第六百六十三話 親友(二)
『央都市民の皆さん! いまこそ立ち上がるときです! このまま戦団の横暴を許していいはずがありません!』
「はあ?」
圭悟が思わず声を上げ、その厳つい顔をさらに険しくしたのは、突如として耳朶に突き刺さってきた大音声のせいだった。
圭悟以外の三人も、どこからともなく聞こえてきた男の大声に眉根を寄せるなりしながら、きょろきょろと周囲を見回している。
四人が歩いているのは、葦原市中津区本部町の大通りである。
その名の通り戦団本部の所在地であり、戦団のお膝元として知られる場所だ。同時に、央都の中央にして葦原市の中心部でもあり、大都心とでも言うべき場所でもある。
夏休みも最終週を迎え、常ならぬ人混みが本部町の大通りを満たしているのだが、そんな喧噪を突き破るようにして聞こえてきた大声は、魔法か魔機を用いたものに相違なかった。
大気が震えるほどの大声には、道行く人も思わず足を止め、音声の発信源を探したほどだ。
それくらいの大音声なのだ。
「なんだ?」
「誰だよ、こんなときに騒がせるなんて、どうかしてるぞ……」
「本当よ……ようやく、安定してきたっていうのに……」
様々な周囲の反応を聞きながら、圭悟は、数台の大型車が大通りの片隅に止められているのを見た。それらの車両は全て改造車であり、屋根の上になんらかの機材が設置されていた。
そして、その機材が空中に巨大な立体映像を投影しているのだ。
立体映像は、さながら巨人のように町中に現れていて、スーツ姿の男性が力説している様がはっきりと見て取れた。
『戦団は、市民に対する説明責任から逃れ続けています! 央都が、双界が、サタンと名乗る鬼級幻魔によって危機に曝されてきたという重大な事実を隠蔽してきた罪は、問い質さなければなりません!』
「……で、どうすんだよ?」
立体映像の男の力説を聞き終えて、ぼそり、と、圭悟がつぶやいた。
「どうしようもねえだろが」
「そうだね、どうしようもないね」
蘭は、圭悟の気持ちが痛いほどわかるから、同意するしかない。それは、真弥も紗江子も同じ気持ちだったが、真弥には気になることがあった。
「あれ、有名な人じゃない?」
「ええ。確か、反戦団運動の急先鋒に立つ……」
「三宮吉行だよ」
「そうそう、三宮吉行。って、やっぱり知ってたんだ?」
「有名人だからね」
蘭は、真弥の納得顔を横目に見て、もう一度、三宮吉行の立体映像を見遣った。五メートルはあろうかという巨大な立体映像は、しかし、央都の法律を破ってはいない。
三宮吉行の姿を完璧に再現した精巧な立体映像だ。三宮吉行の潔癖極まりない性格をそのまま体現したかのような容姿は、整っているといわずにはいられないだろう。整髪料をたっぷりに塗りたくった髪は、きっちりかっちり整えられており、演説のためにどれだけ激しく体を動かしても全く乱れることがなかった。
神経質そうな顔つきで眼光は鋭く、眉毛も整えられている。髭はない。元々薄いのかもしれないが、脱毛しているのではないかと噂されている。華奢な体つきだが、生まれながらの魔法士である以上、筋肉など必要ないというのが一般的な考えではあった。
身につけているのは、高級そうなスーツだ。彼が所属する反戦団団体の紋章が胸元に刻まれている。
反戦団団体〈明けの明星〉の紋章は、金星を連想させる金色の球体と、その上部に輪っかが乗っているというようなものである。
つまり、彼が着込んでいるスーツは、〈明けの明星〉の制服ということだろう。
見れば、改造車の車体にも〈明けの明星〉の紋章が描かれていたし、〈明けの明星〉と大きく記されてもいた。
「反戦団運動って……なんだよ」
圭悟が、吐き捨てるようにいう。
「おれたちの生活は、戦団があってこそだろが」
「そう……だね」
「まったくよ。わたしたちがこうして平気な顔で街を歩いていられるのだって、導士様たちが毎日見回ってくれているからだし」
