第六十話 決戦へ
叢雲高校の控え室は、独特な緊張感に包まれていた。
対抗戦決勝大会が始まって以来、ずっと、こんな感じだ。
重苦しくも暗い熱気が、室内を押し潰そうとしているかのようであり、誰もが息苦しさの中で、しかしどうすることもできずに、主将の動向を見守っている。
主将たる草薙真が、その重圧の中心にいる。
彼は、対抗戦決勝大会を圧倒的な優勝で終えることを誓い、その考えを部員たちにも徹底させていた。
決勝大会に出場する他校すべてを打ちのめし、絶対的な勝利の旗を打ち立てる。
それが草薙真の宣誓である。
そんな主将の方針に異を唱える部員は、一人としていなかった。
部員の誰もが彼の実力を身を以て知っているからだ。部員の誰もが、彼の圧倒的な強さを理解しているからだ。彼には敵わないし、勝てるわけがなかった。彼と部の方針を巡って対立するなど、考えられないことだった。
そしてなにより、部員たちも、優勝したかった。
叢雲高校対抗戦部は、優勝から程遠い位置にいる。三年前から決勝大会に進出できておらず、三年前は同じ大和市の御鏡高校が、二年前は同市の勾玉高校が優勝を飾っている。それからというもの、大和市内の高校の中で、叢雲高校が格下に見られることが少なくなかった。
世間の評判ですら、そうだった。
叢雲が予選を通過すること自体、ありえないことだ、と、だれもが囁いていた。
そんな世間の評判を吹き飛ばしたのが、草薙真だ。彼が主将になってからというもの、叢雲高校対抗戦部の戦績は上昇傾向にあった。
対抗戦部は、なにもこの対抗戦がある六月だけ戦うわけではない。
大会期間外でも様々な活動をしていて、他校との交流戦も度々行った。
そして、そのたびに勝ちを重ねてきたのが、現在の対抗戦部だ。
草薙真の徹底した勝利への意識が、部員たちにも深々と刻まれていったのは、ある意味では当然だっただろう。
その結果が、いま、形になって表れている。
だから、この重苦しさに不満を漏らすものも、文句をいうものもいない。
顧問の教師すら、草薙真にはなにもいえなかった。
「いよいよ最終種目だね、兄さん」
ただ一人、平然とした様子で草薙真に声をかけることができるのは、弟の草薙実だけだった。
「そうだ。幻闘だ」
草薙真は、椅子から重い腰を上げると、部員たちを見回した。草薙実、布津珠子、虎徹勇美、三日月小夜、正宗次郎、村雨遼遠、長光秀、獅子王万里花の八人。
真が鍛えに鍛え抜いてきたこの八人は、他校の主力に勝るとも劣らない魔法士ばかりだ。その中でも精鋭中の精鋭というべき四人が、真とともに幻闘に出場する手筈になっている。
その人選も、真が行った。
「幻闘は、作戦通りに行く。わかっているな?」
「はい!」
「おう!」
「任せて!」
「わかっています!」
「頼んだぜ!」
「ご武運を祈っておりますわ!」
「優勝、頼みました!」
「うん、頼むよ、兄さん」
八人がそれぞれに草薙真に返事をすると、彼は、静かにうなずいた。
練りに練った作戦は、叢雲高校と、そして、真に絶対の勝利をもたらすに違いなかった。
星桜高校にとっては、予期せぬ事態といってよかった。
連戦連敗。
いいところがまるでないまま、最終種目になってしまった。
その絶望的な事実を前にして、主将・菖蒲坂隆司は、声を励まして、いった。
「対抗戦の歴史は、幻闘の歴史といってもいい。幻闘での大勝利によって大逆転し、優勝した高校がどれだけあるか。昨年の我が校の優勝も、そうだった」
菖蒲坂隆司は、昨年度の対抗戦にも二年生として出場し、逆転劇を目の当たりにしていた。だから、というわけではないが、この点差に絶望しきってはいなかった。
「なに、たかが二十点だ。なにも絶望することはない」
「隆司のいうとおりだ。常勝星桜が負けることなど、ありえないのだからな」
対抗戦部顧問が力強く、しかし、自分自身を納得させるようにいう。自信があるのかないのか、わかったものではない。
「とにかく、おれたちにやれるだけのことをやればいい。結果はそのあとからついてくるものだ」
菖蒲坂孝司が拳を掲げると、部員一同が拳を重ねた。梅園陽和、菊田翔悟、茜部光、苺谷信二、牡丹寺皓太。
誰もが幻闘での逆転劇を信じていた。
信じるしかなかった。
天神高校は、総合順位と向き合った結果、幻闘における戦術の練り直しを行っていた。
順位は圧倒的な下位といっていい。最下位と一点差しかなく、上位とは大きな差が開いている。この状況では、当初予定していた戦術通りに動くのは、余りにも危険だった。
「もっとも注意するべきは、叢雲ね」
主将の金田朝子が、幻板上に展開した戦場予想図を睨み付けるようにして、いった。
「叢雲の草薙くん、あいつはやばいわ。いかれてる」
「圧倒的だったな。少なくとも、まともにやり合って勝てる相手とは思えない」
