第六百二十九話 特異点(三十三)
愛理の放つ虹色の光が、敵味方の区別なく、その場にいる全ての存在を対象としていることは、誰の目にも明らかだった。
それは、触れるもの全てを崩壊させていくものであり、マモンの無数の触手も、多数の擬態も、虹色の光に触れた瞬間、跡形もなく消え去った。
塵一つ残さず消滅した擬態に対し、火水は思わず面食らったが、次の瞬間、光に触れた星霊・金剛が消失したのには、憮然とした。
合星現界が強制的に解除されてしまい、出力が大きく低下する事態に直面したのである。
その場から飛び離れ、地中から現れた触手を躱す。
こうなってしまった以上、この場に留まっていることは出来ない。
火水の星装と風神だけでは、マモンとはまともに戦えまい。心許ないことこの上ない。
幸多によれば、火水と風土は、マモンに立ち向かった挙げ句、それぞれ為す術もなく惨殺されたという。
何度も、数え上げればきりがないほどに。
だからこそ、火水は、かねてから考えていた合星現界の実行を提案していたのだ。
それそのものは間違いではなかった。
合星現界と彼女が名付けたそれは、見事、マモンに通用した。が、マモンのほうが遥かに上手だった。マモンが無数に擬態を生み出すために、本体に近寄ることも出来ないまま、消耗し続けていたのだ。
このままでは、結局、マモンに到達する前に星象現界を解除するはめになっただろう。
「どうなってんの?」
『わからん。砂部愛理が暴走しているとしか……』
「あの子、早期試験を首席で合格したのよね?」
『そのはずだ』
「だったら、どうして?」
『それがわかれば苦労はしない』
「それはそうね」
風土との通信を行いながら、火水は、虹色の光、その源を見遣った。
虹色の光は、球状に膨張しながら空中に浮かび上がっており、その真下では幸多が手を伸ばしてた。光の中からも、彼に向かって手を伸ばしているように見えるのだが、はっきりとはわからない。
虹色の光が、無数の光線となって周囲に飛び散り、触れるもの全てを瞬く間に崩壊させていく様は、絶望的な光景としか言い様がなかった。
触れるもの全て。
幸多の肉体を除く全ての存在が、虹色の光に消し去られていく。
「幸多くんは無事……なのよね?」
『彼は、完全無能者だ』
「……なるほど」
火水は、風土のその一言で全てを理解し、納得もした。
愛理の放つ虹色の光が分解するのは、魔素を宿すものだけなのだ。
本来、魔素は、万物に宿る。
あらゆる物質、あらゆる生物がその内部に魔素を宿しているだけでなく、大気中にも、真空中にすら、魔素は存在する。
魔素は、万物の源であり、故に発見当初は、万素と呼ばれていたという。しかし、万素が魔法の、魔力の素になることが判明したことで、魔素にその呼び名を改めている。
魔素と万物は、切り離せないものだ。
特に魔天創世以降のこの星にあっては。
そして、魔素を宿す全ての存在が虹色の光によって消し去られていく中にあって、ただ一人、幸多だけがその光をものともしないのは、彼が理外の存在だからだ。
マモンすらも、虹色の光との接触を恐れ、遠く離れている。触手も擬態も、光に触れた瞬間、溶けて消えていくのだから、当然の判断だろう。
幸多だけが、愛理をその間近で見ている。見つめていられる。
左腕と右眼は、大量の魔素を宿す生体義肢であるが故に、虹色の光に排除されてしまった。
この〈時の檻〉の主に拒絶されてしまった。
「想定通りだけど……想像以上だね」
マモンは、一人、つぶやく。
暴走する星神力が、愛理の星象現界の力を極限まで引きだそうとしている。
〈時の檻〉の終点が一時的に遠ざかったのは、幸多が愛理の不安を取り除いたからだろう。
愛理は、自分のためには時間回帰の魔法を使わなかった。無意識にも発動したの、自分の身を守るためだけの魔法だ。だが、その結果もたらされた大量死が、彼女に時間回帰の魔法を使わせることとなった。
それも、無意識に、だ。
愛理は、自分以外の誰かが傷つくことを極端に恐れている。
それが愛理にとってもっとも大切な人物ならば、なおさらだろう。
