第六百十話 特異点(十四)
「教えたと思うけど、彼女も特異点なんだよ。砂部愛理。きみを魔法使いなんていう、たった一人の人間。きみは幸せ者だね。こんなにも慕われ、尊敬され、信じられ、愛されている。正直、羨ましいよ」
「なにを……」
いっているのか。
幸多には、マモンが言い出してきたことが全く理解できず、愛理の無事を確かめることで精一杯だった。マモンに抱えられた愛理は、以前と同じく、全身に血を浴び、意識を失っているようだが、外傷は見当たらず、呼吸も正しく行っているように見える。
その点では安心していいのだが、心配なのは、彼女がマモンに囚われているということだ。
そして、マモンが愛理をこそ捕まえ、調べるためにこの大災害を引き起こしたのだということを思い出す。
全ては、愛理という特異点を調べ尽くすために。
「ぼくは欲深いんだ。悪魔だからね。なんだって欲しい。欲しいものが多すぎて、だから、〈強欲〉なんだろう」
マモンは、幸多の反応など気にも留めていなかった。幸多がどう反応しようが、どう動こうが、なにを考えていようが、なにも考えていまいが、関係がなかった。
どうせ、なにもできない。
この何度目かの時間転移がそれを示している。
彼には、なにもできない。
できるわけがない。
たとえ彼がサタンのいう特異点であっても、それがこの状況を打開できるとは、とても思えないのだ。
たとえば、愛理が今すぐ目覚め、時間転移を起こした結果、この一連の事件が発生する以前へと巻き戻されるようなことがあれば話は別だろうが、それもないだろう。
マモンは、愛理を見て、その安定した呼吸音を聞きながら、確信を深める。
愛理は、時間転移の力を制御できてはいない。
それどころか、魔法すらも完璧に扱えていないようなのだ。
だからこそ、時間転移魔法が暴発し、同じ時間が繰り返されている。
そしてそれを認識しているのは、おそらく、マモンと幸多だけだ。
もしかすると、サタンたちも認識しているかもしれないが。
「この〈時の檻〉は、彼女が作ったんだよ。彼女の魔法が、ね」
「〈時の檻〉……」
「だって、そうだろう? 決して変化することなく、無限に繰り返される時の流れの中で、ぼくたちは、なにをすることもできない。きみがぼくを斃すことも、ぼくがきみを殺すことも、きみが彼女を助けることも、ぼくが彼女を殺すことも――だから、永久無限に繰り返される。それを檻と呼ばずして、なんと呼ぼう」
マモンは、幸多に説明して見せながら、背中から触手を伸ばした。大量の触手でもって幸多を攻撃するのは、記憶の中にある光景を再現するためだった。
試す必要がある。
本当にこの〈時の檻〉が無限に繰り返されるものなのか。
本当に、打開策はないのか。
愛理を殺す以外に抜け出す道はないのか。
それを知るためには、やはり、彼女に時間転移を行ってもらう以外にはない。
マモンが行っているのは、そのための儀式だ。
マモンの幸多への攻撃は、幸多の全身をずたずたに傷つけ、引き裂き、瀕死の重傷へと変えていく。だが、幸多の目はぎらぎらと輝いていて、マモンを睨み据えている。血反吐を吐きながら、それでも闘志を絶やしていない。
幸多は、マモンの言葉が嘘でもでたらめでもないことを実感として理解しながら、であれば、この状況を打開するにはどうすればいいのかと考えていた。
四方八方から飛来するマモンの触手を避け続けることはできない。
相手は、鬼級幻魔だ。
身体能力だけが取り柄の幸多には、対抗のしようがなかった。鎧套を呼び出したところで、瞬時に破壊されてしまうし、展開型大盾・防塞も容易く貫かれた。
そして、包囲状態からの一斉砲撃が行われたのは、幸多の記憶通りであり、頭上から降ってきた光が彼を護ってくれたのもまた、記憶の中の映像と同じだった。
ドミニオンだ。
