第六百六十七話 親友(六)
「……覗き見は、趣味が悪いと思うよ」
義一が、嘆息とともに告げると、長椅子に座りながらも前のめりになっていた真白が、少しばかり苛立ったような顔を向けてきた。
「んだよ、良いだろ、別に」
「ぼくは止めようっていったんだけど……」
「良い子ぶってんじゃねえよ。覗き込んでるくせに」
「それは……うーん……」
兄の意見を否定できないのだろう黒乃は、真白の隣の席で前のめりになったまま、困り果てたような反応を見せた。
義一と九十九兄弟がいるのは、伊佐那家本邸の一室だ。
そこには、午前中の猛特訓を終えた訓練生たちが一人を除いて勢揃いしているのだが、そのうちの五人が、なにやら魔法で生み出した球体を覗き込んでいたのだ。
その球体に映り込んでいるのは、伊佐那家本邸の客間の様子であり、そこでは、幸多とその友人たちが談笑しているようだった。
義一は、幸多の友人たちについて、多少なりとも知識を持っている。
というのも、六人全員が、天燎高校対抗戦部の部員だったからだ。
当然、幸多とともに対抗戦決勝大会の会場となった海上総合運動競技場に足を踏み入れており、大量の獣級幻魔から彼らを護ったのが、義一と九十九兄弟なのだ。だから、というわけではないが、彼らについてある程度の知識がある。
「声が聞こえるわけでもないし、大して問題ないっしょ」
「だったらなんで覗いてるとか、聞かないでね」
「うーん……相変わらずだな、あの人」
金田姉妹にせよ、菖蒲坂隆司にせよ、対抗戦決勝大会で彼らと関わりがあったはずだ。
特に米田圭悟、黒木法子、我孫子雷智は、選手として対戦していることもあって気になるのかもしれない。
だとしても、だ。
「のぞき見は、犯罪行為だよ」
義一は、仕方なく魔法を使い、彼らが覗き込んでいた魔法球を消し去った。
五人が、義一を睨みつけてくるが、彼は、ため息を返す以外にはない。
「いくら義一様でも、それはあまりにも無体では?」
「そうですよう、かわいいかわいいわたしたちのちょっとした無茶くらい、見逃してくれたっていいじゃないですか」
「かわいいかはともかく、別に大したことじゃねえじゃん」
「どう……かなあ……」
「気になったから覗いてただけだろーが」
「……そんなに気になるなら、直接聞きに行けばいいんじゃないかな」
義一は、そういえば全員が引き下がると想っていたのだが。
「あー……そういう手があったか」
真白が椅子から跳ね上がるようにして立ち上がると、黒乃の腕を引っ張り上げた。
「いたっ、痛いよ、兄さん」
「それくらい我慢しろっての! さっさとしないと、置いてくぞ!」
「置いてくもなにも、引っ張られてるんだけど――」
黒乃の声が聞こえなくなったのは、真白が彼を引っ張って部屋の外へと飛び出していったからだ。
義一は、真横を風のように駆け抜けていった九十九兄弟を目で追いかけようとして、止めた。
「わたしたちも、行く?」
「いやあ……さすがに……ねえ?」
「さすがに……なあ」
金田姉妹も隆司も、九十九兄弟の行動力の凄まじさによって冷静さを取り戻したようだった。
三人は、しばらく沈黙した後、それぞれの休憩に戻っていった。
義一は、大きくため息をつくと、仕方なく、九十九兄弟の後を追いかけた。
二人が幸多の友人たちに迷惑をかけるのだけは、避けなければならない気がした。
「で、なんでまた道場?」
「なんでだろ?」
真白と黒乃は、伊佐那家本邸の敷地内に聳え立つ母屋とは別の建物を遠目に覗き込んでいた。
幸多が話に聞く友人たちと談笑していた客間に向かっていた矢先、幸多たちが使用人に先導されるようにして移動しているのを目の当たりにしたのだ。
それを見て、まずは声をかけようとした真白だったが、すぐに考えを改めた。魔法によって自身の立てる音を完全に消し去り、存在感そのものを無にする。それによって尾行を完璧なものとすると、黒乃とともに幸多たちの後をついていったのだ。
