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第六百七話 特異点(十一)

 絶叫が、聞こえた。

 愛理あいりの声だった。

 のどが張り裂けんばかりの大声が幸多こうた耳朶じだに届き、鼓膜こまくを貫通して、脳髄のうずいに刻みつけられるような感覚。

 それほどの叫び声だった。

 嗚咽おえつであり、慟哭どうこくであり、悲嘆ひたんであり、そして、絶望でもある――そんな声だった。

 幸多は、愛理が目を見開く瞬間を見ていたし、彼女の全身から律像りつぞうが展開する光景を目の当たりにしていた。

 けれども、幸多には、もはやなにもできるわけがなかった。

 致命傷を受けていた。

 ももはともかく、胸と腹への一撃は、簡単には塞ぎようがないほどの重傷だった。特に胸への攻撃が痛烈だった。マモンの触手は、幸多の心臓に達していたのだ。心臓を突き破りこそしなかったものの、浅く、しかし確かに傷つけたことがはっきりと認識できるのだ。

 どういう理屈なのかは、わからない。

 だが、幸多は、確かに自分の体に起きている現象を微細びさいなまでに理解できていた。どの傷がどの程度のもので、どれくらいで完治するのかまで、なぜだかわかった。

 心臓の傷も、いずれ治る。

 完治する。

 そうすれば、動き出すことも、戦うことだって可能になる。

 少しの辛抱だ。

 少し、ほんの少し時間があれば、立ち上がって、愛理の元へ駆け出すことができるはずなのだ。

 けれども、それは間に合わなかった。

 愛理の全身から発散された律像は、超高密度かつ多層構造であり、並の魔法のそれではなかった。複雑で精緻せいちなそれは、魔法の設計図というよりは芸術作品に近い。

 見るだけで圧倒され、茫然としてしまうほどだった。

 幸多は、義眼のおかげで彼女の律像を見ることができているのだが、それによって律像の凄まじさに気を取られてしまった。

 仮に律像が見えなかったとしても、なにもできなかったのだろうが。

「これは――」

 だれかが、なにかをいおうとして――そして、世界が暗転した。


「――幸多くん! 皆代幸多くん!」

 耳朶をつんざくくような大声が、幸多の意識を激しく揺さぶった。

 聞き覚えのある女性の声だった。

 馴染みのある声ではないが、直近で聞いたことがあって、だからはっきりと覚えている。

 南雲火水なぐもひすいの声。

 死者の――。

「どうしたの!? なにがあったの!?」

「どれだ? どれがきみを攻撃した?」

 動揺を隠しきれないといった様子の火水に対し、冷静極まりない矢井田風土やいだかざとの声が重なる。

 幸多は、はっと目を開き、同時に生じた激痛に顔をしかめた。胸が痛い。見ずとも、ついさきほどマモンに穿たれた胸の穴から血が噴き出しているのだろうということはわかる。それは腹や腿の傷口も同様だ。

 だが、血が溢れ出したのは口の中からであり、闘衣や鎧套の隙間からだった。

 そこで、はたと気づく。

 マモンとの戦闘で傷だらけになったはずの闘衣と鎧套が元通りに戻っていた。そして、装甲の隙間から大量の血液が流れ落ちているのだ。

 その様子を目の当たりにすれば、誰だって取り乱すものだろう。

 たとえ、歴戦の猛者である杖長じょうちょうだとしても、だ。

 しかし、幸多こそ、混乱するほかなかった。

 傷口は、確かにある。

 マモンの触手に穿うがたれた胸や腹の傷だけでなく、体中、様々な箇所の傷痕が疼き続けている。全身の細胞という細胞が蠢き、一刻も早く回復しようとしていることも、なんとはなしにわかるのだ。

 あのとき受けた致命傷は、静かに、しかし確実に塞がりつつある。

 が、問題はそんなことではない。

 幸多は、星象現界せいしょうげんかい双天火水そうてんひすいを纏う火水が目の前に立っていて、星象現界・風神金剛ふうじんこんごうを引き連れた風土が周囲を警戒している様を目の当たりにしているのだ。

