第六百四十二話 戦団の選択(一)
八月二十五日、出雲遊園地襲撃に端を発する同時多発大規模幻魔災害は、マモン事変と名付けられ、各種報道機関等によって知らしめられている。
その日、大規模幻魔災害が起きたのは、出雲遊園地以外では戦団本部を筆頭とする央都四市の戦団施設である。
戦団は、この度の事件に関して、どのように市民に説明し、どの程度の情報を公表するのか、頭を悩ませることになった。
戦団本部および各市の戦団基地が大打撃を受け、導士に多数の死傷者が出たことは、隠しようのない事実だった。本部や基地周辺の住民には避難命令が出されていたし、葦原市を覆い尽くすほどに巨大な幻魔が出現したことは、央都市民の多くが目の当たりにしている。
出雲遊園地が壊滅的被害を受けたという事実も、隠しようがなかった。
これまで、戦団は、〈七悪〉の存在を秘匿し、関連するあらゆる情報を隠蔽してきていた。
〈七悪〉。
鬼級幻魔サタン率いる悪魔の軍勢。
鬼級幻魔の集団にして、戦団最大の敵ともいうべき組織。
その存在を明らかにすることは、央都市民に余計な不安や心配、戦団への不信すらも抱かせることになるのではないか。
央都の秩序を維持し、平穏を護るのが戦団の役割であり、使命だ。
そのためならば、あらゆる情報を管理し、制御するのもまた、戦団にとって重要な役目だった。
そして、その役割を担うのが、戦団最高会議や護法院である。
情報局が独自に処理することも少なくないが、それは、情報局に任された範囲内のことだ。
今回ばかりは、戦団の首脳陣が頭を突き合わせて考えなくてはならなかった。
ここ数ヶ月、大規模幻魔災害と呼べるような規模の幻魔災害が頻発しており、機械型幻魔という新種の幻魔が確認されるようになったことは、市民の深層心理に多大なる影響を与え、日常生活への不安や、戦団に対する不信感を募らせるものも出始めているということは、戦団側も承知していた。
戦団としても、市民に隠し事をしたくてしているわけではない。
必要な情報は共有し、戦団と市民で手を取り合い、苦難を乗り越えていきたい――というのが、戦団の本音なのだ。
だが、しかし、それは楽観主義的とすらいえる願望でしかなく、あらゆる情報を市民と共有すれば、市民の間に混乱が膨れ上がることは間違いなかった。
だから、開示する情報の取捨選択が必要なのであり、サタン率いる〈七悪〉の存在を明かすべきかどうか、戦団最高会議は頭を悩ませてきたのだ。
そしてその会議の結果、この度、マモン事変を引き起こしたのが、鬼級幻魔マモン率いる幻魔の軍勢であると公表することが決まった。
鬼級幻魔マモンが〈七悪〉と自称する鬼級幻魔集団の一員であり、〈七悪〉が鬼級幻魔サタンを首魁とする勢力であるということも、だ。
さらに、鬼級幻魔サタンが、幻魔災害を意図的に引き起こすことのできる特異な能力を持った存在であり、この十年余りの間、央都で起きた数多くの幻魔災害がサタンによって引き起こされたものだということも、公表することを決めた。
戦団は、全てを明らかにすることによって、央都市民がどのような反応をするものなのか、試すつもりでもあった。
大きな混乱が起きるだろうし、戦団に対する不信感が爆発するかもしれなければ、戦団の責任を問う声も膨れ上がるかもしれない。
実際、戦団がもっと早く〈七悪〉の存在を明らかにし、市民に周知徹底していれば、もっと被害を小さくすることができたのではないか、という声が上がり始めていたし、ネノクニへの移住を計画する市民が現れ始めていた。
人類生存圏・央都は、もはや地上の楽園などではなく、〈七悪〉などという鬼級幻魔の集団が跳梁跋扈し、いつ何時大規模幻魔災害が発生するかわからない、地獄のような世界に成り果てたのだ、と。
もっとも、そうした反応は、市民の中でも極一部に過ぎない。
