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第六百十四話 特異点(十八)

 燃えている。

 まるで地獄の一端に足を踏み入れたかのような錯覚すら覚えるのは、鼻腔びくうを突く焦げ付いたにおいのせいかもしれないし、天地の狭間に燃え盛る炎のせいなのかもしれないし、上天へと至ろうとする雷光の柱のせいなのかもしれない。

 阿鼻叫喚あびきょうかん地獄絵図じごくえずとは、違う。

 地獄のような戦場の真っ只中だ。

 誰も彼もが懸命けんめいに戦っている。

 人間たちも、幻魔たちも、己の全存在をけて、戦っている。

 戦わされている。

 誰に。

 誰かに。

 彼は、混線する記憶がゆっくりと、しかし、確実に一本の大きな線へと収束していくような感覚の中にいた。

 焼けるような空気は、ひりつく戦場の感覚を想起させる。

 このような感覚を抱くのは、これが初めてかもしれない。

 生まれ落ちてからこの方、戦場というものを知らなかったのだ。

 情報でしか、知らない。

 機械仕掛けの子宮の中で産声を上げて、サタンの影の中で生まれ変わった彼には、戦場のなんたるかを知る由もなかった。誰も教えてくれなかったし、知る必要がないとさえ思われていたのではないか。

 なんとはなしに、そのように感じる。

半端者はんぱもの……か)

 バアル・ゼブルの言葉が、彼の脳裏のうりよぎった。

 それが、始まりだった。

 バアル・ゼブルがアザゼルやアーリマン、アスモデウスの口から聞いたという言葉。

 バアル・ゼブルと自分を定義する言葉。

 それがどういう意味なのかと、アスモデウスに問いただした。しかし、いつもは甘やかしてくれるアスモデウスも、そのときばかりははぐらかす一方で、なにも教えてはくれなかった。

 疑問には、かいが必要だ。

 この世界には、莫大ばくだい極まりない疑問に満ちている。それらの疑問一つ一つには確かな解があるはずであり、だからこそ、世界は成り立っているはずだった。

 であれば、自分たちを定義する半端者という言葉にも、解があるはずだった。

 それがなんなのか。

 彼は、そのことばかりが気になって、仕方がなかった。

 解を知りたい。

 答えが欲しい。

 自分が何者なのか知らないままでは、生きているとはいえないのではないか。

 炎が燃え盛り、雷撃が天地をはしる。

 氷柱が乱立し、大地が隆起した。

 もはや、出雲遊園地は惨憺さんたんたる有り様であり、ありとあらゆるアトラクションが壊滅的被害を受けていた。

 その大半が天燎鏡磨てんりょうきょうまの仕業なのだとしても、ある程度は、導士と幻魔の激戦に巻き込まれた結果に違いない。

 もちろん、この戦いが無事に終わり、全てが解決すれば、あっという間に元通りになることも、彼は知っている。

 魔法は、万能に極めて近い。

 この程度の損傷など、魔法士たちにとっては軽微としか言い様がないのだ。

 幻魔にとっても、だが。

「ぼくは、悪魔だけれど」

 マモンは、ふと、つぶやいた。砂部愛理いさべあいりを抱き抱えたまま、地下から地上に上がってきた彼は、〈時の檻〉を抜け出しかけているという実感の中にいた。

 この〈時の檻〉は、砂部愛理の星象現界せいしょうげんかいなのではないか、という確信が彼の中にあった。

 星象現界。

 戦団の魔法士が編み出した、魔法技術の極致きょくちであり、一つの到達点。

 魔法にして魔法を超えるもの。

 時空にすら影響を与えるものがあるのだとすれば、それ以外には考えにくい。

 無論、砂部愛理のただの魔法が時間に干渉しているのだとしても、不思議ではないのだが。

 砂部愛理は、大特異点だ。

 そう、マモンは認識している。

 この世界の頂点に君臨するもの。

 それが彼女なのだ。

「では、きみは、なんなのかな?」

 愛理を見下ろし、その健やかとすらいえる寝顔に目を細める。今回、愛理の体には血飛沫一つかかっていなかった。

 なぜかといえば、マモンが手を下すまでもなかったからだ。

 マモンが動くまでもなく、愛理がその力を発動させた。

 この結界を構築した。

 虹色の結界。

 時の流れが歪んだ領域。

 砂部愛理の星象現界。

「マモン!」

 怒号にも似た叫び声が聞こえてきて、それは、マモンの眼前に飛び込んできた。

 巨大な金属の塊としか思えない物体だったが、よく見れば、皆代幸多みなしろこうたの顔があった。彼の肉体が二倍くらいに大きくなっているように見えるのは、その全身を覆う金属の塊のせいだ。そして、その金属の塊には、膨大な量の魔素が含まれていて、だからこそ、彼の存在がより希薄に感じられるのかもしれない。

