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第六百三十五話 特異点(三十九)

 幸多こうたには、銃弾や砲弾が数限りなく殺到さっとうしてくる光景が、なぜか、この上なく緩慢かんまんに見えていた。鋭利な弾頭の形がはっきりと認識できるくらいにゆっくりと迫ってくるものだから、そのような攻撃なのではないかと疑ってしまったくらいだった。

 だが、緩慢なのは、一斉射撃だけではない。

 幸多の全周囲、あらゆるものの動きが緩慢だったのだ。

 火水ひすいが最後の力を振り絞って、禍津軍まがついくさ巨躯きょくや大量の触手を薙ぎ払う様も、風土かざとが部下たちに指示を送る様も、後方から飛来する無数の魔法弾も、前線に構築される魔法壁も、なにもかもが緩慢に行われている。

 時空が歪んでいるせいなのか、それとも、全く別のなにかが原因となって起こっている現象なのか。

 気にはなったが、考えている場合ではない。

 幸多は、砲弾と銃弾の隙間を擦り抜けるように前進すると、難なくマモンの眼前へと至った。翡翠ひすい色の髪の少年そのもののような悪魔は、悪辣あくらつな笑みを浮かべていた。幸多が接近したことすら気づいていないのかもしれなかった。

 無数の触手を変化させた銃砲火器を撃ち続けることで、幸多を一切寄せ付けまいといわんばかりだったし、実際、それで止めを刺せるはずだった。

 いや、そもそも、幸多が生き残っていることがおかしい。

 ドミニオンもろともに消し飛ばされていなければならない。

 命こそ奪わずとも、だ。

 それなのに、平然とした様子で幸多はそこにいて、あまつさえ、マモンを目前に捉えた。

 しかも、あれだけの満身創痍が完全に回復していて、全身に力が漲っていた。

 ふと、気づく。

 欠けていたはずの視界すらも元通りに戻っていて、左前腕に感覚があった。握り締めれば、力が湧いた。そしてそれらが愛理の魔法で吹き飛ばされたはずの義眼と義肢ではないということは、虹色の光を浴びたことで確信する。

 さらにいえば、律像が見えなくなっていた。

 つまり、幸多自身の、完全無能者の肉体。

 なのに、力が爆ぜるようにして、幸多を突き動かすのだ。

「おおおっ!」

 幸多は、無意識のうちにえていた。そして、復活した左拳でマモンの横っ面を殴りつける。マモンが目を見開くのがわかった。あまりにも遅すぎる反応。幸多の接近に気づいてすらいない。だから、避けようがなかったのだろう。

 幸多の拳がマモンの右頬にめり込んだかと思えば、青白い燐光と火花が散った。ありえない感触だった。マモンは、悪魔だ。鬼級幻魔であり、その肉体は堅牢極まる魔晶体であるはずだ。幸多の肉体を駆使した打撃が通用する相手ではなかったし、弾き返されるのが関の山だった。