月島羅日が怖じ気づいたかのようにつぶやくが、それには部員のだれもが同意していた。
草薙真は、今大会における閃球の得点王であり、その圧倒的としかいいようのない実力には、反論の余地なく平伏するしかなかった。
強すぎるのだ。
あんな学生がいるなど、考えられなかった。
それほどまでの実力差が、彼と、自分たちの間にある。
「ということで、当面は叢雲は無視して、他を狩って撃破点を稼ぐわ」
「狙い目は、天燎?」
「ええ。わかってると思うけど、天燎にはお荷物ちゃんがいるもの」
「皆代くんね」
「でも彼、草薙くんに張り付いてたけど」
「あのね、ただの魔法不能者が全力の草薙くんに張り付き続けられるわけないでしょ。草薙くんが手を抜いてただけよ。温存するためにね」
「そう……だよね。うん」
金田朝子の考えは、至極真っ当に思えたため、だれもが納得した。確かにいわれてみればその通りだ。あの草薙真が全力を発揮して、魔法不能者如きに競り負けるなどあり得る話ではなかった。
「皆代くんが出なかった場合は?」
月島羅日が当然の疑問を発する。
幻闘の出場選手は、開戦の瞬間までわからない。出場選手を登録するのも、閃球終了後である。
幻闘に出場可能なのは、各校最大十人。しかし、昨今の対抗戦では、幻闘に十人を出場させるのはむしろ不利に鳴る可能性が高いため、それはありえなかった。
そもそも、今大会で十名も選手登録している高校はなかった。
最大でも叢雲の七人だった。そして、叢雲がその七人全員を投入してくるとは、考えにくい。
天燎高校が幻闘に皆代幸多を出場させない可能性もまた、高かった。魔法を使えないのだ。足を引っ張ることになるのは、目に見えている。
「そのときは、御影」
金田朝子は、妹の顔を脳裏に浮かべて、告げた。
御影高校は、どうしたところで暗くなる雰囲気を払拭することが出来なかった。
閃球における大敗に次ぐ大敗で、落ち込まないわけがないのだ。
「皆さんよく頑張っています。本当に。だから、そう落ち込まないでください」
対抗戦部顧問が、部員たちのあまりの意気消沈ぶりになんとかして立ち直らせようと苦心したが、しかし、そう簡単に吹っ切れるものでもなかった。
圧倒的な力量差を実感して、打ちのめされている。
金田友美も、その打ち拉がれている部員の一人であり、彼女は、特に天神高校との直接対決に敗れた事実が重くのし掛かっていた。
「頑張ったって、勝てなきゃ意味ないんすよ」
「そんなこと……」
「ありますよ。優勝を目指してきたんですから」
主将・鉄木清信の言葉には、顧問もなにもいえなかった。顧問としては彼らを励まそうとしたのだが、しかし、励ますための言葉が思い浮かばないのだ。
圧倒的な敗戦の連続には、顧問も絶望を実感している。
「……そうよ」
金田友美は、決然と立ち上がった。
「優勝よ、優勝」
「うん?」
「なに?」
「優勝すればいいのよ。簡単なことだったわ」
「えーと?」
「だから、幻闘で全部ぶっ倒して、優勝をかっさらえば、こんな負け犬気分ともおさらばってわけなのよ。とっても簡単な、誰にでもわかる理屈よ」
「それは……そうだけれど……」
顧問は、金田友美の吹っ切ったような発言を受けて、それが難しいから絶望していたのではないのか、などと思ったりした。
御影高校部員一同が、金田友美の発言をきっかけに立ち直ったのは、顧問にはまったく理屈のわからないことだった。
「幻闘のおさらいだ」
圭悟が、いった。
「対抗戦の幻闘は、決勝大会出場全校が同時に戦う、総力戦だ。各校最大十人まで出場させることができるが、登録選手数からして、十人出してくる学校はねえ」
「多く出せばいいってわけじゃないからね」
過去、最大十人で出場した高校がいくつもあり、そのたびに大敗に終わったという記録がある。故に、現在は、出場人数を絞るのが主流になっていた。
「おう。幻闘は、六十分の制限時間内で如何にして他校の選手を撃破し、如何にして自校の選手を守るかが問われる競技だからな。大量に出場させ、生存数を増やしたところで、その分撃破点を取られりゃ世話ないのさ」
「撃破点×生存点、だもんねえ」
真弥が眉根を寄せながら、いった。
撃破点とは、他校生徒を撃破した際に加算される点数である。
生存点とは、制限時間一杯まで生き残った自校生徒の人数分加算される点数である。
それら撃破点と生存点を掛け合わせることによって算出された数値が、そのまま、総合得点に加算されるのだ。
「そういうこと。生存点だけを狙っても駄目だし、ただひたすら撃破点を稼いだ挙げ句、誰一人生存できなきゃ得点にはならねえ」
だから、と、圭悟は部員一同を見回した。
「おれたちゃあ、なんとしてでも生き残らなきゃなんねえってこった」
圭悟の戦術は、既に全員に言い含めている。




