第六十九話 擬似召喚魔法
『戦況が大きく動きました! 叢雲高校の草薙真選手の魔法が、多数の選手を撃破! 大量の撃破点が叢雲高校に入っていきます!』
『三十分の沈黙は、このためだったようですね。叢雲高校は、草薙真選手を除く四選手で、他校を含む全選手に防御魔法を使っていました。そのため、他校の選手も手も足も出せなかった』
『草薙真選手の魔法を完成させるための時間稼ぎではないか、というのが小暮さんの予想だったわけですが、実際、その通りでしたね!』
『はい。あれだけのことをするのですから、状況を一変させるような魔法を使うことはわかっていましたが、しかし、それにしても、こう……』
『圧倒的でしたね!』
『はい。言葉がありませんよ』
「でしょうね」
伊佐那麒麟は、幻闘で起きていることを逐一視聴者に説明しなければならない実況と解説に対し、同情を禁じ得なかった。
言葉がない、という解説の発言の真意は、まさに言葉通りのものに違いない。元プロ閃球選手の彼には、説明のしようがないのだ。閃球の玄人であって、魔法の玄人ではないのだ。
閃球の選手としては一家言あっても、魔法に関する技術となれば話は別だ。彼にはついていけまい。
そもそも、草薙真の魔法を一目見て、その素晴らしい技量を理解できるものがどれほどいるものか。
「やはり、彼は優秀だと?」
「とんでもなく、ね」
「さすがにあの魔法を見ただけでも相当な技量だとわかりますが、しかし、どの程度なんでしょう?」
「草薙真くんがあのまま鍛錬と研鑽を積み重ね続ければ、星将位にも届くでしょうね。わたしが約束します」
麒麟は、上庄諱と城ノ宮明臣の疑問には、そう断言して見せた。
麒麟の黄金色の瞳は、草薙真の生み出した魔法の剣、七支刀の全てを見抜いていた。幻板を通しても、その構造がはっきりと見える。莫大な魔力が費やされて生み出された魔法の剣は、並大抵の技量で作られるものではない。どれだけ熟練の魔法士であっても、そう簡単に真似できまい。
三十分費やせば、さすがに多少なりとも形にはなるだろうが、草薙真の七支刀ほどの精度には遠く及ばないだろう。
確信がある。
「あれは擬似召喚魔法よ」
麒麟の発言には、諱と明臣も顔を見合わせるほかなかった。
「なんだね、あれは」
天燎鏡磨は、憮然とするほかなかった。
幻板に映し出された戦場は、さながら地獄の様相を呈してきている。
天から降り注いだ火の雨が地上の全てを灼き尽くし、多くの命を奪い去ったのだ。
大量の撃破点が叢雲高校に追加されており、その得点は、十一点に及んだ。
あっという間に十一点も手に入れたのだ。
これには、さすがの鏡磨も言葉を失うしかなかった。
なぜならば、その直前、天燎高校に六点もの撃破点が入ったからだ。
黒木法子が四点を取り、我孫子雷智が二点を取った。
戦況が悪化したのは、鏡磨が、幸先が良いと手を叩いて喜ぼうとした直後だ。
まず雷智が討たれた。
続け様に他校生が次々と撃破され、幻想体が天に昇っていく演出が乱れ舞った。
実況と解説が熱狂するのもわからなくはなかったが、今ばかりは不愉快極まりなかった。
これから天燎高校の快進撃が始まろうとした矢先、叢雲高校のただ一人によって全てが崩壊させられたのだ。
これで昂奮するのは、叢雲高校の関係者か、参加校とまったく無関係の観戦者、逆境にこそ昂奮する類の人間だけだろう。
そして、鏡磨は、逆境が嫌いだった。
むしろ、優勢な状況こそが好ましく、だからこそ、黒木法子と我孫子雷智の活躍を手放しで褒め称えようとしていたのだ。
だというのに、状況は悪化する一方だった。
草薙真が放つ魔法は、光の雨となって戦場を地獄に塗り替えただけでなく、黒木法子の幻想体を一方的に破壊し尽くした。
草薙真は、七支刀を手に、戦場を進む。魔法の剣から放たれる無数の光線が、彼の侵攻先へと先回りするかのように飛んでいく。
南へ。
彼が向かっているのは、天燎高校が陣地としている獅王宮だった。
「どうにかならないのか?」
鏡磨が発した言葉は、悲鳴に近かった。
「こればかりは……」
川上元長は、天燎高校の敗北を確信していた。その結果、これまで散々昂奮し、熱狂してきた天燎鏡磨が突如として興醒めし、不機嫌になり、暴言を吐き連ねてきたとしても、仕方のないことだと諦めてもいる。
もはや、状況は覆しようがない。
状況は、最悪だ。
天燎高校は、追い詰められてしまった。
敵は、一人。
叢雲高校の草薙真ただ一人なのだが、しかし、それによって状況が改善した、などとは口が裂けてもいえなかったし、どう頭の中をこねくり回しても、そのような感想は出てこなかった。
