第六百六十六話 親友(五)
幸多は、相変わらずだった。
少なくとも、圭悟にはそう見えたし、それ以外の五人にもよく知っている彼の姿そのものだった。立ち居振る舞いからして、いままでの彼とほとんど変わりがない。
戦団に入り、閃光級導士にまで昇格しても、偉ぶるということがなかったし、これまで通りの彼がそこにいた。
ただし、顔つきは、精悍さが増したように思える。
出逢ったばかりのころのあどけなさは大きく薄れていて、日々、戦士として成長しているのだと実感させた。
それとともに、遠ざかっていくような感覚も、ある。
寂しいが、それが一般市民と戦団導士の間に横たわる現実なのだから、どうしようもない。
「合宿中で暇なんてないだろうに、すまねえな」
「最後の追い上げをしてる真っ最中だからね。そりゃあ暇なんてないよ」
などと、幸多が屈託なく笑いかけてきたものだが、圭悟たちは顔を見合わせるほかなかった。
導士合同強化訓練。
通称、夏合宿。
伊佐那美由理が提案したというそれは、将来有望な若手導士を集め、時間の許す限り鍛え上げるというものであり、期間中、対象の導士は任務を外れ、鍛錬だけに専念することを求められていた。
戦団の戦力がどの程度底上げできるものかを図るためのものであり、上手く行くようであれば、定期的に開催されることになるはずである。
そして、それによって戦団の戦力が向上するのであれば、央都の平穏の維持のみならず、人類生存圏の拡大も夢ではなくなるのではないか。
そのような期待が夏合宿に込められているという。
以前、圭悟たちは、幸多自身からそのような話を聞いていた。夏合宿が始まった当初の花火大会でのことだ。
その日の出来事は、忘れもしない。
機械事変が起きただけではない。
圭悟たちは、幸多に窮地を救われ、九死に一生を得たのだ。
そのときの光景は、圭悟たちの網膜にいまもはっきりと焼き付いているほどだ。
それに、愛理のこともある。
圭悟たちが砂部愛理という少女と知り合ったのは、花火大会の日のことだった。
幸多によって救われたという少女は、彼への好意を隠さなかった。もしかすると恋敵になるのではないか、などと、真弥や紗江子を警戒していたというほどだ。
恋に恋する乙女が、そこにいた。
もっとも、真弥と紗江子は、すぐに愛理と打ち解け、愛理に様々なことを教えたようだったが。
愛理のことが印象に残っていて、いままさに脳裏に思い浮かぶのは、彼女がマモン事変の数少ない被害者の一人だからであり、そのとき、幸多が近くにいたはずだからだ。
幸多がそのことを気に病んでいるのは、いうまでもないことだったし、聞きただす必要もなかった。
幸多は、他人のことを思い遣る人間である。
圭悟は、そういう幸多の人間性について、よく考えることがあった。
自分とは人としての作りがまるで異なるのは間違いなかったし、彼のような精神性は、どうやって培われたのだろうと思うのだ。
自分は決して幸多のようにはなれない。
それが良いか悪いかはどうでもよくて、ただ、そうなれないというだけのことだ。
そして、圭吾は、そんな幸多がたまらなく好きだった。人間として、心の底から尊敬している。
「皆だって、もうすぐ夏休みも終わるっていうのに、随分と暇なんだね?」
「暇……っちゃあ、暇か」
「暇……だね」
「返す言葉もないわね」
「はい、まったくです」
「あれ……そうなんだ?」
今度は、幸多が困る番だった。
冗談でいったつもりが、圭悟たち四人の反応を見る限りは、とんでもないところに直撃してしまったようだ。
しかし、法子だけは、相も変わらぬ不遜な笑みを浮かべていた。
「暇なものか。我孫子雷智と遊び歩くのに時間が足りないくらいだ」
「だったらなんでまたここまで連れてきたんだよ……」
圭悟が誰にも聞こえないくらいの小声でつぶやいたのを幸多は聞き逃さなかったが、敢えて拾わなかった。法子にも聞こえているかもしれないが。
