第六百四話 特異点(八)
鏡磨の星象現界は、どうやら麒麟寺蒼秀の星象現界・八雷神を模倣したもののようだった。
ただし、ところどころに鏡磨独自の変更が加えられている。
特に見た目が八雷神とは大いに違う。
八雷神は、雷光そのものを装束のように身に纏う武装顕現型の星象現界だが、鏡磨のそれは、雷光そのものというよりは、星神力でもって作り上げた漆黒の装甲を全身に装着しているかのようだった。その上で琥珀色の雷光を帯びている。
装甲は、人型魔導戦術機のそれに酷似している。
鏡磨にとって執着するべき点は、そこなのだろう。
つまり、見た目だけならば八雷神と全く異なるということになるのだが、受ける印象としてはほとんど大差なかった。どういう理屈なのか。
その疑問に対する解は、単純だ。
星象現界の構造がそっくりなのだ。
蒼秀の八雷神は、雷身という補型魔法を中心とし、八種の攻型魔法を全身に装備するかのようにして編み上げられたものである。それによって蒼秀は、呼吸をするようにして破壊的な魔法を発動させることが可能なのであり、アザゼルが強敵だったと評価するほどの力を発揮したのだ。
一方、鏡磨の星象現界もまた、八雷神と同様の構造をしていた。中心となるのも、雷身である。
生体義肢・禍御雷に内臓されていた魔法が雷身と、部位ごとに異なる魔法なのだから、雷身を基本とするのは必然だった。そして、雷身を中心として、各部位に必要な魔法を編み出していったのだとすれば、鏡磨には魔法士としての才能が満ち溢れていたということになる。
鏡磨に与えた禍御雷は、背骨の部分に当たる。八雷神でいえば析雷の部位であり、それ以外の部位の魔法は、彼自身が編み出さなければならなかった。
事前に情報として知っているとはいっても瞬時に模倣できるほど、簡単な魔法ではなかったはずだ。
しかし、鏡磨は、それを成し遂げている。
雷身を含め、九種の魔法を全身の各部位に纏い、背後には、天燎財団の紋章にも似た光背を輝かせる様は、驚異的というほかないだろう。
本来ならばとっくに死んでいるはずの実験動物がやっていいことではない。
だから、マモンは、考えるのだ。
なぜ、どうして、彼は生きているのか。
死ぬことで役割を果たすべき彼がなぜ、いまもなお平然とした顔でそこにいるのか。その上、星象現界まで発動して、我が物顔で導士たちを殺戮し、皆代幸多にまで手をかけようとしていたというのは、どうにも許し難いことだ。
「わたしは、わたしだ! わたしは、天燎鏡磨だ! わたしはなにものにも支配されない! わたしを支配するのは、わたしだけだ!」
「だったら、最初からぼくに従わなければ良かったんだよ。代わりなんて、いくらでもいるんだから」
マモンは、道理を説き、再び足元に飛来した武器を躱した。
幸多だ。幸多が、武器を召喚しては投げつけてきている。接近戦に持ち込むには、あまりにも絶望的な実力差があるということを認識しているからだろう。
健気というべきか、不毛というべきか。
どちらにしても、マモンにとっては、いまはどうでもいいことだ。
いま、注力するべきは、鏡磨だった。
鏡磨が掲げた右手の先に、巨大な雷球が生じていた。莫大な星神力が凝縮して膨れ上がったそれは、土雷によく似ている。土雷の模倣なのだから当然だろうが、その威力は、禍御雷のそれとは比較にならないだろう。
鏡磨は、いま、コード666を発動した幻魔人間たちよりも圧倒的な魔素質量を内包しており、その周囲には常に莫大な星神力が渦巻いていた。
並の幻魔は、接近するだけで消滅してしまうのではないかと思えるほどの雷光の奔流。
だが、マモンには、なんの問題もない。
統魔が投擲してくる武器のようだ。
眩いばかりの雷光も、マモンの目を細めることすらなかった。
