第六百二十七話 特異点(三十一)
愛理が頭抜けた魔法の才能の持ち主であることは、元よりわかっていたことだ。 家族や親類縁者、さらに多くの周囲の人々から凄まじいまでの期待をかけられていたこともあれば、星央魔導院の早期入学試験の結果によって、誰もが確信するものとなった。
愛理は、歴代の記録を塗り替え、首席で合格したのだ。
その魔導院の歴史を塗り替えた記録は、当然のように戦団内部でも大いに話題となっており、軍団長の間で愛理を巡る攻防が繰り広げられているという話もあるほどだ。
幸多は、そうした事実を美由理から聞かされている。
『きみの弟子は人気者だな』
そんな風にいってきた美由理のなんともいえない表情は、いまもはっきりと覚えている。
『弟子だなんて、そんな』
とは、いったものの、愛理がその気になっているのであれば、わざわざ否定するつもりもなかった。愛理がそれだけ幸多との特訓の日々のことを大切に思っていて、それがあればこそ、試験を突破することができたと考えているのであれば、否定することこそ、野暮というものだ。
愛理は、試験に合格した。
星央魔導院の厳しい試験を首席で合格し、記録を塗り替え、央都中の話題になったほどだが、そこへ至るまでの苦難を知っている人間は、それほど多くはない。
彼女は、万能症候群と目される症状を患い、魔法の制御が出来なくなっていたのだ。
魔法士にとって魔法が使えなくなると言うことは、鳥が翼をもがれたようなものであり、生物が体の一部を失うようなものだという。
最初から魔法が使えない幸多には想像もつかないことだが、彼女がこの上なく苦しんでいたことは、その言動からも明らかだった。
だからこそ、幸多は、彼女のために出来る限りのことをした。
幸多に出来ることなどたかが知れている。
それでも、少しでも、愛理を苦悩から解放できるのであれば、問題を解決できるのであれば、と、奔走した。
結果、愛理は、万能症候群を自身の魔法技量によって強引に解決して見せた。
魔法の制御に失敗しても、即座に制御し直せば良いという力業は、並大抵の魔法士に出来ることではない。
制御が失敗することを前提として律像を組むという、愛理の日々の猛特訓が身を結んだだけのことだ。
それは、彼女自身の問題を完全に解決したということにはならない。
問題を先送りにしつつ、目前に迫った試験を合格するための手段に過ぎなかったのだ。
(そうだ。愛理ちゃんの問題は、解決なんてしていなかった……!)
幸多は、複雑に絡み合いながら膨張を続ける律像と、愛理自身から放たれる虹色の光を見つめながら、己の迂闊さを呪いたくなった。
愛理が試験に合格してそれでよし、とはならないはずなのに、それで終わらせてしまっていた。
愛理がもはや解決したといわんばかりの顔をして見せ、当然のように魔法の制御に失敗しても、なんら問題なく制御し直す様も、幸多がそのように受け取るはめになる理由だったのかもしれないが。
だが、現実には、愛理が抱えていた問題は、なにひとつ解決していなかったのだ。
万能症候群は、愛理の心身を蝕み続け、彼女の魔力を増幅し続けていたのではないか。
だが、だとすれば、なぜ、周囲の人々や戦団は気づかなかったのか。
膨大な魔素質量は、戦団が央都各地に設置した計測機によって検知されるはずだったし、一般市民の住宅に設置されているであろう警報器の類が反応したとしてもおかしくはなかった。
愛理が無意識のうちに莫大な魔力を練り上げ、それが星神力へと昇華されていたのであれば、なおさらだ。
愛理の星象現界は、無意識的に発動し、自動的にその力を発揮していた。
彼女が自覚して練成した魔力でも、率先して昇華した星神力でもないのだ。
であれば、常日頃から、通常以上の魔力を練り上げていたのではないか。