 いや、それどころか、幸多の全身全霊の打撃が、幸多自身の体に跳ね返ってくるはずなのだ。つまり、左拳が粉々に吹き飛ぶのが正しい。

 なのに、マモンは顔面を苦痛に歪ませると、次の瞬間、思い出したかのように吹き飛んでいった。

 無数の銃器もろとも、物凄まじい勢いで吹っ飛んでいくマモンを目の当たりにして、幸多は、むしろ茫然としたものだ。

 左手を見れば、青白い燐光が消えるところだった。

 あの瞬間、この手になにが起こったのか、なにがマモンを吹き飛ばしたのか、幸多にはまるでわからない。

「幸多くん!?」

「な、なにをしたんだ? きみは……?」

「わ、わかりません」

 火水と風土が度肝を抜かれるのも当然だろう、と、幸多は、どこか冷静な部分で認識しながらも、二人と全く同じ気分だった。

 自分でも、なにが起こったのか、なにをしたのか、理解していないのだ。

 ただ、ドミニオンの死を感じ取り、突き動かされるままに殴りつけた。

 それだけのことだ。

 それだけのことが、通用した。

 マモンが触手を利用して起き上がると、右頬を抑えながら幸多を睨み付けてきた。

「なるほど。そういうことか。きみは特異点。これが、特異点」

 ぶつぶつとつぶやきながら足を地につけたマモンは、再び無数の銃火器を構え、幸多に射線を集中させた。

 よくよく見れば、マモンの右頬は大きく抉れたままであり、青白い燐光を帯びていた。それはどう考えてもおかしなことだったり、通常ありえないことだった。

 幸多のただの打撃が幻魔に通用することなどありえるわけもなければ、大きく抉れることなど考えられなかった。

 だったらなぜ殴りにいったのか。

 こればかりは、無意識というほかなく、冷静になって考えれば馬鹿げていたというほかない。

 せめて、ないんか武器を振るうべきであり、そのほうが余程致命的な一撃を叩き込めたのではないかと思えるのだが、しかし、それでは意味がないことも理解していた。

 確かに、マモンの魔晶体を切り裂くことはできるだろうが、魔晶核ましょうかくを破壊できない限り、瞬時に回復してしまうのはわかりきったことだ。

 だから、殴った。

 幸多は、左手で再び拳を作ると、マモンを見据みすえた。半身になり、真武しんぶの構えを取ると、一斉射撃に対応した。迫りくる銃弾、砲弾の数々を軽々と躱して見せる。

 凄まじい弾幕だというのに、幸多にはかすり傷ひとつつかない。

 幸多には、全ての弾丸が緩慢に見えている。

「特異点。特異点。特異点。特異点――どこもかしこも特異点だらけじゃないか。だったら、一人くらい殺しても、構わないよね」

 マモンの双眸そうおぶが赤黒く輝き、殺意がみなぎったかに見えたつぎの瞬間、触手の銃砲火器がさらに増加した。数百丁どころではない数の銃砲が、一斉に閃光を発する。無数の発砲音が同時に轟き、世界そのものが震撼しんかんしたかのようだった。

 幸多は、その瞬間の映像すらも緩慢に捉えていたし、隙間なく視界を埋め尽くしたはずの銃弾と砲弾の隙間を縫って、マモンに飛びかかっていた。

 マモンが再び目を見開いたときには、今度は、その腹に左拳を叩き込んでいる。抉り抜くような一撃。マモンが腰を折るのと、幸多が拳を振り上げるのは同じくらいだっただろう。

 凄まじい爆音が轟き渡る中、マモンの華奢な体が空中高く打ち上がっていく。触手が蠢き、全ての砲口が幸多に向く。

 地上への一斉射撃。

 これならば避けられまい、と、マモンは、腹に疼く痛みに歯噛みしながら考えたのだ。だが、無駄だった。

 幸多は、マモンの一斉射撃の真っ只中を突っ切ってきたのだ。

 マモンの脳内に疑問が生じた。なぜ、どうやって、これだけの弾丸の雨を突破できるというのか。雨などという生易しいものではない。豪雨どころか大瀑布といっても過言ではない数の銃弾、砲弾が、上空から地上の幸多へと降り注いでいたのだ。

 爆撃が、一瞬前まで幸多が立っていた辺り一帯を飲み込み、爆砕の連鎖がなにもかもを飲み込んでいく。爆煙が幾重にも折り重なって膨張していく真っ只中、マモンは、確かに見たのだ。幸多の左手のみならず、全身が青白い燐光を帯びている様を。

