第六百十一話 特異点(十五)
幸多は、ドミニオンとの共闘によって、愛理をマモンの魔手から奪還することに成功した。
ドミニオンがマモンの注意を引きつけてくれたおかげだった。
ドミニオンの攻撃は、苛烈だ。マモンを徹底的に破壊し、撃滅し尽くさんという意志が感じられるほどの大攻勢。白銀の魔法弾が間断なく撃ち続けられていて、それがマモンの意識を圧倒したようだ。
おかげで、幸多は、愛理を無事に救出することができた。
幸多は、ほっと胸を撫で下ろす。
愛理が無事であるということそのものは遠目に見ても明らかだったが、抱き抱えたことにより確信できたのだ。
彼女はしっかりと生きていて、規則正しい呼吸をしている。
それだけで安心する。
無論、それで終わりなどではないということも理解しているのだが。
マモンをどうにかしなければ、ならない。
「それでいいんだよ」
マモンは、しかし、勝ち誇ったように告げてくると、飛び退る幸多を見ていた。銀光弾が爆ぜる中、赤黒い双眸が禍々しい輝きを放つ。
全周囲に展開していた触手が、一斉に砲撃を行ったかと思えば、つぎの瞬間、幸多の全身を穴だらけにしていた。
意識が吹き飛びそうになるほどの衝撃と激痛の中、地上に落下した幸多は、危うく愛理を手放してしまうところだったが、それだけはなんとか踏み止まる。だが、立ってはいられなかったし、即座に立ち上がるなど不可能だった。
撃ち抜かれたのは、全身の数十カ所。あらゆる部位に小さな穴が貫通していて、血が噴き出していた。
幸い、頭は撃たれていない。脳は無事だ。意識もある。いや、意識があるからこそ、地獄のような苦痛に耐えなければならないのか。むしろ、意識を失ったほうが楽だったのではないか。
わずかな混乱と理性がせめぎ合う中、幸多は、愛理のことだけに意識を集中させた。
先程のマモンの攻撃は、幸多の全身を貫通したのだ。愛理の体が傷ついたりはしていないか、不安で仕方がなかった。当たり所次第では、死ぬことだってありえた。
それほどの攻撃。
幸多は、もはや満身創痍だった。傷のない部位を探すほうが難しいくらいの傷だらけで血まみれだった。
血まみれなのは愛理も同じだが、その血は愛理自身のものではないようだ。彼女の体には傷ひとつ見当たらない。
幸多の体を貫通した攻撃で傷ついた様子もなかった。
「良かった……」
幸多が心底安堵すると、愛理に反応があった。体がわずかに震え、瞼が開く。
「……ん、お、お兄ちゃん?」
目をぱちくりとさせた愛理は、全く状況が理解できない様子だった。当然だろう。先程まで意識を失っていたのだ。
気がついたら幸多の腕の中にいて、周囲は、地獄のような有り様だ。
「お兄ちゃん、だよね?」
「うん、ぼくだよ、愛理ちゃん。もう大丈夫。大丈夫だから」
幸多は、愛理の不安げな表情を少しでも和らげようと、言葉を探した。なにが大丈夫なのか。そう発言した自分でもわからなかった。ほかに言うべき言葉が見当たらなかったのは、結局、この状況を打開する方法が思い当たらないからだろう。
ドミニオンによる魔法攻撃は、今もなおマモンに向けて行われている。
マモンは、ドミニオンの攻撃を受けないように魔法の盾を展開しながら、ただ、こちらを見ていて、微塵も動く気配がない。
それで状況は改善したとはいえない。
なにも変わっていない。
愛理を奪還できた、ただそれだけのことだ。
「なにが、大丈夫なのかな?」
「え――?」
マモンの声が背後から聞こえたとき、幸多は、確かに、ドミニオンが放った銀光弾がマモンの体を貫き、粉砕する瞬間を見ていた。そして、マモンの体が無数の触手となって解けていく様を見て、慄然とする。
振り向くと、マモンが立っていた。
「なにも状況は変わっていないよ、幸多くん」
マモンの冷徹な宣告とともに幸多の体を貫いたのは、三本の触手だった。マモンの背後から伸び、幸多の胸と腹、左腿へと突き刺さった触手が、彼に苦悶の声を上げさせる。
「お兄ちゃん!?」
愛理が悲鳴を上げた。
その瞬間、幸多は、確かに見た。
愛理の白銀の瞳の奥に〈星〉が煌めいたのだ。
