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第六百三十七話 特異点(四十一)

 サタンが、目深まぶかに被ったフードに手をかけ、すみやかにその素顔をさらけ出したのには、どういう意図があったのか。

 幸多こうたは、明らかになったサタンの顔を見るなり愕然がくぜんとするほかなかったし、それはその様子を見守っていたほかの導士たちも同様の反応を示した。

 火水ひすい風土かざとも、驚きの余り声すら出せなかった。

 サタンが明らかにした素顔は、幸多たちにとって見慣れたものだったからだ。

 十代半ばの黒髪の少年。やや丸みを帯びた、しかしながら精悍な戦士の面構え。虹彩こうさいこそ幻魔そのものの輝きを放っているものの、目鼻立ちは、この場にいる誰もが知っている人物そのものだった。

「幸多くん!?」

「どういうことだ!?」

「ぼく……?」

 火水や風土、あるいは他の導士たちの反応が通信機越しに聞こえてくる中で、幸多は、サタンの顔を見ていた。

 鏡を見ているような感覚があった。

 毎朝、顔を洗うときに見る顔が、そこにある。

 虹彩や表情こそ異なるものの、顔の作りは、幸多そのものだった。

「声がそっくりだったのは、そういうことだったわけ!?」

「声がそっくり?」

「そうなのよ! サタンの声、幸多くんと同じ声なのよ!」

 火水が力説したのは、それだけサタンの声と顔に驚かされたからだ。

 まさか、戦団が当面の最大の敵と目していた存在が、導士と同じ顔をしていて、同じ声を持っているなど、想像しようもない。

 驚くべき事態だったし、恐るべき展開だった。

「どういう……」

《なにも驚くことはないだろう? 悪魔のかおだ。きみたちは、これまで散々悪魔に言い様にやられてきたじゃないか。少しくらいは学習しなよ》

 サタンは、幸多の顔、幸多の声で、幸多らしからぬ悪辣な表情をして、幸多とは思えないような軽薄な声音を響かせるのだ。

 それはどうにも皮肉めいていて、嫌味に満ちていた。

「……そうだったな。悪魔は、擬態ぎたいする」

「……そ、そうよね。あれがサタンの本当の顔なわけないわよね。え、ええ、わかっていたわ、わかっていたわよ!」

「なんで二回言うんですか」

 幸多は、火水に疑問を投げかけながらも、胸の奥底がざわつくのを抑えられなかった。

 サタンは、にく仇敵きゅうてきだ。

 父の命を奪い、数多あまたの幻魔災害を引き起こしてきた諸悪しょあくの根源。

 現在、人類生存圏がこれほどまでの災禍さいかに見舞われているのは、サタンが存在するからといっても過言ではあるまい。

 サタンが存在するから〈七悪しちあく〉が存在し、〈七悪〉が存在するから大規模幻魔災害が頻発ひんぱつし、大量の人死ひとじにが出ている。

 戦団がどれだけ力を尽くしても、全ての被害を防げるわけもない。

 もっと人手を増やし、人材を確保し、央都全土の防衛網を完璧なものにしたとしても、突発的な幻魔災害を無くすことはできないし、その被害を絶無にすることはできない。

 そればかりは、どうしようもないのだ。

 そして、そのような災害を積極的に引き起こしているのが、サタン率いる〈七悪〉なのだ。

 そのサタンが、擬態とはいえ、自分と同じ顔をして、同じ声で喋っている。

 そんな事実を受け入れられるほど、幸多の心は成熟していないし、精神面も鍛え上げられていない。

 怒りが噴き上がって、気がついたときには、魔法の網の上から飛び上がっていた。

 えている。

 だが、幸多の拳は空を切った。同じ顔をした悪魔が、軽々とかわして見せたのだ。そして、幸多の空振った腕を掴んだサタンは、彼と同じ顔で、こういうのだ。

《マモンが迷惑をかけたね。それは謝るよ。でも、ぼくなんかに構っていられる余裕はあるのかな?》

「なんだと!?」

《あの子、放っておいていいの?》

「っ……!?」

 幸多は、サタンの視線の先に誰がいるのかを瞬時に理解して、だから、サタンに投げ飛ばされるのを逆らわなかった。風土の魔法の網が幸多を受け止めてくるのを感覚として理解するなり、瞬時に飛び上がる。

 幸多の体は、サタンではなく、愛理あいりに向かっていた。

 愛理が放つ虹色の光は、周囲の空間をねじ曲げながら膨張を続けている。

 サタンのことは気がかりだったし、一矢いっし報いたいという気持ちもあった。だが、それ以上に愛理を放っておくわけにはいかないという想いが上回ったのだ。

 それを教えてくれたのがサタンというのがしゃくだったし、故に幸多は歯噛みする。

《まあ、そういうわけだから。ぼくは行くよ》

「待て! サタン!」

 叫んだのは、風土だ。圧倒的な力の差を前にして、全身が震えるのを止められないが、そんなことに構ってはいられなかった。

 サタンを見逃していいものか、どうか。

 戦団の導士として、そちらのほうが重要だった。

(いいわけがないだろ……!)

