第六百二話 特異点(六)
マモンが、バアル・ゼブルから聞かされた言葉について考え込むようになってからというもの、研究に打ち込む時間が増えた。
アザゼルが麒麟寺蒼秀から奪い取った右腕を研究、解析した上で作り出した生体義肢・禍御雷は、人型魔導戦術機イクサや機甲型に用いられた技術の発展系である。
ただの魔法士の右腕など、研究する価値もなければ、培養し、兵器に転用する理由もないが、麒麟寺蒼秀の右腕は違った。
戦団式魔導戦技の最秘奥、星象現界の残り火が宿っていたからだ。
麒麟寺蒼秀の星象現界・八雷神、そのわずかばかりの残り火を宿した右腕を解析し、技術的に再現したのが、禍御雷である。
しかも、本来の八雷神のように八つの部位に分けて再現しており、これを用いれば、人間を〈七悪〉の尖兵として利用することも不可能ではなかった。
そして、そうすることによって、〈怠惰〉の覚醒を促すことができるのではないか――というのが、マモンの考えだった。
けれども、彼は、培養槽を眺めながら、考え込んでしまうのだ。
「半端者……」
バアル・ゼブルが聞いたという言葉が、禍御雷が完成した今もなお、彼の耳朶に残っていた。それどころか脳内に反響し続けている。
半端者。
手を見下ろせば、この体が超密度の魔素で構成された魔晶体であることがはっきりとわかる。並の幻魔とは比較にならないほどの魔素質量は、鬼級幻魔の中でも上位に位置するのは疑いようがない。
それだけの力を生まれ以てなお、半端者といわれるのは、どういう理由なのか。
〈七悪〉に相応しくない、とは、どういう意味なのか。
「ぼくは、どうすれば認めて貰えるのかな?」
誰とはなしに問うたところで、虚空から返答が返ってくることはない。
〈強欲〉の間の一角。
研究や開発のための機材が所狭しと並べられた空間には、淡く重い光が満ちている。光の中心には、無数の培養槽が並んでいて、そこに満たされた液体の中に禍御雷の部位が固定されている。
腕、足、胸、腹、背骨、頭蓋――八雷神と同じ部位の生体部品である。
それらを人間に移植するだけでは、どうにもならない。人体が強大な魔力に耐えきれずに崩壊するだろう。
人体そのものに機甲型と同様の改造を施す必要があるのだ。
「どうすれば……」
マモンは、完成した生体部品たちを見て、それから視線を巡らせた。
マモンだけが利用する大量の機械群の中には、常にネットワークと通じている端末があり、映像板が虚空に投影されていた。
そこには、一人の少女が映し出されていた。
人間たちが機械事変と名付けた、マモンが引き起こした大規模幻魔災害、その際に彼が見出した少女。
「そうか、わかった。わかったよ、アスモデウス」
マモンは、映像板の少女から禍御雷に視線を戻すと、ほくそ笑んだ。
頭の中の混乱が収まり、急速に回転を始めた。彼の頭脳が綿密とは言い難い計画を速やかに紡ぎ上げていく。
この禍御雷を利用した大計画だ。
それが成功すれば、アスモデウスも自分のことを認めてくれるだろう。
半端者などといわなくなるに違いなかったし、全力で受け入れてくれるのではないか。
愛してくれるのではないか。
「……ああ、そうか」
そして、マモンは、自分が常にアスモデウスのことばかり気にしていることにようやく気づいたのだ。
「ぼくは、欲深いんだな」
本来、〈強欲〉は、なにも知識だけに向けられるものではない。
全てを欲するからこその〈強欲〉であり、アスモデウスの愛すらも自分だけのものにしたいという欲求があるのだと、いままさにマモンは理解し、認識したのだ。
そして、彼の計画が動き出した。
まず用意しなければならないのは、禍御雷を使用する人間たちだった。
〈七悪〉の配下に人間はいない。
アスモデウスは、マモンを生み出すために人間たちをその色香でもって大いに利用してきたようだが、利用しただけであって、支配下に置いていたわけではなかったし、いまも繋がりがあるわけでもなかった。