そして、複雑極まりない律像が展開し、情報の洪水とともに世界が塗り替えられていくような感覚が幸多を襲った。
暗転する――。
「――幸多くん!? だいじょうぶ!?」
「一体、なにがあった? どの幻魔にやられたんだ?」
またしても、同じだ。
幸多は、脳内に飛び込んできた悲鳴にも似た杖長たちの叫び声によって、意識が覚醒していくのを認めた。
時間転移。
マモンは、この現象をそう定義していた。
それこそが、大特異点である砂部愛理の力である、と。
つまり、愛理は、時間に干渉する魔法を使ったのだ。
あの時、あの瞬間、あの場所で。
幸多が致命傷を負ったがために、愛理は、力を暴走させ、魔法を暴発させた。
元々、愛理は魔法の制御に難があった。それだけが唯一の欠点といわれるくらい、完全無欠に等しい存在が彼女だった。魔法の制御以外全てが完璧な、幸多とは真逆といっても過言ではない存在。
もちろん、幸多は自分を魔法が使えない以外は完璧だなどとは想ってもいないが。
唯一、万能症候群とも呼ばれる症状が、幸多と彼女を引き合わせ、繋ぎ合わせた。
その症状も、愛理は、弛みない努力と鍛錬、研鑽の末に克服したのだ。
だからこそ、星央魔導院の早期入学試験を首席で合格することができたのだし、十二軍団での彼女を巡る暗闘が始まったのだ。
誰もが彼女に期待していた。
砂部愛理ほどの魔法技量の持ち主ならば、皆代統魔と並ぶ、いや、皆代統魔をも陵駕する魔法士になるのではないか。
戦団史上最強の導士が誕生するのではないか。
そう期待されてもおかしくないくらいの才能と技量、実力を持ち合わせていた。
精神性にも欠点は見当たらない。
愛理は、努力の人だ。どれだけ困難にぶち当たっても、決して諦めず、前進し続ける人だった。
もし幸多と出逢わなかったとしても、必ずや解決策を見出しただろう。
幸多は、そう確信していた。
愛理が万能症候群を乗り越えられたのは、彼女自身の精神性、実力、技量があってこそであり、幸多は、ただ助言しただけに過ぎない。
それなのに彼女は、魔導院の面接で幸多の名を挙げるほどに特別視してくれているのだ。
(ああ……)
幸多は、顔を上げ、全身の激痛に抗うように立ち上がった。
時間が、繰り返されている。
何度も、何度も、数え切れないくらい、何度も。
同じ場面、同じ光景、同じ復活、同じ死――無限に繰り返される運命の輪。
マモンが〈時の檻〉と呼ぶのも頷ける話だ。
幸多の頭の中には、無数の死があった。何度となく殺されてきた杖長たちの姿があり、導士たちの姿があった。無数の死に様があり、幾度とない復活があった。
ならば、まず、やるべきことはなにか。
彼の復活を食い止めるべきだ。
天燎鏡磨の。
そして、決まり切った運命の流れを変えるのだ。
〈時の檻〉を破壊して、愛理を救うために。
マモンを打倒するために。
「幸多くん! 聞こえているの!?」
「酷い有り様だ。いつの間にそんなことに……」
「大丈夫です。ぼくのことなら、心配しないでください」
幸多は、強がりではなく、そういった。
南雲火水と矢井田風土は、顔を見合わせ、頭を振る。幸多が重傷の余り錯乱しているのではないか、と、思ったのかもしれない。
幸多は、満身創痍だった。全身に傷を受け、さらに胸と腹、左腿に重傷を負っている。その傷の治りが普段より遅い理由は不明だったし、なぜ、この傷だけが治っていないのかもわからない。
(いや……)
幸多は、胸中で頭を振る。
マモンの言葉を思い出したのだ。
(特異点……か)
マモンは、いった。
特異点だから、と。
幸多は、特異点だから、時間転移に巻き込まれていないのだ。
実際には巻き込まれているのだが、時間転移そのものの影響を受けていない。
幸多は、あのとき、あの瞬間のままの幸多なのだ。
時間転移の影響を受けているのであれば、時間転移が引き起こされるまでのことを記憶しているのもおかしい。
記憶が混線しているのも、時間転移の影響を受けていないからこそだ。
そしてそうした現象には、思い当たることがあった。
美由理の星象現界だ。