 どういうわけか復活した天燎鏡磨てんりょうきょうまによって殺されたはずの二人が、立っている。

 そして、心配そうな顔で幸多を見ていた。

 南雲火水も、矢井田風土も、無傷だった。

 鏡磨に殺されてもいなければ、傷ひとつ負っていない。星象現界を維持したまま、周囲を警戒しているのだ。

 それはなぜか。

 周囲に――遊園地内に多数の機械型幻魔マキナ・タイプが存在しているからであり、咆哮と破壊音が鳴り響いているからだ。

「え……?」

 幸多は、愕然がくぜんとするほかなかったし、頭の中に疑問符が乱舞していた。混乱が意識を席巻せっけんし、思考を掻き乱す。

 記憶が、混線している。

 夢を見ているのではないか。

 あるいは、これこそが走馬灯そうまとうという奴なのかもしれない。

 そんなことすら考えるのだが、しかし、胸の痛みは、確かに存在していたし、それこそが生の実感を与えてくれるのだ。

 生きている。

 死んではいない。

 では、この状況はどういうことなのか。

 意味がわからない。

「おいおいおいおい、いくらなんでも油断しすぎじゃねえのか?」

 などと、頭上から幸多に声をかけてきたのは、ハイパーソニック小隊の音波空護おとなみくうごだった。法機ほうきに跨がって空を舞うハイパーソニック小隊は、機械型への攻撃を行いつつも、幸多の心配をしてくれているらしい。

 その優しさは嬉しいのだが、しかし、幸多の混乱は加速するばかりだった。

 空護を始めとするハイパーソニック小隊も、全員、死んだはずだ。

 いや、それどころではない。

 出雲いずも遊園地に配置されていた導士全員が、幸多を残して皆殺しにされてしまった。

 星象現界に覚醒した天燎鏡磨によって、だ。

 なのに、彼らはいま、生き生きと機械型幻魔の掃討戦へと移っている。

 幸多は、荒い呼吸を整えながら体を起こそうとしたが、痛みがそれを許さなかった。

「無理はしちゃだめよ。きみの体は、わたしたちとは違うんだから」

「そうだな。きみの体は頑丈だが、とはいえ、魔法で治療できない以上、回復するのを待つべきだ。なにが起こったのか、どの幻魔から攻撃を受けたのかは、それから調べても良い」

「は、はい……」

 杖長たちの言うとおりではあったし、彼らの指示に従う以外にはないのだが、幸多は、依然、不思議な感覚の中にいた。

 さっきまでの戦いはなんだったのか。

 天燎鏡磨に全滅させられて、マモンが現れて、さらに天使までもが現れたのは、なんだったというのか。

 今の今まで、夢を見ていたとでもいうのか。

 白昼夢を。

 幸多は、かぶりを振る。胸や腹、全身の傷が、先程のまでの出来事が白昼夢などではなかったことを証明している。

 鏡磨との戦闘では、このような傷は負っていないのだ。

 この傷は全て、マモンにつけられたものだ。

 鬼級幻魔の強力無比な攻撃だからこその負傷であり、治りの遅さなのだ。これは間違いなかったし、だからこそ幸多は、混乱するのだ。

 なにが起きたというのか。

 あのとき、幸多は、確かに見た。

 愛理の全身から膨大な量の律像が、魔法の設計図が、怒涛どとうのように展開していく光景を目撃したのだ。

 それはさながら星象現界が発動される際の光景にも似ていた。

 あの瞬間、愛理が、魔法を発動させたのではないか。

 それが星象現界であるかどうかはわからないし、幸多には判別しようもないのだが、だからどうだという話ではあった。

 愛理があの瞬間に魔法を使ったとして、それでどうしてこのような状況に陥るのかということだ。

 幸多は、混乱し続ける頭の中で、それでもどうにかして冷静さを取り戻そうと必死だった。胸の痛みも、腹や全身の傷も急速に塞がっていく。

 幸多が体を起こしたときには、機械型幻魔と導士たちは、遊園地内のそこかしこで激戦を繰り広げていて、その光景こそ嘘のように思えてならなかった。

 失われたはずの過去が、今まさに目の前で展開されているのだ。

 奪われたはずの命が、絢爛けんらんたる輝きを放っている。

 空護率いるハイパーソニック小隊が、その名に相応しい高速戦闘を展開すれば、火水と風土が星象現界でもって機械型を圧倒し、殲滅せんめつしていく。

 その最中、幸多は、はたと気づいた。

 天燎鏡磨の死体から、いままさに雷光が柱となって立ち上ろうとしていたのだ。



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