第六百四十四話 戦団の選択(三)
戦団本部の復旧作業は、マモン事変の終息から半日足らずのうちに終わり、翌日にはあらゆる機能が元通りになっていた。
戦団本部の中枢が地下最深部にあり、地上にあるのは、表面的なものでしかないということも、この凄まじいまでの復旧速度と関係しているのは間違いない。
二体の禍御雷が急襲したことと、雷の巨人が出現したことによる戦団本部の被害は、地上に表出している建造物、施設に関連するものばかりであり、地下に隠されたあらゆる設備、あらゆる構造物が無事だったのだ。
第四開発室に属する導士の大半が難を逃れたのも、真の第四開発室において、窮極幻想計画に関する会議が行われていたことが大きい。
技術局棟は、医療棟や本部棟とともに最重要攻撃目標にされていたとしてもおかしくはないのだ。
技術局が戦闘部を支えているのは、誰の目にも明らかであり、戦団を機能不全に陥らせるという目的であれば、技術局棟を攻撃するのは理に適っている。
複数名の技術局の技師が負傷し、命を落としたものもいるほどだ。
その事実は、戦団にとって多少なりとも痛手となっている。
「マモン事変か」
イリアは、美由理が務めて冷静さを失わないようにしているような気がしてならず、戦団本部を見渡していた目線を彼女に向けた。
場所は、医療棟の屋上。
イリアと美由理、そして妻鹿愛の三人だけが、特殊合成樹脂製の柵に囲われたその場所にいる。
先程も述べた通り、昨日中に復旧した医療棟は、現在、全力で稼働中である。
マモン事変と名付けられた大規模幻魔災害が起きたのは、つい昨日のことだ。
たった一日しか経過していない。
戦団本部は、一見すると静謐を取り戻しているが、央都市内、いや、双界全土の混乱は収まるどころか、広がりを見せ続けているのだ。
「護法院の判断は正しかったのかねえ」
医務局長の妻鹿愛が、吹き抜ける風に白衣を揺らめかせながら、煙を吐いた。電子煙草の煙は、一切の毒素を持たないし、仮に多少なりとも毒を持っていたとしても、現代人ならば瞬時に分解してしまうだろう。
酒も煙草を始めとする人体にとって多少なりとも有害な嗜好品の大半は、いまやその有害性を完全に除去されており、故に常習性も存在しないのだが、酒好きは酒を飲むし、煙草好きは煙を吐き出すのだ。
そればかりは、現代魔法社会でも変わっていない。
そして、それが問題になることもない。
害がないのだから、当然だろう。
時折、煙草の煙が鬱陶しい、などということで口論になったりすることもあるようだが、大した問題ではなかった。
少なくとも、人体に害を及ぼすよりは余程気楽な問題だ。
「〈七悪〉の存在を明らかにしたこと?」
「ほかになにがあるのさ」
「ないけど」
イリアは、愛が屋上の柵に背中を預ける様にするのを横目に見て、再び美由理に目を向けた。
美由理は、戦団の制服であり、イリア、愛と違って白衣を身につけていないために目立った。
だからどう、ということもないのだが。
休憩時間中に三人が集まれば、どうしてもこうなってしまうだけのことだ。
「まあ、でも、明らかにするしかなかったんじゃない? この二ヶ月、異常だったもの」
イリアは、大規模幻魔災害の頻発しすぎたことについて、いっている。
この二ヶ月、央都四市のみならず、双界全土で幻魔災害があまりにも多く起きていた。
央都が地上に誕生して五十年近くの間、これほどまでに幻魔災害が集中的に発生した記録はなかったし、より長い歴史を誇るネノクニにおいてもそのような記録はなかった。
魔法大戦時や混沌時代の記録を漁れば、匹敵するかそれ以上の頻度を確認することもできるかもしれないが、現代とはなにもかもが大きく違う昔と比較しても、なんの意味もない。
