表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
648/1237

第六百四十七話 彼について(三)

 医療棟で意識を取り戻した幸多こうたは、翌朝には、病室を引き払うこととなった。

 幸多の体が完全に回復したことが確認されたからであり、それもこれも、体内に投入された医療用分子機械のおかげだという話だった。

 幸多は、自分のために分子機械の開発を推し進めたというイリアに感謝を述べようと考えたが、生憎あいにくイリアは事後処理等で多忙を極めており、直接逢って言葉を交わす暇もなかった。

 通信機越しに感謝を述べるに留まっている。

 それだけでも、しないよりはましだろう、と、彼は考えるのだ。

(別に挨拶なんてしなくたって、悪印象を持たれるなんてことはないだろうけれど)

 それでも、と、彼は思案してしまう。

 幸多は、医療棟を辞すると、その足で伊佐那いざな家本邸に向かった。

 まだ八月。合宿期間中である。

 心身ともに回復したというのであれば、すぐにでも合宿に参加するべきだろう、と、彼は、考えたのだ。

 もっとも、美由理みゆりは、一日二日くらい休んでもいい、といってくれたのだが、彼が断った。

 体を動かさずにはいられなかったからだ。

 美由理は、そんな幸多のはやる気持ちを抑えるようにして、いったものだ。

『無理だけはするな。これは師として、軍団長としての命令だ。体の何処どこかにわずかでも違和感を覚えたのであれば、訓練を切り上げ、体調の回復に専念したまえ。それもまた、導士の立派な仕事だ』

『わかっています、師匠』

 彼は、そういって、戦団本部を後にしたものである。

 美由理は、戦団本部に残った。

 昨日の今日だ。

 軍団長である美由理には、やらなければならないことが山積みだった。

 彼もまた、マモン事変の中心人物ということで色々と聞かれるものだとばかり想っていたのだが、どうやら、幸多から得られる情報のほとんどが精密検査中に頭の中から取り出されたということのようだった。

(問答無用で頭の中を覗き込まれるのは、良い気分がしないな……)

 彼は、以前行われたノルン・システムを用いた精密検査のことを思い出した。幸多の脳内から記憶を映像として取り出して見せたそれは、彼にとって予期せぬ事態を招きかねないものかもしれなかったからだ。