 風土は、己の心を鼓舞するように胸中で吼えた。

 サタンが、悠然とこちらを振り返る。その動作の一つ一つが幸多とは全く違っていた。幸多には、そのような余裕はない。いつだって全力全開で、だからこそ、応援したくなる。優しくしたくなる。

 だが、サタンには、敵意しか持てなかった。

《なにかな。ぼくだって忙しい身の上なんだけど》

「マモンを……同じ〈七悪〉を処断するためだけに現れたのか!?」

《そうだよ。マモンは、少々やりすぎたからね。おきゅうえなきゃならなかったんだ。本当はアスモデウスの役割なんだけど、彼女なりに親心もあってね。仕方なくぼくが直接出向いたってわけ》

 サタンは、幸多と同じ顔で、しかし、全く異なる表情でもって、風土たちに告げてくる。その挙措動作の一つ一つが、神経を逆撫でにする。

 幸多が善性ぜんせいの塊ならば、サタンは、悪性あくせいの塊だ。

《でも、おかげで絶望の種子はかれた。そうだろう? ここまで頻発する幻魔災害を食い止められないのは戦団の無能さ故。それは市民を失望させるには十分すぎるほどの失態だと想わないか?  きみたちは頑張ったけどさ。それだけじゃあ、どうにもならなかった。これから先、人類生存圏はどうなるんだろうね? 少しばかり、気になるよ》

 サタンは、そういって、軽く手を振った。彼の背後に闇が膨れ上がった。黒い太陽がその昏い輝きを増していく。

《では、さようなら。今度は……そうだね。〈七悪〉最後の一体が誕生する、そのときにまた逢うこととしよう》

「ま――て……!」

 風土は叫んだが、しかし、サタンの全身が闇の中に溶けていくのを食い止めることなどできるわけもなかった。

 サタンとの力量差は、戦わずともわかった。

 マモンですら、まともに正面から戦える相手ではなかったのだ。

 そのマモンを一撃で消滅させたのが、サタンだ。

 星象現界せいしょうげんかいの使えない現状では、風土と火水が力を合わせても、この場にいる全導士が力を結集しても、どうにかなる相手ではない。

 戦いを挑んでも、無惨むざんに皆殺しにされるだけだ。

 時間稼ぎにすらならないし、時間を稼いだところでどうなるものでもない。

 そのわずかばかりの時間で星将が結集するというのであれば、この命を擲つ意味もあろうというものだが。

「風土……」

「ああ、わかってる。これでいい。これでいいんだ。おれたちだけでは、サタンなんて相手にできるわけがない」

「ええ。そうね。見逃されただけでも良しとしないといけないわ」

「見逃された……か」

「そうとしか、言い様がないでしょ」

 火水の冷静な結論に、風土も異論を挟まなかった。

 その通りだ。

 サタンからすれば、この場にいる導士全員を殺戮さつりくすることなど、児戯じぎに等しかっただろう。なのに、サタンはなにもしなかった。

 ただ、幸多と同じ姿に擬態したということを見せつけるだけ見せつけて、消えてしまった。

 そこになんの意味があるのか。

 なにか理由があるのか。

 風土たちにはわからない。

 わかるのは、この場にもう幻魔がいないということであり、風土は、部下たちに気をつけて出てくるようにと指示を飛ばした。

 幻魔こそいなくなったものの、未だ愛理の光が乱舞している。

 時間転移を引き起こす光だ。触れてはならない。

 生物が触れればどうなるかはわからないにせよ、マモンの触手が光に飲まれて分解する様は見ている。

 光に触れた部分だけが時間転移した結果、死亡する可能性も考えられた。

 だから、風土と火水も、愛理に近寄ることができなかったし、幸多に任せるしかないと判断していた。

 愛理の元へと駆け寄る幸多は、散乱する虹色の光をものともしなかった。光を浴び、武装が崩壊していくのを気にも留めず、ただ真っ直ぐに駆けていく。

 時間転移の光すら、彼には関係がない。

 彼は、魔素を一切宿さない完全無能者だからだ。

 彼だけが、愛理の暴走を止めることができるのではないか。


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