そして、だからこそ、魔法の制御に失敗することが多かったのではないのか。
本来飛行魔法に必要なだけの魔力よりも膨大な魔力が、制御を困難なものとし、度重なる失敗を引き起こしたのではないか。
ここにきて、愛理の魔法制御の謎に関する答えが導き出されてきたものだから、幸多は、愕然とするような気分だった。
義眼によって視る彼女の律像の複雑さは、美由理の星象現界に勝るとも劣らないもものだ。圧倒的な質量を感じさせるものであり、気圧されるような感覚があった。虹色の光もそうだ。視ているだけで目が灼かれるようだったし、触れることも憚られるような神聖さがあった。
強大極まりない力が、すぐ目の前で渦巻いている。
「わたしが魔法を失敗してきた原因……」
「おそらく、ね」
常に無意識下で魔力を練り上げ、星神力へと昇華していたのであれば、彼女がそれまで完璧だった魔法の制御に失敗するようになったというのも頷けるというものだ。
そして、いままさに星神力への昇華へと至り、星象現界が発動したのだろう。
空間展開型の星象現界。
マモン曰く、〈時の檻〉。
始点と終点が定められた時空の結界の中では、何者も平等だ。繰り返される時間の流れに抗うことは許されず、飲み込まれ、また、最初からやり直さなければならない。
だが。
幸多は、愛理の目を真っ直ぐに見つめた。白銀の虹彩が、〈星〉の光を帯びて、神々しく輝いていた。
「でも、大丈夫だよ、愛理ちゃん」
「大丈夫?」
「ぼくがいる」
「お兄ちゃんが……いる」
「はっ」
幸多と愛理の会話を耳にして、鼻で笑ったのは、マモンだ。
膨張し続ける星神力の渦の中で、いまさらなにをいったところで、どうなるものでもあるまい。
〈時の檻〉の終点は、すぐそこに迫っている。
終点へ至れば、再び始点へと回帰するだけのことだ。
強制的に。
無慈悲に。
既に何度も、数え切れないくらい何度も繰り返されている。
それをまた、最初からやり直すだけのことだ。
しかし、今度は、今回とは全く違う形になるだろう。何度も繰り返しているのは、始点と終点の話であり、間で起こっていることは、変化し続けている。
変わらないのは、〈時の檻〉の主である砂部愛理だけだ。
砂部愛理は、時間が来れば意識を失い、時間が来れば目を覚ます。
始点を告げ、終点をもたらすために。
彼女は、この〈時の檻〉の主にして、奴隷なのだ。
マモンは、幸多と自分だけが持ち越すのであろう茶番の成り行きを見つめながら、真横に肉迫してきた火水の攻撃を躱した。あれだけの数の擬態を斃しきったのは、手放しで褒めて良いだろうが。
「鬱陶しいよ」
「こっちの台詞!」
火水は、マモンが触手ではなく、巨大な歯車を生み出し、投げ放ってきたのを見て、金剛を盾として展開した。
盾と歯車が激突し、火花が散る。
そんな最中、愛理は、幸多の褐色の瞳を見ていた。わずかに色彩の異なる二つの瞳が、彼女を真っ直ぐに見つめている。
優しく、穏やかな、いつも通りの幸多の眼差し。
いつも、彼女のことを真正面から見てくれる数少ない人。
愛理が心底憧れる、本当の魔法使い。
だから、だろう。
「そうだ。そうだよ。わたしには、お兄ちゃんがいてくれるんだ……!」
愛理は、幸多のことを思うと、なんだかそれだけで力が湧き上がってくるような気がした。それはきっと気のせいなどではなく、だから、不安も混乱も吹き飛んで、幸多だけを見ることができたのだ。
すると、どうだろう。
愛理の全身から放たれていた光が一時的に弱まり、律像もまた、拡散を止めた。
それによって〈時の檻〉の終点が遠ざかったのかどうかは、わからない。
ただ一つ理解できることがあるとすれば、愛理は、魔法の暴走を制御し直したということだ。
かつて、幸多が提案したように。
いまや、愛理にとってのいつものことのように。




