第六百七十七話 特異なる力(十)
結局、幸多の謎は、完全に解き明かすには至らなかった。
数時間に及ぶ調査は、ノルン・システムの全力を駆使したものだったし、幻想空間上でも様々な実験を行った。
幸多と訓練用幻想体と戦わせたり、様々な武装を使わせたりと、色々なことを行って見せたのだ。
しかし、それでわかったことといえば、幸多が幻想空間に実体として存在しているということだけであり、幸多が幻想空間や幻想体に干渉するなんらかの力を持っているということだった。
そして、幻想空間上の幸多が召喚した武装もまた、情報だけの存在であるはずの幻想体に干渉することができることも、確定した。
それから通常の手順通りに行うことで、幸多は現実世界への帰還を果たすことができるということも確かなものとなった。
美由理は、幸多の現実への回帰に心底安堵したし、女神たちも喜びのあまり彼に駆け寄って抱きついたりした。
「少し……軽はずみじゃないか?」
美由理が女神たちに注意すると、ヴェルザンディが幸多の首に腕を巻き付けながら、彼女を見遣った。
『別にいいじゃない。減るものじゃないし』
「……それは、そうだが……」
「えーと……その……」
美由理とヴェルザンディが睨み合う間で、幸多は、困惑するほかなかった。
本来現実空間に具現しながらも幻想体であるが故に実体に触れることのできない女神たちは、幸多に触れられることに興奮しているようだった。
彼女たちの仮装人格が好奇心旺盛というだけでなく、戦団の人々と少しでも仲良くなりたいと考えているらしいということも、その常日頃の言動からも明らかだ。
だから、幸多に触れられることに喜んでいるのだろうし、いままさに幸多の体に触ったり、抱きついたりしてきているのだろうが、それが美由理には少しばかり気に食わないらしい。
特にヴェルザンディは、幸多をしっかりと抱きしめ、体温さえも感じ取るかのようにしているものだから、美由理にはなにやら許し難いものがあるようだった。
二人の視線が、牽制し合っているようにすら見える。
「第三因子なのかねえ?」
「わからないわ。第三因子だって色々あるもの」
愛は、美由理とヴェルザンディの視線がぶつかり合う様を面白がりつつも、頭の中では、幸多のことばかり考えていた。
幸多の肉体について。
特異体質について。
第三因子について。
第三因子。
サード・ファクターともいう。
それは、魔法が発明されて以降、人類の中からごく稀に出現するようになった特異な能力のことだ。そしてそれは、様々な形で現れた。
腕力や脚力といった身体能力を大幅に向上させるものであったり、聴覚や視覚といった五感を強化するものであったり、あるいは魔法に関連する能力であったりした。
そうした能力を三番目の要素という意味で、第三因子と呼ぶようになったのは、生まれ持った身体能力を第一因子、魔法を第二因子と定義したからである。
さて、第三因子は、魔法の発明と普及によって発現するようになった。
そして、魔法士にしか発現しないものとされているのは、魔法士以外の人間から同様の異能が発現したという記録がなかったからだ。
幸多は、完全無能者だ。
魔素を一切内包せず、魔法を使うことも、魔法の恩恵を受けることもできない。
そんな彼が第三因子を発現するものだろうか。
「第三因子だとすれば、魔法不能者として世界初の発現者ということになるわね」
「世界初の完全無能者なんだ。幸多くんになにが起こったって、なんら不思議じゃあないよ」
「それもそうなんだけど」
イリアは、愛の言い分に苦笑を禁じ得なかった。
確かにその通りだ。
幸多には、なにが起きても不思議ではない。
例えば、先日彼の肉体の損傷を回復させるために注入した第四開発室謹製の分子機械が、彼の体になんらかの影響を及ぼしたのだとしても、おかしくはなかった。
どんなことが起きたとしても、受け入れる必要があるだろう。
イリアは、幻想空間上で行った数多の検証の結果をノルン・システムを用いて、徹底的に精査しながら、目を細める。
膨大な情報が幻板を埋め尽くし、怒濤の如く流れていく。いまにも満ち溢れんばかりの情報量。イリアの頭脳だけでは処理しきれないに違いないが、ノルン・システムがそれを可能とする。
ノルン・システムの情報処理能力は、遙か昔に作られたものとは思えないくらいの性能であり、現代最高峰の技術を用いても真似の出来ないものだった。
まさに超技術の結晶なのだ。
そんな超技術の化身たる三女神たちが幸多を取り巻いていて、美由理が不機嫌そうな表情をしている様を見遣ると、イリアは、くすりと微笑んだ。
「必要な情報も取ったし、上に戻りましょうか」
『ええーっ!? もういっちゃうの!?』
「もう……って、すでに何時間経過したと思っているんだ」
美由理がヴェルザンディに対し呆れたように言えば、女神は、幸多の体を羽交い締めにして話そうとしなかった。
『嫌よ、嫌。せっかく幸多ちゃんと触れ合えるようになったのに!』
『ヴェル、皆様を困らせてはいけませんよ』
『幸多も困ってる』
『うう……でも……』
「また、いつでも会えるよ、ヴェルちゃん」
『それも……そうなんだけどぉ……』
ヴェルザンディは、女神たちと幸多に説得されると、泣く泣くといった様子で彼の体から離れた。
現実世界で誰かと触れ合えることの喜びは、幸多たちには理解しがたいものだ。幸多たちは、目の前にいれば、いつだって触れ合える。
女神たちは、そうではない。
幻想空間ならば、実体と触れ合っているような感覚を持つことはできても、それはやはり、幻想に過ぎない。
現実ではない。
そんなことを幸多は想い、女神たちの手を取り、握り締めた。
「ぼくは、死なないから」
イリアは、幸多のそんな宣言を聞きながら、端末を閉じた。
「死なない、か」
地上へと上昇する昇降機の中で、美由理は、ぽつりといった。その目は、幸多を真っ直ぐに見つめている。
「そんな自信がどこから出てくるんだ?」
幸多は、師匠の眼差しに込められた厳しさに対し、困ったような顔をした。
「いやあ……師匠が鍛えてくれるはずですし、イリアさんも愛さんもいますから」
「へえ、あたしたちのこと、頼りにしてくれてるんだ?」
「それは嬉しいことで」
愛が幸多の左肩に腕を乗せれば、右肩にイリアが腕を置いた。二人の美女に挟まれ、目の前には美由理が立っている。
常人ならば至福の瞬間などと想うのかもしれないが、幸多には、そうは考えられなかった。
三人には、迷惑ばかりかけている。
この間だって、そうだ。
マモン事変直後、幸多のために奔走してくれたのは、特にこの三人だという話は聞いていた。
イリアは窮極幻想計画の責任者だったし、愛は幸多の担当医を自認している。そして、美由理は、直属の上司である以上に師匠だ。
だからこそ、三者三様に動いてくれたのだろうし、彼女たちのおかげで、幸多はここにいられるような気がしてならなかった。
まるで女神だ。
戦団の三女神がヴェルザンディたちならば、幸多の三女神が美由理たちなのだ。
そんなことを口にすれば大笑いに笑われるだろうから、なにもいわず、幸多は、自分の三女神たちから様々な愚痴を聞かされるのを耐え続けた。
全部、幸多に関する愚痴ばかりだった。
幸多の暴走が招いた様々な事態について、直接愚痴を聞かされるというのは、これが初めてのことでありなんだか新鮮な気分だった。
彼女たちにしてみれば、幸多がまたしても暴走することのないように釘を刺すつもりだったのだろうし、幸多もそう想ったものだった。




