第六百四十一話 出雲遊園地にて
虹色の結界が消え失せ、出雲遊園地内部に入り込むことができたときには、明日良にするべきことなどなにもなかったといっていいだろう。
園内は壊滅的な被害を受けていて、多量の機械型幻魔の死骸がそこら中に転がっている中、虹色の光が散乱する様を見守ることしかできなかったのだ。
それになにより、雷光の柱が戦団本部へと集中していく様を見た。
となれば、明日良は戦団本部と連絡を取らなければならなかったし、戦団本部に出現した雷光の巨人が伊佐那美由理によって討伐されるのを確認するまで、ろくに動けなかったのだ。
動き出したときには、全てが終わっていた。
「マモンの目的は、皆代幸多ではなかった、か」
「まさか特異点がもう一人いるとは想像もつきませんよ」
「それも時間に干渉する星象現界の使い手とはな」
芦屋道魔が出雲遊園地の惨状に対応するように指示する傍らで、明日良は、矢井田風土から報告を受けていた。
矢井田風土は、明日良が保険として出雲遊園地に派遣していた二名の杖長の内の一人だ。もう一人の杖長、南雲火水は、意識を失った皆代幸多を出雲基地に搬送するために飛び出していったという。
杖長らしからぬ暴走ぶりだが、風土の報告を聞けば、理解できない行動でもなかった。
『話を総合するに、この度の大規模幻魔災害は、マモンが第三の特異点を手にすることを目的として起こしたもの――ということだな』
通信機越しに聞こえてきたのは、戦団総長・神木神威の威厳に満ちた声である。
その声を聞くだけで居住まいを正す導士が大半だったし、明日良も、緊張を覚える。
『第三の特異点――砂部愛理……か』
『砂部愛理さんについては、皆さんも御存知ですね。先日、星央魔導院の早期入学試験を過去の記録を塗り替える成績で合格した期待の新人です』
『皆、己が軍団に欲しがっていましたから、知らないわけありませんよ』
『その彼女が特異点だったとは……さすがに……』
『そして、サタンが出張ってきた、と』
『サタンが命令に従わないマモンを処断したのはわからなくはありませんが、なぜ、幸多くんと同じ顔をしていたのかしら』
『さて。ただ目の前にいたからなのか、それともなにかしら理由があるのか、なんの理由もないのか、皆目見当もつかんな』
様々に言い合う総長以下戦団上層部の面々を尻目に、明日良は、出雲遊園地の有り様を見渡していた。
壊滅的というほかない。
あらゆるアトラクションが倒壊し、遊園地内の全ての施設が破壊され尽くしている。原型など見当たらないくらいの被害だ。
とてもではないが、一朝一夕に直せるとは思えない。
が、そんなこともないのが、魔法社会というものだ。
幻災隊や多数の復旧業者の手にかかれば、あっという間に元通りに復元されてしまうだろう。
それは魔法社会の利点ではあるのだが。
「どうされました? 部下に命令もせずに突っ立って。なにもしないというのであれば、基地に帰投してくださればよろしいかと」
「……辛辣だな」
「疲れておいででしょう。軍団長たるもの、心身を休めるのも重要な仕事ですよ」
「全導士にいえることだ」
「それはそうですが……軍団長は、星象現界を使いになられた。であれば、まっさきに休むべきでしょう。また鬼級幻魔が現れないとも限りませんし」
「だ、そうだ」
「は、はあ」
明日良に話を振られ、風土は、生返事を浮かべるしかなかった。心身ともに消耗し尽くしているのは確かに風土も同じだが、明日良は二体の禍御雷との連戦を経て、さらに結界を調査するために星神力を消耗したというのだ。
そんな明日良と比較できるほどの消耗だったかどうかといえば、疑問が残るのが、風土だった。
現に、風土の相棒である火水は、幸多を担いで法機に飛び乗っていってしまった。
元気が有り余っているわけでもないだろうに、だ。
それだけ幸多のことが心配だったということは、わかっているのだが。
そして、幸多が意識を失うのも無理のない話だということも、理解している。
彼は、数え切れないくらい何度も同じ時間を繰り返してきたという。それが嘘や大袈裟などではないことは、彼の目を見ればわかる。