「しかし、きみのことが少し気になったのだよ、皆代幸多」
「ぼくのことが、ですか?」
「それはそうだろう。きみは、大事な友人だ」
「友人……」
幸多は、法子の紅い瞳を見つめながら、思わず反芻した。彼女の口からそのような言葉が出てくるとは想いも寄らなかったからだ。
「わたしに友人は少ない。なぜかはわからないが……」
「それ、突っ込み待ちですか?」
「どういうことだ?」
「……本当にわかってないんだ」
わけがわからないとでもいうような法子の反応を受けて、圭悟は、頭を抱えたくなった。法子以外の全員が圭悟に同情する。が、助け舟は出さない。やぶ蛇になるだけだ。
「ともかく、だ。数少ない友人の中でも、導士の友人といえば、きみしかいない。そんなきみが躍進を続けているとなると、誇らしく思うのは当然のことだな」
「誇らしく……ですか」
「そうだ。皆代幸多」
法子が急に立ち上がったので、幸多たちは少しばかり驚いた。
法子は、そんな周囲の反応など無視するように幸多に歩み寄ると、彼の手を取った。幸多の手の無骨さは、対抗戦部のころよりもさらに進化していて、そのことが法子には素晴らしいことのようにも思えたし、痛ましいことのように思えてならないのだ。
「きみが導士として、日夜、央都市民のために命を懸けて戦ってくれていることを、市民代表として感謝させて欲しい」
「え、えーと……先輩?」
幸多は、法子の申し出に困惑を隠せなかった。
法子が自分を市民代表というのには、いかにも彼女らしさが現れているのだが、それよりも、その言葉に込められた意味や想いの強さにこそ、心を打たれるのだ。
縦横無尽にして傲岸不遜――それこそが、黒木法子という人物を端的に示す言葉だ。
かといって、彼女に思い遣りが一切ないかといえばそんなことはないことくらい、幸多もよく知っている。
だからこそ、法子は、最後まで対抗戦に付き合ってくれたのだし、優勝に貢献してくれたのだ。
「そして、そんなきみに少しでも力になれることがあるというのであれば、いって欲しい。わたしたちのような一般市民にできることなどたかが知れているがな」
「お、おう、そうだぜ、幸多。おれたちにできることがあるなら、なんだっていってくれよ。おまえの力になりたいんだ」
「力に? ぼくの……?」
幸多は、法子と圭悟の顔を見比べ、二人が力強く頷くのを見て、激しく感情が揺さぶられるのを認めた。
こんなにも自分のことを想ってくれている人達がいて、支えてくれようとしているという事実を目の当たりにすれば、ついさっきまで張り詰めきっていた気が緩むのも当然なのかもしれない。
幸多の視界が揺らめいた。
「皆代くん?」
「ちょ……だいじょうぶ?」
真弥たちが慌てたのは、幸多が急に俯けた顔を腕で拭い始めたからだ。まさか、幸多が涙を流すほどの反応を見せるとは想いも寄らない。
しかし、幸多にとっては、友人たちが訪問してくれただけでもこの上なく嬉しかったのに、あのようなことをいってくれるとは想定外も甚だしく、感極まるのも当然のことだった。
幸多の脳裏を対抗戦の日々が閃光のように過った。
あの青春の日々は、今や遠い昔のことのようだが、しかし、幸多にとって忘れがたい時間でもあった。
圭悟たちと知り合い、法子、雷智と知り合い、魚住亨梧、北浜怜治を巻き込み、対抗戦部一丸となって決勝大会に挑んだ日々。
それもこれも、幸多を戦団に送り込むためだった。
皆、対抗戦とは無縁の天燎高校の学生だというのにも関わらず、幸多のためにこそ、尽力してくれたのだ。
思い返せば、あの頃から、全員が幸多のことを想ってくれていた。
「先輩、皆……ありがとう」
幸多は、泣き笑いの顔になりながら、圭悟たちに感謝の言葉を述べた。
それは本心からの言葉だったし、想いだった。
皆がいなければ、いまの自分はいない。
紛れもない事実が、幸多の感情を激しく揺さぶるのだ。
涙が、止めどなく溢れた。