第六百二十四話 特異点(二十八)
「凄い……」
幸多は、火水と風土の星象現界がもたらす大火力を目の当たりにして、ただただ呆気に取られた。
先程見たものとは異なる星装を纏った火水は、マモンの猛攻を一顧だにせず突っ込み、その勢いのまま、鬼級幻魔の魔晶体を切り裂いていったのだ。
四天火水風土と、彼女はいった。
元々、星象現界に自分の名をつけるほどの自己主張の強さ、あくの強さの持ち主ではあったが、風土の名前を含んでいることからも、そこに風神金剛の力が加わっていることは明らかだ。
双天火水の火と水の力に加え、風神金剛の風と地の力が合わさり、鬼級幻魔に食い下がれるだけの力を発揮したのだろう。
並の星象現界ではない。
二つの星象現界が一つになり、より強力になっているのだ。
「あれが秘密兵器……」
幸多は、作戦会議中、火水が漏らした言葉に思い至ると、納得するような気分だった。
二つの星象現界を一つにするなど、簡単なことではあるまい。同じ魔法を複数人で使う合性魔法ですら困難極まるものだという話なのに、全く性質の異なる星象現界ならば尚更だ。
だからこそ、天燎鏡磨との戦いでは使わなかったのだ。
使わなくとも斃せるだろうという算段もあったのだろうし、実戦で使うには練度が足りないという問題もあったのかもしれない。
しかし、火水と風土は、マモンを相手にする以上、覚悟を決めなければならなかったはずだ。
そして、見事に四天火水風土を発動させ、マモンの肉体を灼き尽くした。
爆炎が巨大な柱となって聳え立ち、螺旋を描く真っ只中で、マモンの肉体がぼろぼろと崩れ落ちていったのだ。
火水は、槍を引き抜くと、即座に飛び退きながら衝撃波を放った。
彼女の前方の地面が盛り上がり、そこから無数の触手が飛び出してきたかと思えば、触手の中から無傷のマモンが姿を見せる。
衝撃波を魔法壁で受け止めて見せたマモンは、どこか興味深げに火水を見て、それから幸多に視線を送った。
「この状況、きみの思い通りなのかな?」
「どうかな」
幸多は、マモンが全くの無傷であることに腹立ちすら覚えながら、いった。火水のあれだけの攻撃を受けても、一切の傷を負っていない。致命傷にならないにしても、傷の一つや二つ残っていてもいいだろうに、と、思わざるを得ない。
「さすがに何度も繰り返せば、なにかしら出し抜く方法は考えつく、か」
マモンは、幸多が抱き抱える少女を見遣り、その隣に立つ天使を見た。さらにその近くに導士の姿があった。矢井田風土である。
南雲火水は、相変わらず、大攻勢の真っ只中だ。マモンに対し、目にも止まらない猛攻を続けている。強力無比な衝撃波が触手を吹き飛ばし、双頭の水蛇が触手を食い千切っていく。
火水の星神力がとてつもなく強大であり、故に、マモンの魔晶体をも容易く傷つけ、損壊していくのだ。
これが星象現界の力なのだろう、と、マモンは考える。
そして、それこそ、人間の力でもある。
「でも、時間だよ」
「時間?」
「眠れる姫君がそろそろ目を覚ます頃合いだってこと」
「え……ああ」
幸多は、マモンが火水と激しい攻防を繰り広げながらも、こちらに意識を割き続けていることが気に食わなかった。火水の相手など片手間でできるといわんばかりの態度であり、実際、その通りになっている。
だが、それでも、マモンの力の一部を引きつけていることに違いはない。
マモンの全力が幸多たちに向けられていないということは、つまり、そういうことだ。
幸多の作戦は、いまのところ間違っていない。
そして、幸多は、腕の中の愛理がわずかに呻いたのを聞いて、目を向けた。
「……う、ううん?」
愛理は、ゆっくりと瞼を開くと、視界に飛び込んできた幸多の顔に驚き、思わず仰け反ってしまった。
