第六百十五話 特異点(十九)
〈七悪〉の一体、〈強欲〉のマモンの出現。それそのものは、予期せぬ事態ではなかった。
禍御雷は、マモンの配下だったし、マモン自身が予告していたのだ。
特異点を求めて動き出す、と。
そのために戦団が知る特異点二名は、厳重な監視下に置かれていたし、もしその二名が出かけるというのであれば、出先に戦力が派遣された。
今回の場合、そのために派遣された戦力こそが火水であり、風土なのだ。
通常であれば、八月最後の日曜日ということもあって満員御礼が見込まれるだろう出雲遊園地であっても、杖長二名を割り当てるような真似はしないものだ。
満員御礼の出雲遊園地で魔法犯罪や幻魔災害が起きたとしても、十名程度の導士でなんとかなるものだ。
余程大規模な災害ならば話は別だが、その場合でも、十名の導士が持ち堪えている間に出雲基地から援軍を派遣すれば、どうとでもなる。
第八軍団長・天空地明日良が杖長二名をこの地に割り当てたのは、取りも直さず、皆代幸多が遊びに来ることを知っていたからに他ならない。
それ以上でもそれ以下でもなく、それだけが全てだった。
だからこそ、火水も風土も、このような状況になることを想定していた。
しかも、だ。
幸多から事前に通知されていたのだ。
まるで未来を予知するかのような彼の断言には驚かされたものの、天燎鏡磨や雷光の柱、機械型幻魔への対応などを見れば、彼の言葉に嘘はないことは明らかだった。
だから、対応できる。
マモンの背中から伸びた無数の触手が四方八方から殺到してくる中、二人は、言葉一つ交わすことなく見事な連携を見せた。
星霊・金剛が大地を殴りつければ、星神力が波紋となって地面を走り抜け、地中から巨大な岩塊を隆起させた。二人の周囲を囲う岩壁が触手の突撃や砲撃を受け止めれば、即座に星霊・風神が火水を運び出す。
風神とともに一陣の風となった火水は、瞬く間にマモンの懐に飛び込み、燃え盛る炎の槍を旋回させる。マモンは少女を抱き抱えていた。人間の少女だ。見覚えもあった。
砂部愛理という名が、火水の脳裏に浮かんだ。だが、火水の速度が落ちることはない。最初から、マモンの足下を狙った斬撃なのだ。
マモンが、薄く笑った。
「遅いよ」
告げて、マモンは軽く飛び退く。
すると、火水の槍が地面を切り裂いた。燃え盛る炎の槍の切っ先が切り裂いた地面から炎が噴き出し、マモンに襲いかかる。
「砂部愛理がどうなってもいいのかな?」
マモンは疑問を持ったものの、解は、瞬時に導き出された。マモン自身が目の前に触手を集めて壁を作り、愛理をも護ったからだ。
「なるほど?」
そして、背後に現れた超密度魔素質量を振り向けば、風の星霊の姿があった。風の化身そのもののような女性形の星霊は、マモンの背中から無数に生えた触手を薙ぎ払って見せると、さらにマモンの側頭部を突風で殴りつけて来ようとしたものだから、彼は、今度は右前方に飛んだ。
そこに幸多がいた。
小さな要塞のような姿の幸多が大太刀を構え、突っ込んできたのだ。
「三対一なら勝ち目があるとでも?」
「二対一よりは余程」
とは、矢井田風土。
マモンは、風土を一瞥し、眼前の敵に意識を集中させた。幸多は裂帛の気合いとともに突っ込んでくると、大刀でもってマモンの頭を狙ってきた。愛理を抱えているから、思い切り振り下ろせないのだ。
愛理は、マモンにとって弱点であり、有利な点でもあった。
愛理を抱えている限り、敵も本気を出せないが、マモンもまた、愛理を攻撃されるわけにはいかないのだ。
なにせ、愛理を徹底解剖するためにこそ、行動を起こしたのだから。
大特異点たる彼女を失うわけにはいかない。
無論、戦団の導士たるもの、一般市民を傷つけるような真似をするわけもないのだが、しかし、万が一ということもある。
