第六十八話 七支刀
それは、ある意味では予想できていた事態ではあった。
魔法攻撃をするということは、魔法攻撃をされるということでもある。
幻闘は、総合異種格闘技ともいわれる魔法競技であり、主戦場となった空間は、本格的な攻撃魔法が飛び交う危険地帯なのだ。
そこへ接近したということは、攻撃魔法の標的にされる可能性が高くなる、ということだ。
法子と雷智がそうしたように、他校の生徒が、主戦場に接近する法子たちに攻撃魔法を放っていた可能性も、大いに考えられた。
ほとんどの選手が叢雲陣地に注意を向けていて、大量の魔法が主戦場を惨憺たる有り様にしていたとはいえ、絶対に誰一人として法子たちを意識しない、などという法子たちにとって都合の良すぎる事態はありえなかった。
だから、攻撃を受ける可能性について考慮しない法子でも雷智でもなかったのだが、しかし。
「なっ――」
法子が愕然としたのは、雷智の細い首を貫いた熱光線が、その傷口をも灼き尽くしていく光景を見たからであり、さらに無数の熱光線が雷智の胸を、肩を、腕を、腰を、頭を貫き、彼女の素晴らしい容姿を完全に再現していた幻想体を徹底的に破壊していく様を見せつけられたからだ。
雷智は、一言も発することができないまま、幻想体の崩壊によって現実へと回帰していく。
その間も、数え切れない量の熱光線が降り注ぎ、雷智の幻想体を粉々に打ち砕いていく。まるで、塵一つ残さないとでもいわんばかりだ。
法子は、素早く大きく右に飛んだ。
熱光線は、前方上空から飛来してきており、雷智が撃ち抜かれたということは、法子も射程圏内にいるということだからだ。
周囲に遮蔽物はない。開戦直後、叢雲の連中によって吹き飛ばされてしまったからだ。
どこへどう移動しようと、熱光線の射程範囲内だった。
(これが狙いか)
法子は、胸中で納得した。
叢雲の連中が、自分たちに有利なはずの複雑な地形を消し飛ばしたのには、なんらかの意図があることは、だれの目にも明らかだった。
全ての選手をこのケイオスヘイヴンを模した戦場の中心に誘導し、乱戦を引き起こすことこそがその目的の一つだろう、と、法子は推察していた。
乱戦による選手たちの消耗にこそ、叢雲の狙いがあるのではないか。
実際、乱戦は、選手たちを多少なりとも消耗させることに成功した。叢雲の戦術により、全選手が防御魔法に守られていたからだ。誰一人傷つけることなく、脱落することなく、撃破されることなく、ただ無為に魔法を使い、魔力を消費し、消耗し続けた。
だがそれもすぐに気づく。
無駄で無意味な行いを延々と続けるほど、選手たちは子供ではない。自分たちで考える頭を持っていて、状況を理解する能力がある。
乱戦による消耗は、大したものではなかった。
ならば、ほかにもっと大きな狙いがなければ、戦場をだだっ広い、なにひとつ遮蔽物のない更地にする意味がない――。
法子は、前方を見遣った。
天神、御影、星桜の選手たちが放った魔法によって巻き起こった爆煙が、風によって舞い上がり、浚われていく。
するとそこに一人、無傷の選手が突っ立っているのが見えた。
無防備に、ただ立ち尽くすようにして、叢雲陣地に立っているのは、銀鼠色の髪を風に靡かせる男――草薙真だった。
彼は、悠然とした様子で立っている。
まるで勝利を確信したかのように、敗北などありえないかのように。
もはや叢雲には、草薙真ただ一人しかいないというのにも関わらずだ。
もう試合は終了し、あとは自分たちの勝利が宣告され、叢雲の優勝が宣言されるのを待っている。そんな素振り。
(随分と余裕だな!)
法子は、怒りとともに魔法を構築した。草薙真を討ち斃すために必要な想像を脳内に巡らせる。雷智を斃したのは、紛れもなく草薙真だった。
草薙真が完成させた大魔法、その最初の犠牲者が雷智だったのだ。
(いや、違う?)