「市内全土、どこもかしこも見守っていてくださるから、ですね」
真弥に強く同意しながら、紗江子が頷く。
周囲の市民も、大半が圭悟や彼女と同じ意見のようであり、立体映像に対し、否定的な野次や罵声が飛び交っていた。怒号も聞こえてくる。
戦団を根幹とするのが、この央都社会だ。
戦団を否定するということは、即ち、央都の在り様そのものに疑問を呈すると言うことにほかならず、それは、これまでの歴史の全否定とも受け取られかねない。
央都に生活する人々にとって、過去を否定することなど出来るわけがなかった。
戦団が積み上げてきた大量の死の上にこそ、この生活が成り立っている。
その事実は、市民の誰もが学ぶことだ。
子供のころから大人になるまでの間、いや、大人になってからこそ、よく学び、胸に刻んでいくことのはずなのだ。
人類生存圏を切り開き、維持するために、戦団がどれほどの犠牲を払ってきたのか、想像するだけで気が狂いそうになるのは、圭悟だけではあるまい。
年に一度、英霊祭が執り行われるのは、この人類生存圏が数多の英霊の存在によって成り立ったことを思い出させるためだったし、市民がそのことを胸に刻むためなのだ。
幸多も、そんな英霊の一人になりかけた。
「馬鹿馬鹿しい」
圭悟は、反戦団運動家の立体映像を睨み付けると、魔力を練り、律像を展開した。
「魔法?」
「うるせーからな」
「なるほど」
蘭は、大いに納得すると、圭悟が魔法を発動するのを待った。すると、圭悟を中心とした狭い範囲を見えざる遮音壁が包み込んだ。
「これで騒音なんて気にせずに歩けるね」
「騒音……確かにそうですが」
真弥の一言に紗江子が笑みを零す。
相変わらず、圭悟は苦い顔をし続けていたが、〈明けの明星〉のくだらない主張が聞こえなくなったことで多少なりとも溜飲が下がったようだった。
「なんで取り締まらねえんだろうな」
「戦団?」
「戦団でも、政庁でも、さ。あんなの野放しにする理由がねえだろ」
「ああいうのでガス抜きしてるんじゃないのかな」
「そうか? 反戦団運動だかなんだかやってる連中が調子に乗るだけじゃねえのかな。〈スコル〉みたいに、だな」
「それは……」
圭悟の杞憂とは言いきれず、蘭は、立体映像を見遣った。三宮吉行の声は遮音壁の内側には一切聞こえてこないが、巨人がなにやら熱弁を振るっている様子だけは伝わってくる。
汗すらかいているように見えるのは、その立体映像が本人を完璧に再現しているからだろう。
その完成度が人々の反感を買うのに役立っているのは、皮肉めいているのだが。
「そのときには、戦団が滅ぼすだけだろう」
「滅ぼすって」
遮音壁の内側に飛び込んできた外野の声に対し、圭悟は、思わず眉根を寄せた。ふと隣を見れば、当然のような顔をして、四人組に紛れ込んでいる人物がいた。
「なにしてんすか、先輩」
圭悟は、無意識に後退りかけて、その人物を見つめた。艶やかな黒髪に真夏の暑さを全身に浴びるような黒一色の衣服を身につけた女。その紅い瞳が、日の光を反射して輝いていた。
黒木法子である。
「皆代幸多のところへ行くのだろう? わたしも久々に顔を見ておきたいと思っていたところだ」
「はあ?」
「そんなこと、まったく考えてなかったんですが……」
「ごめんなさいね、法子ちゃん、言い出したら聞かないから」
そういって慌てて割り込んできたのは、法子の保護者こと我孫子雷智だ。
法子とは違って開放的な衣服を身につけた彼女の豊かな胸が揺れる様は、圭悟にとって大いなる目の保養とはなったものの、彼は、どうしたものかと頭を抱えることとなった。
「それは……まあ……理解していますが……」
圭悟は、雷智にいわれるまでもなく、法子の性格をある程度は理解していたし、だからこそ、困り果てるしかなかった。
法子がそう言い出した以上、幸多の元へ向かう以外にないからだ。
幸多がいるのは、伊佐那家本邸である。
伊佐那家本邸に、ただの一般人が入れるわけがなかった。