第六十六話 対峙
草薙真は、戦場を睥睨している。
幻想空間上に作られた戦場は、ケイオスヘイヴンを模した構造になっていた。誰もが小学生の頃から何度となく歴史の授業で習うその場所は、もはや懐かしいとさえいってもいいくらいに馴染み深い。
源流戦争の最終決戦、暁の終焉とも呼ばれる死闘が繰り広げられた、今を生きる魔法士たちの原点ともいえる場所だ。
その戦いに勝ったからこそ、御昴直次は始祖魔導師としての地位を確固たるものとし、魔法時代の偉大なる指導者として名を馳せることとなったのだ。
もし、その戦いで魔人御昴直久が勝っていれば、どうなっていたのか。
世界は、大きく変わっていたことだろう。
混沌時代がいち早く訪れ、百年以上も早く、人類が滅亡していたとしても、おかしくはなかった。
(いうなれば、おれは御昴直久だ)
草薙真は、己をそのように仮定する。
魔法時代を牽引した御昴直次は、法と秩序の化身であった。
一方、御昴直久は、魔人と呼ばれ、破壊と混沌の化身であった。
であれば、現行秩序に従うことしか頭にない、この場にいるほぼ全員が御昴直次ということになり、そこに反発する草薙真は、御昴直久にならざるを得ない。
そして、御昴直久の果たせなかった現行秩序の破壊を行うのが、草薙真なのだ。
幻闘の戦況は、彼の想定通りに進んでいる。
叢雲高校の精鋭四人による合性魔法・八門封扉が、戦場にいる全ての魔法士を守っている。これにより、誰のどのような攻撃魔法も、誰一人として傷つけることは出来ず、戦況が動くことはなかった。
撃破点が入ることはなく、ただただ時間が過ぎていく。
その時間こそ、草薙真が魔法を練り上げるための時間に他ならない。
合性魔法はただの時間稼ぎだが、それだけではない。ただ時間を稼ぐだけならば、別に他校生を守る必要はないのだ。
他校生を守るのは、草薙真が絶対的な勝利を収めるためだ。
草薙真の絶対的な勝利によって、この対抗戦というくだらないお遊びを徹底的に破壊し尽くし、馬鹿馬鹿しい全てを否定し尽くす。
そのためにこそ、彼は、この一年、練り上げてきたのだ。
この一年、そのためだけに費やしてきた。
そして、その結果は、いままさに出ていた。
幻闘出場者の中で特に注意していた天燎高校の黒木法子の魔法も、合性魔法の前では無力だった。
あの魔法は極めて強力であり、普通の防御魔法ならば容易く突破され、撃破されていたことだろう。
だが、合性魔法・八門封扉は、それほどの魔法すらも封じ込めた。
草薙真は、魔法を組み上げながら、眼下を一望する。崩壊した戦場、その中心には、叢雲の四人がいて、合性魔法の維持に専念している。
天神、御影、星桜、天燎の生徒たちは、どうすることもできないまま、ただ、時間が過ぎていくのを待ち続けるしかないのだ。
叢雲の魔法が解けるその瞬間までは、力を温存しておく以外になにもできない。
唯一できることがあるとすれば、そのときのために魔法を準備しておくことくらいであり、実際、複数名の生徒が、なんらかの魔法を準備しているようだった。
草薙真は、それらがどのような魔法なのかを探っている余裕はない。
集中しなければ、ならない。
でなければ、叢雲の仲間たちが稼いだ時間を無駄にしてしまうことになる。この一年かけて作り上げた戦術が水泡に帰してしまうことになる。
それだけは、避けなければならない。
全てを終わらせるために。
この戦団にとって必要な人材を発掘するためだけの、自分とは無縁極まりない大会を、草薙真ただ一人の圧倒的大勝利によって終わらせるために。
(潰す。なにもかも、潰してやる)
草薙真の双眸には、暗い炎が灯っていた。
法子と雷智は、幸多を挟むようにして立ち、それぞれの手が彼の肩に触れた。
「なにをしようってんだ?」
「おれに聞くなよ、わかるわけねえだろうが」
「そりゃそうだ」
どうにも他人事極まりない圭悟たちの会話を聞き流すのは、気が気ではなかったからだ。
幸多は、二人がなにをしようとしているのか、まったく想像がつかなかった。ただ、法子と雷智が合性魔法を使おうとしているということはわかっている。それをなぜ幸多に使おうとしているのかといえば、いまこの場で魔法が効くのが幸多だけだからだ。
幸多は、完全無能者だ。魔素を生まれ持たず、生産することもできない、希有な存在だ。故に魔法医療の恩恵や、様々な魔法の恩恵を受けることができない。が、魔法の影響を受けないわけでは、ない。たとえば、魔法で燃やされれば燃えるし、魔法で吹き飛ばされるし、魔法で殴りつけられるのだ。