だから、マモンは、幸多に致命傷を与えた。殺さない程度の、サタンの怒りを買わない程度の痛撃。幸多がその程度で死ぬことはない。
だが、愛理には、わかるまい。
愛理には、幸多が致命的な状況に陥ったと認識する以外にはない。
そうなれば、〈時の檻〉が、時間回帰の魔法が、時空を掌握する星象現界が発動するはずだった。
そして、マモンの思惑通りの結果となった。
愛理は、その星将以上の星神力を爆発させ、暴走させた。
これまでの時間回帰とは大いに異なる状況だが、結果は変わるまい。
終点が来て、始点へと戻るだけのことだ。
この〈時の檻〉の始点へ。
マモンにとっては、それでいい。
幸多が、愛理を救う形で終わっては意味がないのだ。
そんなことになれば最後、マモンがサタンに処断されて終わることになる。
それでは意味がない。
愛理を徹底的に解剖し、時空をも支配する力を得ることができれば、サタンに赦しを請うこともできるだろうし、アスモデウスも見直してくれるに違いない。
だからこそ、だ。
マモンは、譲るわけにはいかなかったし、この状況が自分にとって有利なまま推移することを望んでいた。
だが、事態は、彼の想定外の方向へと行き始めていた。
暴走する愛理の力が、虹色の光が、〈時の檻〉内部の空間そのものをねじ曲げていく様を見たのだ。大気中に満ちた魔素が、虹色の光に触れて消滅し、あるいは変容し、風景が歪んでいく。
「これは……なんだ?」
マモンは、虹色の光線から逃れるように移動し続けながら、出雲遊園地のアトラクションが当然のように聳え立っている様をみた。神の目と名付けられた大観覧車の威容が、さも当たり前のようにそこにあるのだ。
全てのアトラクションが、施設が、完膚なきまでに破壊されたはずだというのに、だ。
かと思えば、なにもない更地が園内に出現していた。
「一体、どうなっている?」
『わからない、わからないわよ!』
火水の悲鳴にも似た叫び声を聞きながら、風土は、視線を巡らせる。
愛理の放つ虹色の光は、触れるもの全てを消滅させるものかと思えば、どうやらそうではなかった。
天燎鏡磨や幻魔との戦闘で倒壊したはずの遊具施設が瞬く間に復元し、天高く聳え立ったり、あるいは、アトラクションの残骸が横たわっている場所がなにもない更地に変化したり、また、緑に覆われた山の一部になったりと、様々な変化をもたらしていた。
それも一度だけではない。
復元されたアトラクションが、また虹色の光を浴びると、鉄くずに変化し、かと思えばすぐさま復元したりと、変化に次ぐ変化、激変に次ぐ激変が起きている。
そんな混沌とした状況にあっても、幸多だけは、変わらず愛理を見つめていた。
「愛理ちゃん、ぼくはもう、大丈夫だから、心配しなくていいよ」
「お兄ちゃん、でも……!」
愛理は、真に迫った表情で、幸多を見ている。
幸多は、そんな愛理の悲痛な表情から、彼女がこの上なく自分を心配してくれているのだと実感し、胸が痛んだ。彼女が自分を思ってくれるからこそのこの状況だと言うことは、なんとはなしに理解できる。
愛理がようやく制御しようとした星神力が、一度に解放されてしまった。
時空に干渉する魔法の力。
伊佐那美由理の星象現界の如き、時間干渉魔法。
その威力の凄まじさは、幸多も言葉を失うほどのものだ。
時間静止とは全く異なる、時空そのものを自在に操る能力。
まさに神の権能に等しいのではないか。
周囲の、園内の景色が無数に変化し続けている原因は、愛理の魔法力にほかならない。
出雲遊園地が壊滅する以前の姿に戻ったかと思えば、出雲遊園地が作られるよりも前の、大社山の姿にまで戻ったりもしている。
さらに壊滅状態に逆戻りもする。
時の流れが、暴走している。
愛理の感情そのままに、その大いなる力に歯止めがかからないのだ。
だから、幸多は、愛理に対し、自分が全くの無事であることを主張するのだが、それだけではどうやら駄目らしい。
どうすれば、いいのか。
幸多は、マモンへと向き直った。
欠けた視界の片隅で、〈七悪〉の一体もまた、こちらを見ていた。