天使型幻魔は、当たり前のように幸多を庇い、光の翼を展開することによってマモンの砲撃を受け止めて見せた。
「やっぱり、遅いよ。もう少し早く介入してくれてもいいんじゃないかなあ?」
「お互い、事情があるものだ」
「事情が事情なんだよ、ドミニオン。ねえ、幸多くん」
マモンが同意を求めてくるが、幸多は無視した。それよりも幸多には、気にするべきことがあったからだ。
天使が翼を広げ、幸多の視界を解放する。広がった視界の中心には、無数の触手を展開する悪魔の姿があり、その悪魔は、幸多たちがなにをしてくるのかを考えているようだった。
「ドミニオン、あなたはぼくを助けてくれるのか?」
「それが我が縁なれば」
「縁?」
「わからなくてもいいことだ。だが、わたしにできることは限られているぞ」
「わかってる」
そんなことは、いわれるまでもなかった。
ドミニオンは、上位妖級幻魔以上、鬼級幻魔未満の力の持ち主でしかない。マモンと対等に戦えるわけもなければ、食い下がれるだけの力を持っているとは言い難い。
それは幸多も同じで、だからこそ、協力して事に当たるべきだった。
幻魔は、信用できない。
だが、利用できるものは全て利用するべきだったし、それで裏を掻かれるようなことがあるのであれば、そのときはそのときだ。
幸多は、覚悟を決めた。
いや、とっくに決めていたというべきだろう。
「愛理ちゃんを助けたい」
「良いだろう。わたしが奴の注意を引きつける。その隙にあの少女を奪取しろ。いっておくが、好機は一度しかないと思え」
「わかった」
幸多は、ドミニオンが一も二もなく自分に協力してくれることに対し、疑問こそ抱いたが、そんなことに拘っている場合ではないこともわかっていた。
状況は、切迫している。
利用すると決めたのならば、考え込む必要はなかった。
「行くぞ」
ドミニオンが左腕を掲げた。白銀に輝く左腕は、そこだけが別物のように見えたし、実際、別物だったのだろう。左腕から律像が展開し、魔法が発動する。
それは白銀の光弾となって放たれると、一瞬にしてマモンへと到達した。
マモンは、触手を前面に展開することで銀光弾を受け止めて見せたが、それは間違いだった。魔法弾は、触手で出来た壁に大穴を開け、触手そのものを崩壊させていく。
マモンが慌ててその場から飛び退いたことで事無きを得たが、あのまま突っ立っていたら、本体にも大打撃を受けていたことだろう。
「これは……」
マモンは、ばらばらになった触手が二度と復元しない様を見て、すぐさまドミニオンに目を遣った。ドミニオンの左腕が、銀色の光を放つ。
白銀の光弾を絶え間なく連射してくるドミニオンに対し、マモンは、回避行動で対応するしかなかった。飛び退き、躱し、体を屈め――その上で、ドミニオンを包囲した触手たちで砲撃を行う。
さすがのドミニオンも、一斉砲撃に対しては防御態勢を取るしかない。光の翼を展開し、全身を包み込んでやり過ごすのだ。
マモンは、その様を見て、確信する。
「そういうことか」
砲撃が止めば、ドミニオンは光の翼を展開し、左腕を掲げてみせる。手の先に集まった魔力が光弾となり、発射されれば、一瞬にしてマモンに到達する。そのときには、マモンも対応策を練っている。
自動的に反応する魔法盾を生成したのだ。
魔法には、魔法を。
ごくごく当たり前の理論を実戦すると、魔法弾と魔法盾がぶつかり合って消滅した。
そして、マモンの目の前に幸多がいた。
「愛理ちゃんを返してもらう」
「きみのものなの? この子」
マモンの質問は、幸多によって黙殺された上、あっさりと愛理が奪い取られてしまったものだから、彼は憮然とした。
マモンが愛理を傷つけることのないように優しく抱き抱えていたからだ。
その上で、ドミニオンに注意を引きつけられていた。
白銀の光弾は、今もなお連射されていて、マモンの眼前で次々と発生する魔法盾と激突しては、対消滅を繰り返していた。