第六百十九話 特異点(二十三)
二十二式大太刀・裂魔を手にしたマモンが、幸多に向かって飛びかかる様は、奇異としか言いようがなかった。
マモンは、鬼級幻魔だ。
いかに鬼級幻魔が人間に近い姿形をしていて、人語を解し、高い知性を持っているのだとしても、戦団技術の結晶たる白式武器を手にし、幸多と交戦する光景は、不自然極まりなかった。
鬼級幻魔には、圧倒的な魔力がある。
魔法で作り上げた魔力体を武器として振り回すのと、白式武器を振り回すのとではわけが違うのだ。
にもかかわらず、マモンは、幸多に向かっていく。
幸多も、新たに召喚した武器を手に、マモンと対峙した。
マモンは、それまで抱えていた砂部愛理を無数の触手に護らせている。その様子は、さながら機械仕掛けの玉座で眠りこけているようでもあった
幸多曰く、彼女がこの繰り返される時間の支配者だということらしい。
時間に干渉する魔法。
それはつまり、伊佐那美由理の星象現界・月黄泉に並ぶ魔法の使い手が発見されたということだ。
が、元々、砂部愛理は、星央魔導院の早期入学試験を首席で合格しているだけでなく、過去の記録を大幅に塗り替える成績を残していた。
近い将来、砂部愛理が戦団に入り、戦闘部の一員として活躍してくれることは間違いなく、その際には、伊佐那美由理以上の導士として、魔法士として成長してくれることを誰もが期待していた。
だからこそ、十二軍団の間で彼女を巡る暗闘が繰り広げられている。
軍団長の誰もが彼女を最高の導士に育て上げたいと考えているほどの才能の塊だった。
そんな砂部愛理が時間に干渉する魔法の使い手だったという驚くべき事実には、火水も風土も、半信半疑ではあったものの、しかし、いまや幸多の発言を信じずにはいられなかった。
幸多は、これまで起きたことの全てを言い当てている。
天燎鏡磨の死体から雷光の柱が立ち上り、鏡磨自身が再び動き出そうとしたのもそうだったし、機械型幻魔との戦闘中に起こった様々な出来事も、全て、だ。
そして、マモンの登場である。
砂部愛理を抱き抱えて地下から上がってきたマモンの姿を目の当たりにしたときには、二人の杖長は、唖然とするほかなかった。
幸多が未来を視てきたというのは、本当のことだったのだ。
それはつまり、自分たちが何度となく殺され、散っていったという彼の発言が事実だったことを示している。
思わず胸に手を触れた火水は、それによって自分が生きているという実感を得られることはなかったものの、なんだか安堵した。
そして、幸多とマモンが激しくぶつかり合う光景を見つめることしかできない自分に歯がゆさを感じていた。
「なんとかできないのかしら」
「彼はこの先の未来も体験しているといった。彼の言葉を信じて、待つんだ。それだけが、いまのおれたちにできることだ」
風土は、拳を握り締めながら、幸多の薙刀とマモンの大刀が激突し、火花を散らす様を見ていた。
幸多の戦闘速度は、この戦いの最中、飛躍的に向上しているようだった。どういう理屈なのかはわからない。
闘衣が身体能力を補正し、強化することは知っているが、幸多がその本領を発揮するには、さらに鎧套を装着しなければならないはずだった。
闘衣は、魔法士にとっての導衣に過ぎない。導衣が全くの役立たずというわけではないし、必要最低限の防御能力を持っていれば、様々な機能を拡張することができる優秀な装備だ。
それでも、魔法士だからこそ導衣程度の防御性能で十分なのであり、魔法不能者が導衣を装着してどうにかなるはずもない。
無論、闘衣が導衣と全く同じ性質の防具ではないことも理解しているのだが。
しかし、と、風土は、思うのだ。
導衣を身に纏うだけで、魔法による補助もなく、強化もなく、鬼級幻魔とまともにやり合えるのか。