強大極まる星神力も、マモンに注意を喚起させるだけであって、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
「天満大自在天神! それが我が星象現界の名だ! 思い知るがいい!」
「天満大自在天神……あー、菅原道真だっけ?」
マモンは、またしても飛来した短剣を軽く躱しながら、小さくつぶやいた。マモンの脳内には、膨大な知識が蓄積されている。日夜書物を読み漁っているだけでなく、ネットワークから流れ込んでくる情報もまた莫大だった。そうした情報が、常にマモンの脳内を知識の海のようにしていたし、だから、すぐに理解できたのだ。
鏡磨の星象現界・天満大自在天神の由来について。
そして、それを理解すると、途端に馬鹿らしくなった。
「だとすれば、八雷神のほうが格上じゃない?」
「ほざいていろ!」
鏡磨は叫び、全身全霊の星神力を込めて生み出した大雷球をマモンに向けて投げ放った。超密度の星神力の塊は、空間を歪めながら、一瞬にしてマモンへと到達する。
マモンは、といえば、微動だにしなかった。
鏡磨には、マモンが身動ぎ一つできないまま、大雷球に飲まれていく様が見えていたし、それによって悪魔などと名乗る鬼級幻魔が致命傷を負うに違いないと確信していた。
鬼級幻魔が圧倒的な力を持っていることは理解している。
星将が三人がかりでようやく対等に持ち込めるといわれるのが、鬼級幻魔だ。
それはつまり、星将一人の星象現界では、手傷を負わせるのも難しいということだが、鏡磨は、自分ならばそれも不可能ではないと思っていたし、それは確信そのものだった。
全身に満ち溢れる強大無比な力が、そう思わせる。
マモンによる支配の縛鎖を断ち切り、こうして自由自在に振る舞うことが出来ているのだ。マモン如き、一撃で斃せて当然だった。
だが。
「――魔法士としての才能をこそ、磨くべきだったね」
大雷球の真っ只中からマモンの声が聞こえたかと思うと、鏡磨は、全身がずたずたに引き裂かれる感覚に苛まれ、意識が真っ白に塗り潰されていくのを認めた。
「なぜ――」
「なぜって、ぼくが悪魔だからだよ」
マモンの声が、鏡磨の耳元で聞こえた。どうやってか、雷球の中から移動してきたようだった。そして、一瞥すれば、その小さな背中を割って伸びてきた無数の触手が、金属製の刃を閃かせているのがわかった。
それらが、鏡磨の全身を切り刻んだのだ。
星装に護られた堅牢強固な肉体を、意図も容易く、簡単に。
鏡磨の意識は、そこで途切れた。
幸多は、特大の雷球の爆発に巻き込まれないようにその場を飛び離れながら、ばらばらになった鏡磨の体が地上に降り注ぐ様を見ていた。内臓や血液、体液とともに降ってくるのは、死、そのものだ。
そして、死をもたらしたのは、マモンである。
マモンは、雷球が大爆発を引き起こす中にあって、悠然と舞い降りてきていた。
愛理を抱き抱えたまま、少年の姿から悪魔の姿へと変貌していく。
翡翠色の髪の少年という容貌はそのままに、白衣を纏い、悪魔染みた異形が各部位に現れる。特に目に付くのは、左手首にある歯車のような黒い輪だろう。
そして、赤黒い瞳。
幻魔の目。
その目が、幸多を見つめていた。
「天燎鏡磨。彼は、魔法士として、並外れた才能があったようだよ。きみとは違ってね」
マモンは、鏡磨の無惨な死体を一瞥し、それだけで興味を失ったようだった。すぐさま、幸多に視線を戻す。
幸多はといえば、既に別の武器を召喚していて、その長い柄を握り締めていた。
二十二式機薙刀・薙魔。
そんなものが通用する相手ではないことくらい、重々承知だ。
だが、救援を望めない以上、やるしかない。
幸多は、とっくに覚悟を決めていた。