第六百六十八話 特異なる力(一)
幻想空間への意識の転移は、いつものように速やかに行われた。
視界が暗転した次の瞬間には、別世界が眼前に広がっている。
遥か上空から、彼方の地上を見下ろしているのだ。
見知った人工島の俯瞰図は、混沌の大地そのものの形状を見せつけていた。
ケイオスヘイヴン。
かつて、魔人・御昴直久一派が拠点とした人工島であり、対抗戦決勝大会の最終戦である幻闘の戦場として採用された幻想空間だ。
なぜ、今回、ケイオスヘイヴンを戦場として選択したのか。
幸多は、地上へと引き寄せられていく感覚の中で、考える。
幻想訓練を提案してきたのは、法子である。
そして、この戦場に幻想体を転送させたのは、幸多と法子の二人だけであり、ほかの五人は、現実空間からこの様子を見守っていた。
法子は、重力に抗うようにして飛行魔法を発動させると、幸多の前方に回り込んで見せた。素晴らしい律像の展開速度であり、発動速度だった。魔法の精度も完璧に近い。
いまの幸多に律像は見えないが。
(さすがだな)
幸多は、いつものように感嘆する。
法子は、戦団が何度となく勧誘するほどに優れた魔法技量の持ち主だ。同世代ならば最高峰の魔法士ではないかと囁かれているほどだといい、彼女が戦闘部に所属してくれれば、それだけで戦力の向上が見込まれていた。
しかし、法子は、戦団に入るつもりはないという。
そして、戦団もまた、戦団に入ることを強制しようとはしない。
この地獄のような世界で、戦団こそが人類の守護者であり、人類生存圏の、央都の平穏を維持する唯一無二の存在であることは確かだが、しかし、そのために市民に犠牲を強いるのは、それこそ絶望的だ。
戦団は、そのように考える。
市民の安寧を護るべき組織が、市民の日常を踏みにじってはならない。
市民の、個人の小さな願いすらも護れないようなものが、人類復興を成し遂げられるわけがないのだ、と。
そうした高邁な考えを持ち、実行しているからこそ、戦団は戦団たり得るのではないか、と、幸多も想うのだ。
そして、だからこそ、法子のような優秀な魔法士が誕生する素地が出来上がったのではないか、とも考える。
市民が自由に生きられる世界だからこそ、人々が思い思いに生きているからこそ、新たな才能が誕生し、発揮されるのではないか。
「欲望の黒槍」
幸多の降下先に回り込んだ法子が真言を唱えると、右手の先に収斂した魔力が漆黒の槍を形成し、幸多に向かって発射された。
虚空を貫く暗黒の槍は、一瞬にして幸多の眼前へと肉迫したが、彼に刺さることはなかった。幸多もまた、召喚言語を唱えていたからだ。
「防塞」
展開型大盾・防塞が幸多の目の前に出現するとともに黒き投げ槍を受け止め、大きく展開することによって直後の爆圧からも、幸多の身を守った。
幸多は、防塞の内側を蹴ることでその場から飛び離れると、視界の片隅で、法子が凄まじい飛行速度でもって地上に降りていくのを認めた。
黒い流星のようだった。
法子が降り立ったのは、鬱蒼たる森の真っ只中であり、幸多は、そこから少し離れた地点に着地した。
高高度からの落下ではあったが、着地の衝撃が幸多の全身を苛むことはなかった。闘衣を身につけ、さらに鎧套を纏ったからにほかならない。鎧套・武神が幸多の足裏から全身に走る衝撃を吸収し、装甲全体に分散させ、外部へと吐き出している。
そのおかげで、幸多はすぐさま動くことができた。
そして、法子が投擲してきた黒い槍を回避することができたのだ。
漆黒の投げ槍は、直線上の木々を薙ぎ払いながら幸多に殺到し、幸多に躱されると、後方の木々を貫いていった。
法子の全力の魔法攻撃は、筆舌に尽くしがたいものがある。
戦闘部の軍団長たちがすぐにでも欲しい人材と彼女の名を挙げるのも無理からぬことだ、と、幸多は、法子の魔法を目の当たりにするたびに想うのだ。けれども、幸多には、法子に戦団に入るように説得するような意思はなかった。