幸多の体質上、効果のない魔法というのは、体内の魔素に働きかける種類の魔法だ。たとえば傷を癒やしたり、病気を治したり、精神を操ったりする、そのような類の魔法である。
それ以外の魔法ならば、普通に効果があった。
叢雲の合性魔法も、使い方次第では、幸多にも影響が及んだに違いなかった。
だが、そうはならなかった。
だからこそ、法子と雷智は、なにやら物騒なことを始めているのだ。
物騒、としか幸多には言い様がなかった。
「愛と夢と希望の!」
「超電磁幸多砲!」
雷智と法子が口々に真言を唱えれば、魔法が発動した。
まず、幸多の全身を黒い膜のようなものが包み込み、ついで、物凄まじい電光がその膜状のものを覆った。電光がけたたましい音を立てて、高速で回転したかと思えば、爆音が、幸多の全身を弾き飛ばした。
一瞬、激痛が走った、かと思ったが、どうやら気のせいだったし、そんなことを気にしている場合ではなかった。
つぎの瞬間には、幸多は空中に撃ち出されていたのだ。
法子と雷智の合性魔法は、超電磁皆代幸多砲は、その名の通り、幸多を射出するための魔法だったのだろうが、だとしても、説明くらいして欲しかった、と、幸多は思ったが、そんなことに囚われている時間的余裕はなかった。
幸多は、一瞬にして空中を駆け抜けていった。全身が分厚い大気の層を軽々と貫いていく感覚は、爽快といってもよかったのかもしれない。重力の楔は千切れているかのようであり、何者も幸多の飛行の邪魔をすることは出来ない。
遥か前方の黒い点でしかなかった草薙真の姿が、あっという間に大きくなり、視界一杯に広がっていった。
草薙真も、さすがの事態に目を丸くした――が、それも一瞬の出来事だった。
幸多は、草薙真を眼前に捉えたときには、右腕を振りかぶっていた。もうその瞬間には、法子の考えを理解していたからだ。
合性魔法の影響下にない幸多ならば、草薙真に一撃を叩き込むことも不可能ではないのではないか。
幸多は、超電磁砲で弾き出された勢い、物凄まじい速度を加味した一撃を草薙真の腹に叩き込んだ。しかし、幸多の右拳は、分厚い魔法の壁を三枚ほど破壊したところで止まってしまった。拳から鈍い痛みが走ってくる。
「皆代幸多か」
幸多は、続け様に蹴りつけたが、今度は魔法壁を突き破ることすらできなかった。何度殴りつけ、蹴りつけても同じだった。
「きみは、よくやった。だが、無駄だ。なにもかも無駄なんだよ」
草薙真が、冷ややかに告げた。
「きみも、きみの仲間も、この場にいる誰も彼も、おれには勝てない。敵わない。おれが勝つ。おれがただ一人の勝者となり、この茶番の全てを終わらせてやる」
「ただ一人の……勝者?」
幸多は、彼の発言の意図が読めず、重力に引き摺られるままに落下していった。眼下には、叢雲陣地がある。が、そこはいまや戦場ではない。落ちても心配はなかったが、
「駄目だったか。いい考えだと思ったのだが」
飛行魔法で急接近していた法子が、落下中の幸多を受け止めて、つぶやいた。漆黒の髪が揺れる。
「さすがに無茶でしょ」
「そうだな、無茶だった」
法子が反省気味な反応を見せるのは、幸多にとっては少しばかり新鮮な気分だった。傲岸不遜にして縦横無尽な彼女が、そんな殊勝な態度を取るというのは、中々考えにくい。
幸多は、法子に抱えられたまま、天燎陣地、つまり獅王宮に戻った。
その道中、各校の様子を垣間見たが、いずれの高校も動きようがないといったところだった。
戦場は、叢雲によって支配されている。
強力無比な合性魔法の前では、法子の破壊的な魔法すらも無力化されてしまうのだ。
他校生も、おいそれと手を出すことは出来ない。無駄に消耗するだけだ。徒労に終わる。そしてそれこそが叢雲の狙いなのだとすれば、合性魔法が途切れるであろう限界を見極めて、それから行動に移るべきだ。
合性魔法がいくら強力であろうと、魔法である以上、消耗し続けているのだ。いずれ限界が来て、解除される。
そのときこそが本番だ、と、誰もが考えている。
「ただ一人の勝者だあ?」
「なんじゃそりゃ」
「どういう意味なんだ?」
幸多が草薙真の発言を伝えると、圭悟たちは怪訝な顔をした。
「そこはふつー、叢雲の勝利なんじゃねえの」
「確かに叢雲はほぼ草薙一人の活躍で首位に立ってるけどよお」
「わたしのような謙虚さが足りんな」
法子が腰に手を当て、あまつさえ胸を反らすようにしながらいってきたものだから、幸多たちは反応に困った。
「そうよねえ」
雷智だけが、法子を肯定するのは、いつものことではあったが。
幸多は、草薙真を見遣った。
草薙真は、遥か上空に浮かんだままだ。