法子の脳裏に先程の乱戦が過る。天神、星桜、御影の生徒たちが叢雲陣地を挟撃するかのように発した魔法の数々は、全て、地上から放たれたものだった。だが、その魔法の中には、明らかに遥か上空から放たれたものがあった。
叢雲陣地に咲き乱れる魔法の嵐の真っ只中、紅い光の雨が降り注ぐ光景。
その紅い光は、雷智の全身をずたずたに破壊した熱光線そのものだった。
はっと、法子は天を仰いだ。
雲一つ見当たらない群青の空は、遥か宇宙まで通じているような、そんな広大さを感じる。その広大な蒼穹の真っ只中に、なにかが浮かんでいるのが見えた。
つい先程まで草薙真が浮かんでいた高度であり、座標。
草薙真本人が姿を消していたということもあれば、彼よりも遥かに小さいため、咄嗟に見つけることができなかったのだ。
そしてそれは、地上に向かって無数の熱光線を放射し続けていた。
熱光線は、紅い光の雨となって地上に降り注いでいる。
草薙真が佇む戦場の中心にではなく、北へ、東へ、西へ、そして、南へ向かって、途切れることなく熱光線が降り続けた。
幻想体が破壊されたことを示す閃光が、つぎつぎと天へと昇っていく。
法子は、即座に破壊の想像を打ち消し、防御魔法を想像した。常日頃から使い慣れている魔法だ。瞬時に想像が形となり、彼女の周囲に反映される。
「宿望の黒鎧!」
真言の発声とともに魔法が発動し、禍々《まがまが》しくも闇そのもののような鎧が法子の全身を包み込んだ。法子は防御魔法を不得意としていたが、使わないよりはずっと増しだろうと判断した。
そして、その鎧を纏ったまま、草薙真に突っ込んでいく。
熱光線が法子の鎧を貫いた。右肩に激痛が走る。闇の鎧の防御を容易く突破し、あまつさえ法子の肉体を損壊させるなど、とてつもない威力の魔法だった。
それでも、法子は止まらない。草薙真に肉薄する中、破壊の想像を脳内に巡らせ、魔法を作り上げていく。
不意に、草薙真が、右手を掲げた。
別の魔法を使うのかと思ったが、そうではなかった。彼の右手に、遥か上空に浮かんでいた光の塊が収まった。一瞬で、だ。まるで空間転移でもしたようだった。
実際、そうだったのかもしれない。
それは、光の塊などではなかった。
形がわからないほどに強烈な光を発していたから、そう認識してしまったのだ。
「きみはよくやったが、勝つのはおれだけだよ、黒木法子くん」
草薙真の右手に収まったそれは、一振りの剣だった。ただし、刀身が七つに分岐しているという形状の剣である。いわゆる七支刀と呼ばれる類の剣だろう。
草薙真は、魔法でもってその七支刀を作り出したのだ。
魔法を剣や斧、槍や弓といった武器の形にするのは、ありふれた技術だ。魔法は、想像力こそが生命線である。想像しやすければしやすいほど、威力も精度も高くなる。魔法で武器を作るのもそういった理由だ。
武器は、想像しやすい。
過去に存在し、資料としていつでも確認できるからであり、そうした資料を漁ることによって、魔法の精度を高めるのは、魔法士の研鑽方法として定番だった。想像力を高めるためだ。
法子も、魔法に斧や槍を用いる。
想像しやすいからだ。
想像が、力となる。
それが魔法なのだ。
草薙真の七支刀もまた、彼の想像の産物であり、そして、そのためにあれだけの時間を費やしたのは、ただその形状を想像しにくかったからなどではあるまい。
七支刀の七つの刀身、そのいずれもが光を発した。それは紅く輝く熱光線となって、猛然と、法子に襲いかかってきた。
しかし、そのときには、法子もまた、破壊の想像を具現していた。
「野望の黒斧!」
法子の全身から迸った莫大な魔力は、黒き異形の大斧を形成し、草薙真へと肉薄した。大気を断ち切り、その勢いのままに相手の幻想体をも両断しようとしたのだ。
だが、間に合わなかった。
七支刀が発する熱光線の量は、秒間数十発以上であり、法子が魔法を発動させ、振り下ろしきるまでに数百発以上が彼女を貫いていたからだ。
凄まじい激痛が法子の全身を苛み、気づいたときには、現実に回帰していた。




