第六百三十二話 特異点(三十六)
「これでいいんだ」
ドミニオンが白銀の流星となって降ってきたかと思えば、幸多の全身に突き刺さった触手の尽くを吹き飛ばした。莫大な魔力が銀光の嵐となって吹き荒れ、マモンをも吹き飛ばす。
「なにが……」
「いいのかな?」
幸多とマモンの疑問は、同じ性質のものだろう。
ドミニオンの目論見が、まるでわからなかった。
血路を開き、幸多に突貫させたはいいが、幸多は一瞬にして満身創痍になってしまった。
しかし、ドミニオンの発言は、まるでこの状況をこそ望んでいたかのようだ。
「わたしはわたしの全存在を懸けて、ここにいる」
「きみの口上は、聞き飽きたよ。そして言い飽きたよ。ぼくも、全存在を懸けている、ってね」
マモンは、幸多との一対一の戦いに水を差されたことに、多少、不満を感じないではなかった。
ドミニオンが幸多を前面に押し出してきた理由は、想像が付いていた。
幸多が特異点だからであり、サタンによって殺すことを禁じられた存在だからだ。
だから、彼を利用してマモンの隙を作ろうとしたのではないか、というのが、彼の推察だった。だから、油断はしていなかったし、ドミニオンが横槍を入れてくることも想定通りだった。
ドミニオンの左前腕には、大天使の力が宿っている。
おそらくは、白銀の大天使メタトロンの。
その力だけでこの状況をどう押し切ろうというのか、マモンにはわからなかったが、しかし、触手が灼き尽くされ、再編成した禍津軍の隊列が吹き飛ばされる様を見れば、さすがはメタトロンの力というほかないだろう。
が、マモンとて、悪魔だ。
半端者とはいえ、〈七悪〉の一柱なのだ。
この程度で怯むわけもなければ、ドミニオン如きに気圧される理由もない。
頭上の光の輪と背から生えた光の翼が大きく展開し、ドミニオンの全身から莫大な光を放つ様は、神々しいというべきものなのだろう。
ならば、と、マモンは、禍々しくも赤黒い光を放つ。触手を伸ばし、機械仕掛けの武装を次々と作り上げる。無数の触手を大量の銃火器へと作り替えた彼は、ドミニオンもろともに幸多を狙い撃った。
雷鳴のような轟音の連鎖。
天地が震撼するほどの大爆発が起きたのは、様々な銃弾、砲弾がドミニオンが展開する光の翼に直撃したからにほかならない。
ドミニオンは、幸多を護るために光の翼を広げていたのだ。自分ごと幸多を包み込み、そして、マモンの一斉射撃の直撃を受けた。
もちろん、ただでは済まない。
砲撃が終わり、爆煙が消え去ると、そこには穴だらけになった光の翼と、半壊した光の輪を浮かべるドミニオンの無惨な姿があった。
幸多も、致命傷を負っている。いつ死んでもおかしくないような状態だが、しかし、死なないのだろうという確信がある。
(ん?)