「ど、どうしよう!?」
「どうしようもなにも……」
ついさっきまで幸多の応援に一人熱狂していた珠恵が、ついに根負けしたかのように奏恵に縋り付いてきたほどだった。
それほどまでに戦況は悪い。
誰がどう見ても、十中八九、叢雲高校の勝利によって幕を閉じるだろうと想像できた。
それくらい、圧倒的だった。
草薙真の魔法の剣は、自動的に目標に向かって光線を放つ、極めて高度な魔法のようだった。しかも、光線は、対象を追尾し誘導する性能を持っている。
黒木法子や何名かの他校生が防御魔法で身を守ったが、そんなものでは無意味だといわんばかりに、熱光線の雨嵐は全てを蹂躙し、破壊し尽くした。幻想体である以上、情け容赦の必要はなく、徹底的に破壊した。
跡形も残らなくなるほどの破壊。
それは、観客から熱狂を奪い、歓声を失わせた。
誰もが昂奮するような競技にもかかわらず、叢雲高校の草薙真は、観客を絶望のどん底に突き落とすかのような、一方的な戦いぶりをして見せたのだ。
まさに一方的としか言い様がない。
対抗手段がないのだ。
極めて強力な防御魔法を使うことができれば、魔法剣の光線に耐えられるかもしれない。が、それだけだ。草薙真を斃す決定打が足りない。そして、魔法剣が放ち続ける熱光線の前に防御魔法が崩壊し、斃されるだけだろう。
時間稼ぎにしかならない。
では、どうすればいいのか。
奏恵は、姉と妹に挟まれ、あまつさえ二人の手と手を重ねながら、幸多の無事を祈るしかなかった。
草薙真は、天燎陣地に迫っている。
獅王宮の北部に多少残っている樹木が、熱光線によって薙ぎ払われていく光景は、絶対者による蹂躙のように見えた。
「法子ちゃん、お帰りなさい」
気がつくなり雷智に抱きしめられて、法子は、茫然とした。
本来ならば雷智の抱擁には歓喜し、みずからその豊満な胸の中に飛び込むのだが、いまばかりはそんな気分にはなれなかった。
一方的だった。
ただひたすらに蹂躙され、破壊され尽くした。
幻想体が崩壊していく瞬間の痛みは、現実世界に戻れば余韻一つ残っていない。そのようなものが残れば、現実と幻想の区別がつかなくなる。それこそ、幻想症候群の大きな原因になりかねないのだ。
だが、精神的な不快感は、拭いきれない場合がある。
いま、法子が感じているのもそれだった。
草薙真の悠然とした様子。勝利を確信し、だが、決してその状況に酔っているわけではない、冷静沈着な素振り。
勝者としての、絶対者としての振る舞いが、そこにはあった。
草薙真と七支刀。
法子は、雷智の腕の中で、待機所内の幻板を睨んだ。
「この状況、どうでしょう……?」
「法子先輩ぃ……」
中島蘭や阿弥陀真弥が縋り付いてくる理由は、法子にははっきりとわかっていた。
幻板には、幻闘の戦況が克明に映し出されている。戦場の光景だけではなく、残り時間、各校の撃破点、生存点まで明確に表示されているのだ。
それらの情報が、幻想空間で戦っている当事者たちには決して報されないのは、そのほうが緊張感が持続し、最後まで戦い続けるからにほかならない。
一方、観戦者や視聴者には、そうした情報があったほうが幻闘を楽しめるというものだ。
そうした表示に寄れば、天神、御影、星桜は、撃破点生存点ともに零点となっている。
仮に撃破点があろうとも、生存点が零の時点でなんの意味もなさないが。
天燎は、撃破点が六点、生存点が四点だ。このまま全員が生き残れば、余裕で優勝できるだろう。が。
叢雲は、撃破点十一点、生存点一点。草薙真以外全滅したということだが、法子は、全滅させたのは、草薙真だろうと見ていた。それは、他校に点数を稼がせないためであり、同時に、他校を殲滅するつもりだからにほかならない。
草薙真は、自分ただ一人が幻闘の勝者になり、叢雲高校の優勝を飾るつもりなのだ。
それだけの実力はあった。
少なくとも、米田圭悟、北浜怜治、魚住亨梧が太刀打ちできる相手ではない。圭悟はそれなりの魔法士だが、それなりはそれなりだ。草薙真に対抗できるわけもない。残り二人は言わずもがなだ。
そして、皆代幸多だが、彼も当然、戦力にはならない。
天燎で生き残った四人の中で唯一勝ち筋を作れるとしたならば、幸多だ。
だが、それは、幸多と草薙真が一対一の状況かつ、同時に戦い始めることができたら、の話だ。
その場合ならば、幸多には十二分に勝ち目がある。
「……相手が悪かったな」
法子は、獅王宮に近づく魔人の如き草薙真の姿を見遣り、そういうほかなかった。
天燎陣地壊滅まで残された時間はわずかばかりだった。