大半の市民は、戦団の報告に混乱こそしつつも、その上で央都で生きていくということはそういうことなのだと受け入れていた。
元より、幻魔災害は防ぎようがなければ、地上には幻魔が満ちている。
たとえ〈七悪〉の存在がなくとも、常に死の影に曝され、滅びの足音が聞こえているような場所が、人類生存圏なのだ。
央都四市の外周には、無数の〈殻〉が存在していて、それらから幻魔の軍勢が同時に攻め込んでくるようなことがあれば、それだけで央都は滅亡する。
戦団が全戦力を投入しても、どうにもならない。
それを理解していないものが央都市民を名乗るべきではない――などという過激な意見を述べる市民もいないではなかった。
それは、ある意味では事実ではあるのだが。
『市民の混乱は収まりつつあるということですが、本当に良かったのでしょうか?』
「なにがだ?」
神木神威は、幻想空間上に展開する会議室にあって、仮面のものたちを見ていた。暗黒空間に浮かぶ無数の仮面。
護法院の老人たちである。
『〈七悪〉の存在を明らかにすること、だろう』
「……遅かれ早かれ知ることだ。隠し続ける苦労を考えれば、全て明らかにしてしまったほうが手っ取り早い」
『情報局としては、ありがたい判断だが……』
上庄諱の面が神威を見て、暗黒空間に幻板を展開する。
幻板には、マモン事変の被害状況が纏められていた。
戦団本部、出雲基地、大和基地、水穂基地、そして出雲遊園地における幻魔災害の概要である。戦団本部では、戦闘要員、非戦闘要員の導士に死者が出ていたし、各基地でも少数の死者と多数の負傷者が確認されている。
マモンが出現した出雲遊園地の被害が一番少ない。
一人の少女が姿を消しただけで終わっている。
遊園地の設備等は徹底的に破壊され尽くしているが、人命が損なわれていない以上、損害は軽微であるとされるのが現代魔法社会なのだ。
物的損傷など、魔法でたちまち治ってしまう。
それが魔法社会というものだ。
人命だけは、魔法でも取り戻せない。
失われた命は、回帰しない。
『……戦団にこれほどの被害をもたらしたマモンの目的は、特異点の確保だった』
と、諱はいいながら、幻板に特異点の少女を映しだした。
マモンの目的そのものは、最初からわかっていたことだ。マモンが収容所から八名の囚人を浚っていったときに宣言していたからだ。
しかし、戦団は、それをこう受け取った。
戦団が認識している二名の特異点のどちらか一人、あるいは二人を狙っているのだ、と。
そのために特異点と名指しされた皆代幸多と本荘ルナは、厳重な監視下に置かれることとなった。
本荘ルナがマモンの狙いではないらしいことが大空洞で判明すると、皆代幸多の監視を強めることとなった。
そして、その判断そのものは、決して間違いではなかったことが、今回の事件で判明した。
『砂部愛理。彼女が、マモンの求める特異点だったわけだ』
諱が嘆息とともに告げた名には、神威も、当然のように覚えがあったし、強く印象に残ってもいた。
星央魔導院の早期入学試験を首席で合格し、過去の記録を塗り替えた逸材である。座学、実技、面接、全てにおいて最高点を叩き出した彼女は、将来、戦闘部の導士として輝かしい道を歩み出すに違いないといわれていた。
ほとんどの軍団長たちが砂部愛理の配属先として名乗りを上げたのも、彼女の才能に惚れ込んだからにほかならない。
伊佐那美由理、皆代統魔以上の才能が現れたのだ。
それほどの才能の塊ならば、自分の手で最高の魔法士に育て上げたいと想うのが星将というものだ。
魔法士の素直な欲求である。
そんな彼女が、まさかマモンの求める特異点であり、しかも、時空に干渉する星象現界を発動させるなど、誰が想像しよう。
この場にいる誰もが想像できなかった事態が、あの出雲遊園地内で起きていたのだ。