そして辿り着いたのが、道場である。
伊佐那家本邸の室内訓練施設であるそれは、さながら道場のような外観から、そう呼ばれている。
なぜ、幸多と友人たちが道場に足を運んだのか、真白と黒乃には想像も付かない。
幸多の友人たちのことは、幸多自身から色々と聞いて知っているし、彼らが天燎高校対抗戦部の部員たちだったことも、当然、知っている。
中でも米田圭悟、中島蘭、阿弥陀真弥、百合丘紗江子の四人は、同級生ということもあってよく一緒に遊んだ間柄だという。
それもあって、九十九兄弟にとってはこの上なく気になる存在だった。
九十九兄弟にとって、幸多は、数少ない――いや、たった一人の友達といっても過言ではないからだ。
幸多の友達がどんな人間で、普段、どんな風に接しているのか、どこまでの仲なのか、少しでも詳しく知りたかった。
「幻想訓練をするつもりだそうだよ」
「うおっ!?」
「わっ!?」
「そんなに驚くかな」
義一は、九十九兄弟がこちらを振り向くなりその場に尻餅をつくほどの反応を見せたのが面白くて、笑ってしまった。
二人は、道場の様子を気にする余り、背後への注意を怠っていたのだ。だから、義一が特に気配を消さずとも、忍び寄ることができたというわけである。
「驚かせたのはそっちだろ」
「そうだよ、義一くん、ひどいよ……」
「驚かせるつもりは一切なかったんだけど……」
義一は、黒乃が半泣きになりながら文句をいってくるものだから、なんだか申し訳なくなってしまった。真白はともかく、巻き込まれただけの黒乃には、同情を禁じ得ない。
「……まあ、いいや。幻想訓練だって? なんでまた」
「理由までは知らないよ。幸多くんが道場の使用許可を求めたことしか聞いてないしね」
「んだよ、使えねえ奴」
「ごめんね、義一くん」
「いや、いいよ。いつものことだし」
黒乃が困り果てたように謝罪してきたのに対し、義一も苦笑するほかなかった。真白が悪態をついてくるのは、いつものことだ。
だから、第八軍団に身の置き場がないくらいの状態になってしまったのだろう、と、義一は想像してしまう。
つまりは、九十九兄弟の性格の問題である。
でなければ、二人が第八軍団で爪弾きにされている理由がない。
それくらい、二人の才能と実力は申し分がなかった。
二人とも類い希な魔法技量の持ち主なのだ。
真白は、防型魔法を大得意としており、広範囲に渡る魔法壁を展開することも、複数対象の魔法盾を発動することも容易く行って見せた。問題点があるとすれば、彼の性格面くらいだ。それ以外は優秀極まりない。
黒乃は、攻型魔法の優れた使い手だ。攻型魔法の威力だけならば、戦団でも上位を狙えるのではないかと思えるほどだった。精度と安定性に欠けるが、それ以外は及第点どころの話ではない。
つまり、九十九兄弟は、超優秀な魔法士兄弟だということだ。
しかし、そんな二人は、第八軍団では上手くいっていないという。
小隊を転々としていて、軍団長すら扱いに困り果てているというくらいだ。
その原因が二人の性格にあることは、この一ヶ月余りの共同生活で思う存分に理解できたのが、義一である。
黒乃は引っ込み思案で消極的、さらに怖がりなところもあり、それ故に小隊任務中に他の隊員から色々と言われてしまうことが多かったようだ。それに対し、おもむろに牙を剥くのが、真白である。
真白は、黒乃とは正反対の性格の持ち主の上、黒乃への発言一つ一つに強い引っかかりを覚えるらしい。
その結果、口論から喧嘩に発展し、小隊から弾き出されることが多かったようだ。
第八軍団長が九十九兄弟を夏合宿に送り込んできたのは、無論、二人の才能を理解してのことでもあるだろうが、二人の性格が少しでも矯正されることを期待したのもあるに違いなかった。
二人――特に真白――の性格が多少でも落ち着けば、九十九兄弟が第八軍団の顔になる日も遠くはないのではないか。
義一は、そんなことを道場を覗き込む真白の後ろ姿を見て、想うのだった。