幸多は、マモンとやり合っている。
マモンの斬撃が大振りであり、まったく慣れていないことも関係しているのだろうが、それにしたって、疾いことに変わりはない。
凄まじい戦闘速度だ。
廃墟同然の園内を縦横無尽に飛び回りながら、幸多とマモンは戦い続けている。
風土と火水率いる第八軍団の導士たちは、この状況を固唾を呑んで見守っていた。
好機が来る、そのときを待っているのだ。
マモンが裂魔を手にして飛びかかってきたのには、さすがの幸多も面食らった。
マモンが、機械を黙殺する他の幻魔とは異なり、機械を平然と扱うことは理解していたが、しかし、戦団印の武器を手にして襲いかかってくるなど、夢にも思わなかったのだ。
しかも、素早い。
その速度は、幸多がなんとか反応できるほどであり、意識が研ぎ澄まされていなければ、一瞬にして真っ二つに切り裂かれていたのではないかと思えた。
二十二式大太刀・裂魔に対し、二十二式連機刀・薙魔で迎え撃つ。
懐まで飛び込んで来るなりおもむろに振り下ろされた大太刀を薙刀の切っ先で受け止めれば、火花が散った。数合撃ち合い、幸多が踏み込めば、触手が伸びてきたので飛び退いて距離を取った。薙刀を振り回して触手を打ち払った直後、マモンの赤黒い目が輝いていた。
「中々に興味深いよ」
裂魔を新しいおもちゃを与えられた子供のように振り回しながら、マモンがいった。
「面白い」
「子供の遊びだな」
「そうだね。でも、そんな子供の遊びに付き合わざるを得ないのが、きみだ」
幸多は、マモンが薙ぎ払うように振ってきた大太刀を薙刀で受け止めると、凄まじい衝撃を両手から感じて、苦い顔をした。
身体能力は、圧倒的に相手のほうが上だった。
辛くも戦闘の形になっているのは、マモンが大太刀の使い方に慣れていないからにほかならない。無造作に振り回しているだけだからこそ、対応できている。
もしマモンが刀の扱いに長けているようなことがあれば、勝負にもならなかっただろう。
幸多は、さらにマモンと得物を撃ち合うと、周囲四方から殺到してきた触手から逃れるために飛び上がった。
「横陣」
展開型大盾・防塞を無数に召喚して、肉迫する触手の群れを抑え込み、盾の上に足を乗せる。さらに跳躍すれば、マモンが飛びかかってきたものだから、薙刀を打ち下ろした。激突音。
「その盾、あといくつ残っているのかな? さすがに無尽蔵にあるわけじゃないよね」
「教えるわけないだろ」
「そりゃそうか。でも、気になるなあ」
「勝手に気になってろ!」
無意識に口が悪くなるのを自覚しながら、幸多は叫び、マモンの顔面を蹴りつけた。しかし、そんなものが通用する相手ではないことも理解している。
マモンの触手が幸多の足首に絡みつくと、軽々と幸多の体を持ち上げて、投げ飛ばした。
「行儀が悪いよ、幸多くん」
「ひとに言える立場じゃないだろ!」
「まあ、そうだね」
マモンは、伸縮自在の触手を無数に操りながら、悪びれることもなくいった。
幸多が薙刀を地面に突き刺すことで態勢を立て直す様を見て、小さく拍手する。幸多の戦闘能力は、常人のそれを遥かに上回っている。
人間は彼を完全無能者などと呼んでいるが、とんでもない。
能力があるからこそ、鬼級幻魔と、悪魔と戦って、生き残っているのだ。
マモンが遊んでいるとはいえ、だ。
ただの無能者ならば、とっくに物言わぬ死体に成り果てている。
「さて」
マモンは、空を仰いだ。
遥か頭上を覆う虹色の結界。
その表面に波紋が走った。
光が、雷鳴とともに降ってきたかと思えば、幸多の隣にそれは降り立ち、光の羽を舞い散らした。
ドミニオン。
「また、遭ったね」
マモンは、気楽な口調で、主天使を迎えた。