第六百十八話 特異点(二十二)
幸多は、待った。
杖長を筆頭とする導士たちの活躍によって出雲遊園地内から機械型幻魔が一掃されると、静寂がこの混沌たる空間を制圧していくまで時間はかからなかった。
あらゆるアトラクションが倒壊し、建物という建物が崩壊した園内は、地獄の様相を呈している。
どこもかしこも幻魔の死骸が転がっていて、その周囲には魔法による破壊跡が刻まれている。
戦闘行動は、終わった。
導士たちは、誰一人、命を落とさなかった。
ここまでは、これまで何度も経験した状況だ。
ここまでは、幸多がなにもしなくとも到達できた。
だから、ここからなのだ。
「また、遭ったね」
黒髪の少女を抱き抱えた翡翠色の髪の少年が、幸多の遥か前方に姿を見せた。地下の迷宮のような通路を辿り、昇降口を通って地上に上がってきたのだろう。
一見すると、美少年だ。雷光の柱の輝きに照らされた翡翠色の髪は、それこそ、この世のものとは思えないほどに美しかったし、あどけなさを残した顔立ちは、可憐といっていい。中性的という言葉が彼ほど似合うものもいないのではないか。
背丈は、愛理より少し高いくらい。外見年齢は十代前半といったところか。
しかし、本当の年齢は一歳にも満たないのが、彼だ。
マモン。
〈七悪〉の一体にして、〈強欲〉を司る悪魔。
機械事変の際、アスモデウスの策謀によって誕生した鬼級幻魔であり、サタンによって生まれ変わった存在。
彼は、人間の擬態を解くと、悪魔としての顔を見せた。双眸が赤黒く輝き、左手首に黒い環が浮かぶ。歯車のような、音もなく回転する輪。体の所々に機械的な変化が生じ、身に纏っていた黒衣も研究者が身につけるような白衣へと変わった。その白衣に機械が混ざり、異様さを見せつけるようだった。
その背後には、大量の触手が蠢いているのかもしれないが、幸多の位置からは見えない。
マモンが、口を開く。
「これで何度目なのかな?」
「数えるのは得意じゃない」
「でも、たぶん、きっと、きみのほうが正確に覚えているはずだよ。ぼくは、半端者だからね」
「半端者……」
「だから、知りたいんだよ。知る必要があるんだ。ぼくには、その権利がある」
「権利……権利だって?」
「そうだよ。権利。権利なんだよ。ぼくが知ろうとすることは、ぼくが知ることは、全部、ぼくの権利だ。それがぼくが〈強欲〉のマモンたる所以なんだから」
マモンは、幸多に対してそのように告げると、周囲を見回した。導士たちの姿が見えなければ、その死体も確認できない。
つまり、どこかに隠れているということだ。
この砂部愛理の星象現界の中では、大量の魔素が渦巻いており、魔法士特有の魔素質量は見事に隠蔽されてしまっていた。
杖長二名は星象現界の使い手であり、星象現界を発動しているのであればどう足掻いても隠れようがなかったが、マモンにも見つけられないということは、つまり、星象現界を解除しているということになる。
星神力すらも解放しているのではないか。
そうでなければ、いくら魔素が乱れているとはいっても、見逃さないわけがない。
「……そして、対策を立てる事が出来るのは、きみの権利というわけだ。きみだけは、時間転移の影響を一切受けないんだから」
「一切……そうか」
幸多は、ようやく、マモンの言葉の意味を理解した。
マモンは、愛理の魔法によって時間転移が起こっていることそのものは理解しているものの、影響を受けているのだ。
だから、時間転移が起きた直後、マモンの姿はなかった。あの時間帯、本来在るべき場所に戻されていたのだ。
幸多だけが、一切、時間転移の影響を受けなかった。全身に受けた傷もそのままで、立っている場所も変わらない。
一方、幸多が召喚した武器や鎧套は、時間転移とともに本来の場所に戻されてしまった。
幸多だけが、魔法の影響を受けない。
魔素を一切内包しない存在――完全無能者だからだ。
「それで、どんな対策をしたのかな? それで、少しでもぼくを出し抜ける?」
「やってみるだけさ」
幸多は、マモンを睨み据えながら、手にした大太刀を構えた。鏡磨に止めを刺した大刀は、機械型を一掃する際にも大いに役立っている。
マモンにも、通用する。
幸多は、地を蹴った。マモンが動く。白衣がはためき、その背後から無数の触手が伸びてきた。機械仕掛けの触手の群れは、さながら怒濤のように幸多に殺到するが、幸多は、それらを裂魔を振り回すことで対応した。
触手の尽くを切り払えば、活路が生じる。
さらに前へ。
マモンは、悠然とした表情だ。さらに触手を生み出し、あるいは切り落とされた触手を再生させて、幸多を包囲する。触手の先端部が変形し、蛇のような頭部になった。口が開くと同時に砲撃が行われる。
全周囲同時砲撃。
天地が震撼するかのような轟音が響いたときには、幸多は、既に行動を終えている。
「方陣」
幸多を狙った砲撃の全てが、光の中から出現した巨大な盾に直撃したのだ。
二十二式展開型大盾・防塞を何十枚も同時に呼び出し、周囲に配置、瞬時に展開することで、魔法合金製の要塞を構築して見せたのである。
幸多は、そのために転身機の召喚式に手を加えなければならなかったが、マモンが姿を現すまでに時間があったおかげでどうとでもなった。
それも、第四開発室の皆に学んだことだ。
イリアや義流が手取り足取り教えてくれたことなのだ。
完全無能者が魔法士や幻魔に立ち向かうために必要な知識であり、技術。
(その全てを出し切る!)