 彼は、伊佐那本邸から迎えに来てくれた伊佐那義一(ぎいち)法機ほうきまたがって、本邸までの道程みちのりを短縮することとした。

 義一を呼び出したのは、美由理である。体調は万全だといっているにも関わらず、信じてくれなかったのか、心配しすぎたのか。

 過保護だと思わざるを得ないが、致し方のないことかもしれない。

 幸多は、無茶をし過ぎる嫌いがある。

 特に仇敵きゅうてきたるサタンを目の当たりにすると、歯止めが利かなくなる。

 こればかりは、どうしようもなかった。

 目の前で最愛の父親の命を奪い去った相手なのだ。

 復讐の対象であり、全存在をけてでも滅ぼすべき存在。

「全存在をけて……か」

 彼の脳裏のうりに浮かんだのは、天使型幻魔ドミニオンと鬼級幻魔マモンが言い合う光景である。

 互いに全存在を懸けて、あの場にいた。

 そして、幸多は、己の全存在を懸けて、サタンに立ち向かったのだ。

 その結果、自分がどうなろうと知ったことではなかった。

 それが皆代みなしろ幸多という人間だということを、彼はだれよりもよく知っている。

 だから、困るのだが。

「なにかいったかい?」

「ううん。なにもいってないよ」

 幸多は、義一の反応によって、胸中でつぶやいたつもりが口に出てしまっていたことに気づき、慌てて否定した。

「そう。風の音だったのかな」

 義一がひとりつぶやきながら、法機の高度を上げていく。

 戦団本部上空から北西へ。

 空を行けば、伊佐那家本邸まで一っ飛びだ。余程のことでもなければ、空に市民が満ち溢れることなどはない。

 その余程のことというのは、大規模幻魔災害が起きたときをいうのだが、その場合でも、地上を逃げることのほうが安全だったりもする。

 空を飛ぶということは、魔法を使うということであり、魔力を練成するということだ。

 それは、幻魔の目に付く可能性のある行いであり、故に、幻魔災害の発生時には、魔法を使わずに避難誘導に従うほうが良いとされている。

 実際、飛行魔法を使って現場から離れようとしたがために、幻魔に攻撃され、重傷を負った市民の数は数え切れない。死亡者も出ている。

 緊急時ほど、魔法は使わないほうがいいというのが、この魔法社会の歪なところかもしれない。

 そんなことを考えていると、義一が背後を振り向いてきた。風に揺れる彼の黒髪は、陽光を浴びて、輝いている。

「……本当に大丈夫なのかい?」

「ぼくのこと?」

「うん」

 当然だといわんばかりに、義一は頷く。

「皆、心配してたよ。きみのことも、愛理あいりさんのこともね」

「ああ……」

 思わず唸ったのは、愛理のことを思い出したからだ。砂部いさべ愛理という少女のことについては、美由理は、なにもいわなかった。美由理だけではない、めぐみも、イリアも、彼に関わる誰一人として、だ。

 幸多の精神状態を考えてのことだろう。

 幸多が愛理のことを特別大切にしていたことは、誰の目にも明らかだった。愛理もまた、幸多のことを誰よりも特別視していた。

 そんな愛理が、幸多の目の前で姿を消したのだ。

 それが愛理の魔法の暴走の結果であり、幸多には為す術がなかったのだとしても、その心に深い傷を負うのは当然のことだった。

 幸多のような多感な人間ならば、尚更だ。

 だから、美由理たちは、幸多の精神状態が安定するまでは、出来る限り愛理の話はしないようにと考えていたのかもしれない。

 一方の義一は、美由理たちの気遣いなど知りようもなければ、幸多のことを心配するあまり、愛理に言及してしまったのだろうが。

「ぼくは、大丈夫だよ。本当に、大丈夫だから」

 念を押すのは、そうでもいわないと信用してくれないのではないかと思えたからだったし、義一という少年のことを掴みかねているということもあった。

 義一が、幸多にとって戦団における数少ない友人の一人だということは、理解している。

 幸多は、人懐ひとなつっこいほうではあったし、相手次第ではすぐに打ち解けられる積極性も持ち合わせている。

 相手次第というのは、相手が魔法不能者に対して差別的な意識を持っているかどうか、ということだ。

 魔法社会は、魔法を原理原則とする。

 魔法不能者は、魔法社会において爪弾つまはじきにされても仕方のない存在であり、それは、戦団であっても大差はない。

 ただし、戦闘部以外の部署ならば、話は別だ。

 戦闘部以外の大半の部署には、少なからず魔法不能者が職員として働いている。魔法不能者は、魔法の習熟に時間を割く必要がないため、専門的な技術、知識においては、魔法士よりも優秀であることが多いからだ。

 そして、そうでなければ、魔法社会で生き抜くことは難しい。

 もっとも、導士の大半の考えとしてあるのは、市民は導士によって護られるべきものであり、導士は、命を懸けて市民を護るべきものである、というものだ。そして、魔法不能者ならば、なおさら、護るべきものであり、護られるべきだという考えが、圧倒的に強かった。

 魔法不能者に幻魔と戦う力などないのだから、至極当然の結論だ。

 特に幸多は、完全無能者なのだ。

 護られてしかるべき存在だと認識する導士が多いのは、当たり前のことだった。

 だから、幸多が戦闘部の導士であることに疑問や不満を持つものもいないわけではない。

 しかし、戦功を上げ、実績を積み重ねれば、そういった声も少なくなっていくものだし、幸多に対する視線や態度も変化してきている。

 いまや閃光級二位なのだ。

 今年度、戦団に入ったばかりの新人導士で幸多以上の速度で昇進したものはいない。

 それはつまり、それだけ幸多が戦団に多大な貢献を果たしてきたということだ。

 無論、戦団上層部の思惑も働いているにせよ、そこを否定するものはいまい。

 それに相応しいだけの実績を積んできているからこそ、不満の声も上がってこない。

 さて、そんな戦団の中にあって、幸多が仲良くしている導士というのは、それほど多くはない。

 同じ第七軍団ならば伊佐那義一くらいのものだったし、後は第八軍団の九十九つくも兄弟、同時期に入団した草薙真くさなぎまことを始めとする対抗戦優秀選手たちくらいのものといっていい。

 後は、師匠である伊佐那美由理と、窮極幻想計画を主導する日岡ひおかイリア率いる第四開発局の技術者たち、医務局の妻鹿愛――。

 それくらいで、幸多の人間関係の幅というものは、本当に狭い。

 それでも、彼は、義一との距離感を図りきれずにいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