「お、お兄ちゃん!? な、なんで……!?」
「愛理ちゃん、気がついたんだね」
「気が……わたし、いつの間にか眠ってた?」
愛理は、動転する意識の中で、自分がいまどのような状況にいるのか全く想像もできなかった。幸多の顔が間近にあることはわかる。だが、それ以外の全ての情報が頭の中に入ってこない。混乱している。
「こ、ここっ! 地上、だよね……!?」
愛理が周囲を見回す様を見て、幸多は、心底安堵した。愛理が無事だということが確認できたということもあれば、彼女が意識を取り戻したことに胸を撫で下ろすのだ。
マモンの言葉が不穏ではあったが、それ以上に彼女の安全こそが重要だった。
抱き抱えたままだった彼女をゆっくりと地面に下ろすと、彼女は幸多の左腕に強くしがみついた。状況がわからないという事実が、彼女をそのような行動に走らせたのだろう。無意識の反応かもしれない。
周囲には莫大な魔素が渦巻き、混沌とした光景が展開されている。
破壊され尽くした遊園地には、大量の機械型幻魔の死骸が転がっていて、無数の触手が地面を埋め尽くすように横たわり、あるいは、蠢いている。蛇の頭のような先端部を持つ機械の触手。一見すると、機械仕掛けの蛇の大群にしか見えない。
愛理が危機感を覚えるのも当然だったし、幸多を頼るのも当たり前だった。
「地上だよ、砂部愛理」
「マモンくん!?」
「彼と知り合いだったのかい?」
「えーと、うん……地下で逢って……空いてる避難所に案内してくれたの。それから色々話をしてくれて、不安を和らげてくれてたんだよ」
愛理は、幸多に東雲亞門のことを説明しながらも、次第に違和感が増大していくのを認めた。
東雲亞門の姿が、愛理の知っている彼のそれとは大きく異なっているのだ。
翡翠色の髪の美少年であることに違いはない。しかし、身につけているものが黒ずくめの衣服から、なにやら研究者が身につけるような白衣に変わっていたし、体中、様々な箇所に機械的な部分があった。
まるで創作物に出てくる機械人間のような、そんな印象を受ける外見だった。
「でも……なんか、違う気がする」
「違わないよ、砂部愛理。ぼくはぼくだ。ただ、こっちが本当の姿というだけ。きみの本当が、いま、そこにあるように」
「わたしの……本当……?」
愛理は、きょとんとした。
彼が突然なにを言い出したのか、まったくわからなかったからだ。
「彼の言葉に耳を貸す必要はないよ。彼は鬼級幻魔マモン。ぼくたち人類の敵だ」
「非道い言い様だなあ。まあ、本当のことだからどうしようもないけどさ。でも、いいんだ。ぼくの推察が当たったからさ」
「推察?」
「ずっと、疑問だったんだ。この永久無限に繰り返される〈時の檻〉の中で、様々な変化が起きたことは、きみも理解しているよね? 幸多くん」
「……ああ」
「それはきみが起こした変化であり、ぼくが起こした変化であったりするけれど、それもこれも、きみとぼくが、時間転移に多少なりとも耐性を持っていたからだ。まあ、ぼくの場合は、ほんとうにわずかばかりでしかないんだけどさ。それでも、まったく認識できないのとはわけが違うことは、わかるでしょ」
マモンの目は、愛理を見ていた。幸多の隣に立ち、その左腕にしがみついて離れまいとする少女の体内には、莫大な量の星神力が満ちていた。
魔素質量だけでいえば、マモンをも遥かに凌駕するほどのものであり、故に彼は、目を細めるのだ。
圧倒的だった。
これほどまでの魔素質量の持ち主が人間の中に誕生するなど、想像したこともなかった。
竜級に匹敵するのではないか。
時空をねじ曲げるほどの魔法の使い手なのだ。
それくらいの魔素質量がなければならないのも、当然の道理のように思えた。