双界の住民が、この幻魔災害の頻度や規模の大きさに対し、なにか違和感を覚え、不安を感じ、戦団に対する不信へと発展させたとしてもおかしくはなかったし、人類生存圏の存続そのものへの疑問すら投げかけ始めたのだとしても、致し方のないことだった。
昨夜から、各種報道機関が今回の幻魔災害に関連する様々なニュースを流しており、それは今朝から現時刻に至るまで続いている。
今日の昼になり、報道合戦が加熱しているのは、戦団が〈七悪〉に関する情報を公表したからであり、それもあって、双界全土が激震しているのだ。
これまで、幻魔災害は自然発生的に起こっているものだと考えられていたし、戦団もそのように公表していた。
しかし、ここしばらく双界を騒がせていた大規模幻魔災害は、〈七悪〉と名乗る鬼級幻魔の勢力が引き起こしていたものだという事実が公表されれば、これまで戦団が発表してきた情報が嘘だということになってしまう。
もちろん、戦団は、そうならないように慎重に公開する情報、言葉の取捨選択を徹底してきたのだが、だからといって、過去の発言と本日の公開情報を照らし合わした場合、いくつもの疑問点が浮かび上がるのは当然だった。
戦団の発表が、戦団への不信感を煽ることになってしまっている。
自分で自分の首を絞めているようなものだ。
だが。
「だれもが疑問を抱いていたわ。いままでここまで大きな幻魔災害が起きることもなければ、頻発するだなんて考えられなかったのが央都であり、ネノクニでしょう? それが、突然、なんの前触れもなく、連続的に起こり始めた。戦団がなにかとてつもない情報を隠しているんじゃないかって考えるのは、普通のことよ。わたしが一般市民なら、きっと、そう考えてるもの」
「そして、事実、戦団は市民に大いなる隠し事をしていたわけだ」
「戦団がこの央都の情報を徹底して管理し、統制していることは子供だって知っていることよ。そして、そのことそのものには反発はなかった。だって、そうしなければやっていけない世界だものね」
「ただ、やりすぎた?」
「どうかしらね。〈七悪〉の存在が明らかになった時点で公表していたとして、混乱は避けられなかったでしょうし、戦団への疑念は変わらず膨れ上がったでしょう。だって、戦団は昔から隠し事をしていたもの」
「特別指定幻魔壱号……か」
美由理は、嘆息とともにつぶやくと、脳裏に記録映像が過るのを認めた。
出雲遊園地に現れた特別指定幻魔壱号ダークセラフこと鬼級幻魔サタンは、どういうわけか人間に擬態していた。
しかも美由理がよく知る人物に、だ。
サタンがなぜ、あのとき、皆代幸多の姿をしていたのかは、わからない。
なにが目的だったのか。
なにか意図があったのか。
それとも、ただ、目の前に幸多がいたから、同じ姿をして見せただけなのか。
幻魔は、人類への限りない悪意の具現ともいわれている。
幻魔の言動は、全て、人類に対する皮肉であり、意趣返しであり、否定であり、拒絶であるという。
であれば、サタンが幸多の姿に擬態したのも、それなのかもしれない――とも、考えるのだが。
「そういえば、幸多くん、とっくに目覚めて元気に活動中らしいけど、本当に大丈夫なの?」
「医務局長の判断を疑うのかね、きみぃ?」
「めがみちゃんだし」
「いやいや、そこはむしろ疑わない理由にこそなるんじゃないかい?」
「ただのあだ名だもの」
「そこは冷静なんだ」
愛がイリアの冷ややかな対応にがっくりと肩を落とす傍らで、美由理は、幸多のことを思い出していた。
幸多は、マモン事変の最中に意識を失い、出雲基地に運び込まれたが、すぐさま葦原市の戦団本部に移送されることとなった。
というのも、戦団本部でなければ幸多の精密検査が行えないからだ。
幸多の体は、特別製だ。
一切の魔素を宿さない特異体質が故に、この世界でただ一人、第四世代相当の生体強化を受けている。
だから、彼は、生きていられるのであり、特別な対応が必要なのだ。