを覚えているということは、この場にいる全員が理解していることだった。
幸多ほど、わかりやすい人間はいない。
しかし、幸多は、三人の想像とは全く異なることを口にした。
「そうなったのは、まあ、統魔のせいかな」
幸多の脳裏に思い浮かべたのは、星象現界・万神殿を輝かせた統魔の姿であり、それが引き金となって戦場が混沌と化していく有り様だった。
「けどよお、あいつが星象現界を使わなかったら、無抵抗のままやられてたかもしれないんだぜ?」
「真白くんのいうとおりだよ。ぼくたちの実力じゃ、十二軍団長とまともに張り合うなんて到底不可能だった」
「けど……ちょっとは戦えたんだよね」
「おう。全部おまえのせいで台無しになったんだけど、な!」
「う、うう……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
真白に小突かれて、平謝りに謝る黒乃を見て、幸多はきょとんとした。そして、義一が苦笑する。
「どういうこと?」
「ああん? 気づいてなかったのか?」
黒乃の寝台に飛び移った真白が、弟を羽交い締めにしながら、幸多に半眼を向けた。
「こいつの大破壊がおれたちを巻き込んで、全部終わらせたんだよ!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!」
「ああ……そうだったんだ」
幸多は、事情を理解すると、真白に羽交い締めにされながらも誤り続ける黒乃に同情こそすれ、彼のせいだとか責任を追求しようだとか、そんなことは一切思わなかった。
既に起きてしまったことをどうこういうつもりもなければ、あの状況下でとんでもなく緊張し、混乱さえしていたのだろう黒乃の精神状態は、想像に難くない。
「てっきり、軍団長の魔法かなんかで倒されたのかと思ってた」
「ぼくも、そう思ってたんだけどね。真白くんにははっきりとわかったそうだよ。力を制御できなかったんだって」
「そっか」
真白と黒乃の兄弟喧嘩ともいえないじゃれ合いを眺めながら、幸多は、なんだか納得するような気分もあった。
真白にせよ、黒乃にせよ、義一にせよ、あの場で予期せぬ力を与えられたのだ。
統魔の星象現界・万神殿の星装である。
幸多には理解の及ばないことではあるのだが、統魔から星装を貸し与えられるということは、どうやら膨大な力を得るということでもあるらしい。その力の制御に失敗したのだとして、誰が責められよう。
あの場にいる誰もがその強大すぎる力に振り回されたのだとして、なんらおかしくはない。
むしろ、平然と使いこなせるほうがどうかしているのではないか。
統魔と日夜訓練を行っている皆代小隊の面々ならまだしも、いきなり力を貸し与えられた導士たちには、膨大すぎる力を制御するのは簡単なことではなかったはずだ。
魔法士ならざる幸多には想像することもできないが、元より魔法の制御は簡単なものではないというのだ。
星象現界ともなれば、さらに制御の難度は高まるだろう。
黒乃が暴走したとしても、責められるわけもなかった。
「んだよ。幸多も義一もなにもいわねえのかよ」
「え?」
「こいつのせいで負けたんだぜ?」
「そもそも統魔がいなかったら負けてたんじゃなかったっけ?」
「そりゃあ……そうだけどさ」
真白は、幸多の問いかけを受けて、黒乃を腕の中から解放した。
黒乃はほっとするとともにすぐさまその場から離れて、幸多の隣に移動する。真白から黒乃を護ってくれるのは、この場には幸多しかいない。義一は助けてはくれないのだ。
夏合宿で理解したことだが。
「お、ようやく戻ってきたか」
「結構持ったわね?」
「奮闘したんだ?」
「皆なんともない? だいじょうぶ?」
などと、室内に顔を覗かせてきたのは、隆司であり、金田姉妹であり、奏恵であった。
隆司と金田姉妹は、当然ながら絢爛武闘祭に参加していたが、真っ先に撃破されて現実に回帰していた。そして、大式典の終了後、先に帰還していた奏恵とともに皆が帰ってくるのを待っていたというわけである。
奏恵は、中々戻ってこない幸多たちのことが心配だったが、隆司たちによって裏の大式典こと絢爛武闘祭の存在を知り、少しばかり安堵したものだ。
それがどのようなものであれ、幻想空間での戦闘ならば、現実世界に持ち越すことはない。
少なくとも、幻想体ならば。
そしてそれは、幸多の実体が寝台に仰臥していることを確認しているからこその安心感でもあった。
幸多は、どういうわけか幻想空間に入り込むことができてしまうからだ。
その状態では、幻想空間も現実世界と代わりがなく、幻想空間で受けた傷や痛みは、そのまま現実世界に持ち帰ってしまった。
もしその状態の幸多が致命的な損傷を受けるようなことがあれば、どうなるのか。
もしかすると、現実に戻って来れなくなるのではないか、とすら、奏恵は考えてしまう。
幸多が幻想空間への介入、干渉を多少なりとも制御できるようになったからいいものの、そうでなければ、絢爛武闘祭なるものを開催した戦団を恨みに思いかねない事態に発展したかもしれない。
奏恵は、そんなことを考えながら幻創機を操作して電源を落とすと、幸多たちとともに部屋を出た。
奏恵は、今回の大式典に一般観覧者として参加する予定であり、実際にそのように参加してきたのだが、元々は姉、妹とともに赴くつもりだった。しかし、伊佐那家の道場を利用していいということになれば、話も変わる。
幸多たちのために幻創機を操作しつつ、自分自身も道場から会場の幻想空間へと飛び込んだのである。
そして、会場で家族と合流し、観覧船に乗り込んでいる。
観覧船から見渡す広大な宇宙の景色は、眩いばかりの煌めきに満ちていて、そんな光に満ちた絢爛たる舞台上に統魔と幸多の二人が姿を見せたことには、この上ない感動を覚えたものだった。
それはまさに、奏恵にとって生涯忘れることのない光景となった。
統魔がある程度の階級まで昇格することは、贔屓目抜きでもわかっていたことだ。だが、それにしたってこの短期間で煌光級まで上り詰めるとは思わなかったし、星将になることすら期待されているというのは、母親として喜びもひとしおだった。
そして、幸多だ。
ただの魔法不能者ではなく、完全無能者である幸多が、たった二ヶ月足らずで輝光級三位にまで昇格するなど、到底考えられないことだった。
統魔以上の昇格速度だからどう、ということではなく、幸多だからこそ、感じ入るものがあった。
なにも生まれ持たず、なにも与えられてこなかった幸多が、魔法士ばかりの集団の中でその存在感を発揮できているという事実にこそ、奏恵は、感動するのだ。
幸多は、立派にやれている。
そのことを今は亡き夫に伝えたかった。
幸多たちは、なにやら絢爛武闘祭の反省会をしているようだったが。
奏恵からすれば、その様子すらも頼もしく、微笑ましかった。