憔悴しきった目をしていた。
幸多は、本当に時間転移を繰り返し、身も心も消耗し尽くしたのだ。
だから、最後には立ったまま、意識を失っていた。
風土と火水がそんな彼を心配するのは、やはり、九十九兄弟のことが大きい。
九十九兄弟が彼に懐いているという事実は、二人にとってこの上なく重大なことなのだ。
風土と火水にとって、九月機関《くがつきかんn》出身者は、皆、家族そのものだった。
だから、九十九兄弟に仲良くしてくれる導士がいることが嬉しくて堪らなかったし、ようやく九十九兄弟にも居場所ができたのだと感慨深かったのだ。
そんな彼の力になれたのであれば、風土としても悪い気はしなかったのだが。
(彼は……無事だろうか)
風土は、直に出雲基地に運び込まれるだろう幸多の容態のほうが自分の身の安全よりも気がかりだった。
『砂部愛理が特異点で、それも、時空に干渉する星象現界の使い手だった。だから、マモンは彼女を狙い、そのために禍御雷を作り出した、か』
『禍御雷も機械型も、全部、戦団の戦力を分散するためだけの捨て駒だったけどね』
『最終的に出現した巨人だって、鬼級の足下にも及ばなかったみたいだものね』
戦団上層部の会議を聞きながら、イリアは、端末を操作する手を止めなかった。
無数の幻板に表示され、津波のように流れていく文字列は、今回の大規模幻魔災害における被害を伝えている。
七体の禍御雷を筆頭に、数え切れない数の機械型幻魔が、央都四市の戦団施設、出雲遊園地を急襲、とてつもない被害を撒き散らした。死傷者も多数、出ている。特に戦団の非戦闘要員に死者が出たことは、大きな問題になる可能性がある。
戦団本部や各基地は、どこよりも防備を整えた施設だ。強力な防壁に囲われ、様々な魔機が、幻魔災害の発生に備えている。
それでも死者が出てしまった。
六カ所の衛星拠点が攻撃を受けたという事実もあるが、これもまた、サタン一派によるものだということは疑うまでもないだろう。
機械型が混じっていたからだ。
機械型幻魔は、マモンが改造した幻魔であり、それ以上でもそれ以下でもない。
機械型が混じっているということはつまり、その幻魔の軍勢は、サタンの手のものと考えていいということだ。
要するに、衛星拠点への攻撃は、各地の星将への牽制とも受け取れるということだ。
イリアは、それらの情報を纏め上げる作業を進めながら、同時に出雲遊園地で起きた事象に関する報告にも目を通していた。
そのときだった。
イリアの執務室の片隅に置かれた長椅子が、大きな音を立てた。なにかが降ってきて、受け止めたような物音。
イリアがそちらに目を向けると、なにやらぬいぐるみを抱えた少女が座り込んでいた。そのぬいぐるみには見覚えがある。出雲遊園地のマスコットキャラクター・いずもんだ。それによって、彼女がどこにいっていたのかを察する。
「その空間魔法の使い方は誰に似たのかしらね」
イリアが嘆息すると、少女は、上目遣いにこちらを見てきた。
「……また勝手に飛び出して。皆心配していたわよ」
「だって、だって……お父さんに逢いたかったんだもん」
「いつか必ず逢わせてあげるって約束したでしょ。信じられない?」
「ううん、そんなことない。そんなことないよ」
少女は、首を左右に振り回すと、今度はイリアの膝の上に転移してきて、甘ったるい声でいうのだ。
「イリアママ」
「本当に困った子ね……アイ」
イリアは、アイの艶やかな黒髪を撫でながら、そういうほかなかった。
イリア以上の空間魔法の天才を制御する方法は、皆無に等しい。
「それで……お父さんには逢えたの?」
「逢えたよ。元気そうにしてた」
「そう……良かったわね」
「うん!」
アイの元気いっぱいの返事を聞きながら、イリアは、彼女の両親について思いを巡らせていた。
胸の奥がちくりと痛んだのは、きっと、気のせいだ。
人の心など、とっくに捨て去ったのだから、痛みを感じるはずがない。
だから、イリアは、アイが幻板を覗き込んでは、その目を輝かせる様を見つめ続けた。