法子が戦団に入りたがらない理由については、彼女との訓練の日々の中で散々に聞かされたからだ。
無理強いをするのは、良くない。
戦団に入るということは、戦闘部に所属するということは、導士になるということは、自らの意志で死にに行くのとほとんど変わらないことだ。
幻魔に立ち向かうとはつまり、死に立ち向かうことそのものであり、魔界そのものたる地上を切り開いていくということは、まさに地獄に足を踏み入れていくことにほかならない。
それこそ、自らの意志で選択するべきことであり、誰かに強制されることでもなければ、要求に従うことでもない。
戦団自体が、そういう風な戦闘部への所属を望んでいないのだ。
戦闘部は、戦団の実働部隊だ。
もっとも矢面に立つ部署であり、もっとも死に近く、命の軽い部署なのだ。
自分の意志とは無関係に所属した導士は、どう足掻いても臆病になる。怯懦になる。消極的になる。自分の命を惜しむ余り、被害を拡大させ、消耗を増大させる恐れがあるのだ。
魔法を用いれば、そうした精神面の不安を消し去り、積極的かつ能動的な戦士に仕立て上げることも不可能ではない。
が、戦団は、魔法をそのように利用するのを望まなかった。
それは、精神魔法による洗脳そのものであり、人を人とも思わない暴虐非道なやり方であり、人類復興のためとはいえ、やり過ぎだ――と、戦団総長・神木神威は考えているのだ。
総長のそんな考え方は、幸多も嫌いではなかったし、尊敬してさえいた。
央都市民の大半が戦団を支持しているのも、総長の理想主義的な考えに賛同しているからかもしれない。
無論、総長の考えを甘すぎると断じるものもいないではないし、戦団はもっと戦力を拡充するべきであり、そのために徴兵制を導入するべきだという意見もないではないのだが。
その場合、確かに戦団の戦力は大きく増大するだろうが、しかし、導士の質の維持は難しくなるのではないか、という考えもある。
今現在、戦団導士たちの魔法士としての質を一定以上に保ち続けられているのは、自らの意志で入団し、戦闘部への所属を望んだものばかりだからである――とは、戦団の意見ではあるが、幸多も同じように考えている。
法子の超強力な攻撃魔法は、確かに一般市民の魔法技量としては破格というほかない。
が、戦団には、彼女程度の魔法士ならばいくらでもいるのだ。
それこそ、杖長とは比較にならない。
幸多は、つい先日、第八軍団の二人の杖長の戦いぶりを目の当たりにしたばかりだった。
星象現界を使うだけでなく、咄嗟に合性魔法のように二つの星象現界を融合させた南雲火水と矢井田風土の魔法技量の凄まじさたるや、法子と比べていいものではないだろう。
幸多は、次々と飛来する黒槍を回避しつつも、法子への接近を試みた。地を蹴り、一足飛びに間合いを詰める。眼前に迫った魔力体には、大盾を呼び出すことで対応する。
法子は、森の中を移動し続けている。飛行魔法で地面すれすれの高度を維持しながらの高速移動は、木々を幸多からの攻撃の盾にするために違いない。その上で攻撃魔法を連射してくるのだ。
幸多は、仕方なしに別の鎧套を召喚した。
「銃王」
召喚言語とともに幸多の全身が転身機の光に包まれ、鋭角的な重装甲が闘衣の上から体中を覆い隠した。
「窮極幻想計画だったか!」
法子の大音声が木々を揺らし、同時に闇の波動が幸多に殺到した。幸多は、複数の防塞を前方に展開することで法子の魔法・羨望の黒杖を耐え凌ぐと、すぐさま武器を召喚した。
二十二式突撃銃・飛電である。
「完全無能者が魔法士を、幻魔をも圧倒するまさに幻想そのものの設計思想! きみにおあつらえ向きだ!」
「ええ、まったく、その通りです!」
幸多は、強く肯定すると、飛電の引き金を引いた。
雷鳴のような轟音とともに閃光が奔り、無数の弾丸が空を裂いた。