 巨大な金属塊の中に生じた空洞――それが彼なのだ。

「なにそれ?」

「なんだっていいだろ!」

「よくないよ。疑問には解が必要なんだ。でなければ、前に進めない。きみは、そんな風に考えたことはないかな?」

「ない!」

 即座に断言してきたものだから、マモンは、小さく息を吐いた。

「……やっぱり、きみとは相容れないね」

「当たり前だ!」

 幸多は、叫びながらも、愛理が無事であることに安堵していた。しかも、今回の愛理は、どういうわけが血まみれではなかった。

 今まで何度となく見てきた愛理の姿と言えば、全身が血まみれで、彼女自身が重傷を負っているのではないかと不安になるほどのものばかりだった。

 しかし、今回はそうではない。

 それが運命が変わったということなのか、どうか。

「愛理ちゃんを返してもらう! 今度こそ!」

「だからさ、何度も聞くけど、彼女、きみのものなの?」

「おまえのものでもないだろ!」

「……それは、そうだね」

 多少呆れながらも、マモンは、幸多の意見を肯定するしかない事実を認めた。確かに、愛理はマモンのものではない。

 いや、誰のものでもあるまい。

 彼女は、この世界に君臨する唯一無二の存在だ。

 時空の支配者であり、運命の紡ぎ手。

 だからこそ、その全てを暴きたいという欲求が、マモンを突き動かしているのだ。

 愛理の秘密を解き明かせば、自分のことを半端者と呼んでいた全員が認めてくれるかもしれない。サタンも、必要としてくれるのではないか。

 マモンは、幸多の怒りに満ちた眼差しを涼しい顔をで受け流しながら、そんなことばかりを考える。

 すると、空中から二人の導士が降ってきた。星装せいそうを纏う導士と星霊せいれいを従えた導士。

「どうしたの! 幸多くん!」

「あれは……なんだ?」

「あれが悪魔です! 〈七悪〉の一体、〈強欲〉の――」

 幸多は、警戒を促すために叫ぼうとしたが、マモンによって遮られた。

「〈強欲〉のマモンだよ。初めまして、南雲火水なぐもひすい矢井田風土やいだかざと。本当に、初めまして」

「なに? なんなの?」

「なんだ?」

 マモンの丁重ていちょうな自己紹介と挨拶には、火水と風土も唖然とするほかなかった。しかし、記憶の中にあるマモンの姿と、翡翠色の髪の少年の姿は合致している。幸多の言葉を、彼の自己紹介を疑う理由はなかった。

 同時に、緊張が走る。

 全神経が研ぎ澄まされ、命が危機を訴えかけてくる。

 相手は、〈七悪〉の一体。

 つまり、

「全隊警戒! 情報通り鬼級幻魔が出現したわ!」

「攻撃は極力行うな! 自分の身の安全をこそ重視しろ! 相手は鬼級なんだ!」

 火水と風土が部下たちに大音声だいおんじょうで命じれば、周囲に集まりかけていた導士たちも即座に反応を示す。防型魔法、補型魔法のための律像を展開し、臨戦態勢に入ったのだ。

 臨戦態勢なのは、火水と風土も同じだ。

 火水は炎の槍を構え、水の羽衣を閃かせていたし、風土の星霊二体もいつでも動き出せた。

 それもこれも、事前に幸多から伝えられていたからこそだ。

 そんな光景を見て、マモンは、拍手したい気分だった。無論、幸多に、だ。

 この状況を作ったのは、幸多の働き以外のなにものでもない。

 幸多が、突破口を開いた。

「よくやったね、幸多くん。運命は変わった。〈時の檻〉を脱し、状況は一変した。けれども、なにも変わらないよ。結局、皆死ぬ。皆、死ね」

 マモンの背後から無数の触手が伸びたかと思えば、一瞬にして火水と風土に殺到した。


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