マモンは、幸多の一閃を触手で受け止めて、そのまま刀身に触手を絡みつかせた。大刀を粉砕し、幸多の腹を蹴りつける。分厚い装甲越しにも、強烈な衝撃が幸多を襲ったはずだ。
幸多の体が吹っ飛んでいったが、途中で止まった。星霊・風神が彼を受け止めてくれたのだ。腹の底まで到達したマモンの一撃の重さを実感しながら、幸多は、風神に連れられるまま地上に降り立つと、ぼろぼろの裂魔を転送した。
杖長二名の連携攻撃は、苛烈さを増す一方だった。
二人は、言葉をかけあうこともなければ、目配せを行うこともない。まさに阿吽の呼吸そのもののような連携によって、マモンを間断なく攻め立てている。
そんな二人に対し、第八軍団の他の導士がなにをしているかといえば、援護である。
攻撃に混ざるのは、難しい。
二人の連携攻撃は完璧に等しく、そこに異物が混入すれば、その瞬間、連携そのものが崩壊してまうだろう。
それは、二人にとって致命的なものになりかねない。
だから、杖長たちは、部下に自分の身の安全の確保に専念し、援護のみを行うようにと命じたのだろう。
援護とは、マモンとの戦いの最中、突如として差し込まれるように発動する魔法壁がそれだ。火水のものでも風土のものでもない魔法は、他の導士たちが編み込んだ防型魔法であり、マモンの猛攻を凌ぐ重要な力となっている。
幸多は、そんな戦いを見つめながら、自分に出来ることはなにかと考える。
杖長たちは、天燎鏡磨に一蹴されたとは思えないほどに安定した戦いぶりを見せているが、それはマモンが本領を発揮していないことも関係があるような気がした。
マモンの目的は、愛理だ。愛理を確保し、この状況を脱することこそが当面の目標であり、そのためにどうするべきなのか思案しているのだろう。
この状況。
〈時の檻〉と彼が名付けた状況は、まだ、完全に解決していない。
見れば、愛理の全身に超高密度の律像が展開し続けている。複雑で精緻、多層構造の律像が、彼女の小さな体の表面に輝いているのだ。
それがなんなのか、いまならばわかる。
律像とは魔法の設計図だ。
そして、魔法の発動とともに拡散するのが常であるが、例外もあった。魔法を長時間に渡って維持する場合、律像もまた維持され続けることがある。
それがいままさに愛理の身に起きていることではないか。
この〈時の檻〉が愛理の星象現界ならば、なんとかして解除しなければ、またどこかの時間に舞い戻ってしまう。
マモンは、そのことを考慮して、全力を出さずにいるのではないか。
杖長二名の猛攻を余裕を以て捌きながらも攻勢に出ないというのは、なにかしら理由があるとしか考えられなかったし、その理由とは、愛理以外にないだろう。
では、幸多はどうするべきなのか。
愛理をマモンから奪還することを第一に考えるべきなのか。しかし、どうすれば、あの超高速戦闘に割り込んで、愛理を取り戻せるのか。
護将の防御力を信じて突っ込む以外には、ない。
幸多は、もはや難しいことは考えなかった。
大地を超高速で滑走し、三者によって繰り広げられる死闘の真っ只中へと突っ込んでいく。
両手には、二十二式連発銃・迅電を握っている。
撃式武器は、なにも銃王でなければ絶対に使えないというわけではない。銃王ならば完璧に補助してくれるというだけのことなのだ。
鎧套さえ装備していれば、撃式武器の反動に悩まされることはない。
迅電ならばなおさらだ。
幸多は、二丁の拳銃でもって、マモンに向かって連射した。
雷鳴のような激発音とともに超周波振動弾が虚空を貫き、マモンに殺到する。もちろん、狙いは、マモンそのものではない。
銃王装着中のような命中精度が得られない以上、万が一の可能性を考慮しなければならない。
幸多の射撃は、牽制でしかなく、しかし、それで十分だった。
マモンは、幸多の射撃に一瞬でも注意を引かれた。
その好機を見逃す火水と風土ではない。
火水の槍が炎を噴き出しながらマモンの頭を切り裂き、風神の烈風がマモンの足を薙いだ。