 それがなんなのか、マモンには理解できなかった。

 律像でもなければ、魔力でもない。ましてや、星神力とは断じて違う、なにか。

 それが幸多を砲撃から守ったとでもいうのだろうか。

 疑問が、興味が尽きない。

 だが、だからといって、戦いの最中にかいを求めるほど、マモンも愚かではない。眼前に迫った幸多に対抗するべく、魔法を想像した。

 なにも、触手を武器や防具にするだけがマモンの能力ではない。

 悪魔なのだ。

 魔法を使うのだって、お手の物だ。

 マモンの全身から複雑にして精緻な律像が展開するのと同時に、真言が彼の口を吐いて出た。

金銀財宝夢幻泡影ゴールデンタイム

「おおおおっ!」

 幸多が、雄叫びとともにマモンを殴りつけようとした瞬間である。マモンの全身が無数の金貨となって散らばり、幸多を包囲した。金貨一枚一枚にマモンの横顔が描かれていて、その片方だけの目が見開けば、凄まじい魔力の奔流が撃ち出されてきた。全周囲同時攻撃。が、幸多は、対応している。

「方陣」

 転身機が瞬けば、無数の展開型大盾が幸多の全周囲に展開し、あらゆる方向、あらゆる角度からの攻撃を受け止めたのだ。が、それも一瞬の時間的猶予を得たに過ぎない。マモンの攻撃魔法は、砲撃よりも余程強力だったのだろう。防塞が一瞬にして消滅し、どす黒い魔力の奔流がその中心点へと殺到した。

 無数のマモンの金貨が撃ち出した魔力光線が激突する様を見下ろしながら、幸多は、手近にあった金貨を殴りつけると、足元の金貨を蹴って、さらに別の金貨へと飛びかかり、殴りつけた。青白い燐光とともに金貨が爆ぜれば、マモンが苦悶の声を上げた。

 幸多は、方陣の召喚式を発動させた瞬間には、防塞の中心部から抜け出していたのだ。そして、まんまとマモンが集中攻撃する様を見届けたのであり、金貨に分裂したマモンへの攻撃を開始したというわけである。

 幸多は、吼えた。あらん限りの声を上げながら、金貨という金貨を殴りつけ、蹴り飛ばし、踏みつけ、叩きつけていく。空中を超高速で自在に飛び回るのは、金貨が滞空しているからに他ならない。金貨から金貨へと飛び移りながら、同時に攻撃を叩き込んでいく。

 自分の攻撃がマモンに効いているのかはまったくわからない。

 わからないが、しかし、やるしかない。

 命が燃えている。

 魂が、叫んでいる。

 マモンを斃せ、と、吼え猛っているのだ。

 だから、幸多は、金貨と化したマモンの尽くを殴り飛ばし、蹴り落とし、叩き潰そうとした。

 すると、マモンは金貨への変身を解いた。全身、至る所に青白い燐光を帯びたマモンは、空中で幸多の蹴りを受け止めて、叫ぶようにいった。

「まったく、なんなんだ、きみは……!」

「それは、こっちの台詞だってんだっ!」

 幸多は、叫び返すなり、身を捻った。その勢いだけでマモンを吹き飛ばすと、さすがに重力に引かれ、地面に落ちていく。

 同じく地上に落下していくマモンが、幸多を見ていた。その背後から無数の触手が伸びようとしたが、しかし、途中で止まってしまった。触手の先端が青白い燐光に灼かれている。

 それがなんなのか、幸多にもわからない。

 ただ、幸多の全身から発生しているものだということは、いうまでもない事実だった。

 最初は、左手だけだった。左手だけが燃えるような青白い燐光を帯びた。そして、その一撃が、マモンに通用した。しかも、ただ通用しただけではない。マモンの魔晶体に痛撃を叩き込めたかのような、確かな手応えがあったし、マモン自身、傷痕を残したまま戦い続けていた。

 復元しないのではなくて、復元できないのではないか。

 だとすれば、どういう理由なのか。

 幸多には、説明がつかないし、想像もつかない。

 ただ、地上に降り立った幸多は、半身に構え直すだけだ。マモンとの距離を詰め、今度こそ殴り倒すために。

 だが、その機会は訪れなかった。

 マモンが、地上に降りて来なかったからだ。


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