今や大半の人間がアスモデウスの支配から解放されていて、再利用することは難しい状態のようだ。
その上、再び人間社会に紛れ込むのはもはや簡単なことではない、とも、彼女は言っていた。
アスモデウスの固有波形が明らかとなり、戦団が央都中に警戒網を張り巡らせているからだ。
アスモデウスだけではない。
サタンも、アーリマンも、アザゼルも、バアル・ゼブルも、マモンでさえも、その固有波形が認識されているのだ。
固有波形を欺瞞する方法でも見つからない限り、人間社会に溶け込むことは難しい。
皆代幸多を使ってあんなことをしたからだ、と、言いたいところだが、それもこれもサタンの思惑通りなのだとすれば、マモンの意見など通るわけもなかった。
とはいえ、マモンは悪魔である。
鬼級幻魔以上の力を持つ幻魔の中の幻魔にして、〈七悪〉の一柱。
その力は強大無比であり、どれだけ戦団が警戒していようとも、問答無用で行動を起こすことは難しくなかった。
それによって大騒動が起こるのだとしても、構いはしない。
半端者という汚名を返上するには、行動する以外にはないのだ。
マモンは、計画に必要な人材を集めた。
それが天燎鏡磨を始めとする八人の囚人であり、彼らが戦団に恨みを持っているからこそ、利用価値を見出したのだ。
戦団への恨み辛み、憎悪や復讐心が、禍御雷の力を増幅させるだろう。
八人の囚人のうち、何人かはマモンとの交渉を拒絶した。が、マモンは、彼らの言い分など聞き入れるつもりはなかったし、そもそも、交渉などというものでもなかった。
マモンは、彼らを人間から機甲型幻魔へと改造し、禍御雷を埋め込んだ。
そして、彼らに禍御雷という名を与えた。
禍御雷たちは、その圧倒的な力に酔い痴れたのか、マモンに忠誠を誓った。
その力があれば、戦団を打倒することも難しくないのではないか、などと能天気に考えていたようだが、だとすれば、あまりにも戦団を見くびりすぎている。
戦団は、これまでに鬼級幻魔を四体撃破し、竜級幻魔をも撃退したという実績がある。
それほどの力を持つ組織に対し、たった八人の機甲型になにが出来るというのか。
マモンは、彼らに命令を下しながら、禍御雷たちの愚かしさに目眩すら覚えるようだった。
そのように改造したのが自分なのだということは、わかっているのだが。
そして、魔暦二百二十二年八月二十五日、マモンの大計画が発動した。
七名の禍御雷による、央都四市各所への同時攻撃。
それによって人類生存圏は、過去類を見ないほどの大混乱に陥った。
マモンは、その混乱の真っ只中にいた。
つまり、出雲遊園地に、だ。
禍御雷や多数の機甲型が入り乱れ、膨大な魔素が乱舞する戦場にあって、彼の固有波形を特定するのは困難を極めた。
なにせ、禍御雷や機甲型からもマモンの固有波形が観測されるのだ。
マモンが遊園地の地下に隠れることは、難しいことではなかった。
そして、彼女と接触することも、簡単なことだったのだ。
全ては、彼の思惑通りだった。
なにもかもが計画通りに行き過ぎていて、怖いくらいだった。
「だいじょうぶだよ。戦団の導士様が、あんな連中に負けるわけがないよ」
東雲貞子という偽名を用いたアスモデウスにあやかって、東雲亞門と名乗った彼は、砂部愛理の不安を一掃するようにして、言った。
地上は、大混乱の真っ只中のはずだったし、激戦が繰り広げられていることだろう。しかし、戦団がこの地に派遣した戦力ならば、禍御雷程度、撃破できて当然だったし、禍御雷は斃されて然るべきだった。
だのに。
「少し、遅いな」
「え?」
きょとんと、愛理は、亞門が席から立つ様を見た。亞門の翡翠色の髪が、天井照明を浴びて、鮮やかに煌めいていた。
その横顔は、さながら天使のように美しかった。
けれども、
「仕方がない。行こう、砂部愛理」
愛理を見た亞門の瞳は、赤黒く、禍々しく輝いていたのだ。