「へえ」
マモンは、感心しつつも、再度砲撃を行った。一度目は防がれた砲撃だが、二度目は、そうはいかない。
一度目よりも大幅に威力を強めた砲撃は、巨大な盾の要塞を容易く吹き飛ばしてしまう。
だが、そのときには、幸多はマモンの背後を取っている。
防塞による巨大な要塞は、幸多の行動を隠すのに役だった。
防塞の結界が無敵の盾ではないことくらい、幸多も百も承知だった。一撃こそ耐えられても、連射されればすぐに崩壊するのは目に見えている。
だからこそ、大盾を一枚、前面に展開しながら爆風とともに飛び出し、マモンの背後に降り立ったというわけである。
大盾の影に隠れていれば、マモンにも気取られる心配がない。
事実、マモンは幸多の気配に気づいてすらいなかったし、故にこそ、触手まみれの背中は隙だらけだった。裂魔を背中に突き入れられるほどに。
裂魔の切っ先がマモンの背中から腹へと突き破れば、さすがの悪魔も幸多の存在を背後に認識したようだった。
「なるほど。だから鎧套を装着していなかったんだね?」
「そうだよ!」
幸多は叫びながら、飛び退った。大量の触手がのたうち回るようにして幸多を攻撃してきたからだし、マモンの魔力が渦を巻いたからだ。
魔力の爆風が、周囲の地形を激変させる。
「よく考えたよ、幸多くん。手放しで褒めてあげる」
「悪魔に褒められても、嬉しくもなんともないな」
幸多は、迫り来る触手を新たに召喚した薙魔で薙ぎ払いながら、告げた。
一方のマモンは、背中に突き刺さったままの大刀を触手に引き抜かせると、目の前まで持ってきた。刃渡り二百五十センチメートルの大刀。当然、マモンの身の丈よりも遥かに長大だ。
刀身には大量の魔素が付着しているし、武器そのものが魔素の塊といっても過言ではない。この武器に用いられた素材の性質なのだ。
魔法金属、あるいは、魔法合金。
魔法時代が幕を開けて以来、ありとあらゆる分野が魔法の影響を受けた。受けざるを得なかった。
金属材料ですら、そうだ。
そして、魔法金属と呼ばれる、魔法時代以前には存在しなかった様々な種類の金属が誕生していったという。
戦団技術局第四開発室が推進する窮極幻想計画は、最先端の技術がふんだんに取り入れられているといっていい。
マモンにとっては己が欲望を満たすには十分過ぎるほどの知識の宝庫であり、よって、第四開発室が作り上げた武器については、おそらく、幸多以上に知識があった。
この二十二式大太刀・裂魔の材質など、幸多は詳しく知るまいが、多少なりとも理解はしているようだ。
だからこそ、幸多は、闘衣だけを纏い、手に武器一つで飛び回っているのだ。
それがマモンを出し抜くために考えた策なのだ。
この膨大な魔素が乱れ飛んでいる結界の中では、魔素を一切持たない幸多の位置を把握するのは困難だ。
しかし、高密度の魔素の塊である鎧套を装備していれば、話は違う。
先程のように虚を突くことなどできなくなる。
マモンは、触手に幸多を追わせながら、有り余る触手の一部に愛理を保護させた。
空いた手に大太刀を握り締める。
幸多の戦い方に興味が湧いた。
好奇心こそ、強欲の源泉である。