マモンは、ふと脳裏を過った確信に違和感を持った。だが、そんなものは風に流されて消えていく。
いままさに爆煙が消えていくように。
「これで……いい」
ドミニオンは、全身の損傷を気にも留めないとでもいわんばかりに、言い切った。翼や光輪のみならず、全身のあらゆる部位に大打撃を受け、穴だらけになっている。満身創痍などという水準を通り越していて、死んでいないのが不思議なくらいだった。
人間ならば、だが。
ドミニオンは、天使だ。
人間がいうには、天使型の幻魔。
幻魔同様、魔晶核を心臓とし、魔晶核が破壊されない限りは、どのような損傷も瞬く間に復元できてしまう。
それが幻魔という種であり、天使も悪魔もそこに変わりはない。
ただ一点、違いがあるとすれば――。
「ドミニオン……?」
「きみは……優しいな。この期に及んでわたしのことを心配してくれるのか」
「ぼくは……死なないから」
幸多が、脳内を掠めた言葉をそのまま吐き出したのは、ドミニオンや皆に心配させたくないという一心からだった。
脳内に響く死なないという幻聴の意味はわからないし、そんな言葉を信用できるわけもない。けれども、自分が瀕死の重傷になろうとも、肉体が回復している事実は受け入れるしかない。音もなく、急激に回復し続ける肉体は、本当に人間のそれなのかと思わざるを得ない。
特異点。
そんな言葉が脳裏を過る。
自分は、特異点だから、死なないのか。
第四世代相当の魔導強化法を施術されているからという理由だけで、これほどの傷を負っても死なないとは考えにくい。
闘衣は、幸多の生命状態が危険域に達していると警告を発しているのだが、それでも、幸多は立ち続けていられたし、意識もはっきりしていた。
死なない。
だから、ドミニオンの傷だらけの魔晶体が一向に再生しないことが気になって仕方がないのだ。
「ドミニオンは幻魔なのにどうして回復しないのか、って顔だね? 幸多くん」
マモンが口を挟んできたが、幸多は黙殺した。ドミニオンの全身の傷口は、痛々しい。先程の一斉砲撃は、ドミニオンの光の翼を貫いただけでなく、魔晶体に致命的な一撃を無数に叩き込んだのだ。
それが一向に回復しないのは、魔晶核が損傷したからではないか、とも思うのだが、しかし、どうやらそうではないらしい。
ドミニオンの左胸や右肩に穿たれた大きな穴は、修復しようとしているのか、わずかに光を発していた。再生のための魔力、生命力そのものが失われたわけではないようだった。
「さっき彼が教えてたでしょ。悪魔を殺せるのは天使だけだって。逆もまた然り。天使を殺せるのは、悪魔だけなんだ」
「傷が塞がらないのもそのせいってこと?」
疑問を投げかけたのは、火水だ。未だに続々と出現し続ける禍津軍を相手にしつつ、マモンの触手を一本一本切り落としていく火水の戦いぶりたるや、鬼神の如くといっても過言ではあるまい。
風土は、そんな火水に力を送り込みながら、部下たちに指示を送りつつも、幸多を護るための防壁を維持し続けている。
ハイパーソニック小隊を始めとする第八軍団の導士たちは、戦場にこそ姿を見せないものの、超長距離からの魔法攻撃で火水を支援し、ときには防型魔法を発動させ、あるいは補型魔法で援護している。
鬼級幻魔が相手なのだ。
これ以上の策はない、と、風土は考えていた。
「彼が、悪魔の攻撃を受けたからだよ。残念だったね、ドミニオン。せっかく大天使直々に使命を賜ったというのに、なにも成し遂げられないまま、ぼくに殺されるんだ」
「違うな」
ドミニオンが、満身創痍の体を動かした。左手で幸多の肩に触れたのは、いまにも崩れ落ちそうな体を支えるためにほかならない。
崩壊が始まっている。
マモンの攻撃によって、ドミニオンの魔晶体の結晶構造が崩れ始めたのだ。それはもはや止めることのできない段階に来ていて、彼は、滅びの足音を聞いていた。
「我らは天使。情報生命体。肉体が滅びれば、再び情報の海に還るだけだ」
「情報……生命体」
幸多は、ドミニオンの言葉を反芻するようにつぶやき、異様な感覚に包まれた。
「そうだ。皆代幸多。わたしはただ、この身を構成する情報に従ったまでのこと。それを縁と呼ぶのならば、好きに呼ぶがいい」
「縁……ね」
マモンは、ドミニオンの双眸が蒼白に輝く様を見た。それが最後の輝きだということは、わかりきっていた。もはやドミニオンの魔晶体は、結晶構造を維持できる状態ではなかったからだ。
それでもなお、ドミニオンは、残る全生命の力を振り絞った。
爆発的な魔力が白銀の光となって噴出し、マモンに向かって放たれる。
周囲の地形もろともマモンの小さな体を飲み込んだ白銀の光芒が消えてなくなると、同時にドミニオンの魔晶体が崩壊した。
まるでガラス細工が壊れるかのようにして、だ。
マモンは、その様を全く別の場所から見ていた。ドミニオンの最後の攻撃が飲み込んだのは、マモンの触手が生み出した擬態に過ぎなかったのだ。
そして、幸多は、白銀の光に飲まれた。