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第五百九十八話 特異点(二)

「長引いている」

 アーリマンが思わずつぶやいたのは、己が〈クリファ〉の中で繰り広げられる戦いが、その苛烈かれつさによってこの闇の世界そのものに大打撃を与えている事実を理解しているからこそだった。

 闇の世界。

 あるいは、ハデス。

 アーリマンが主宰する〈殻〉の名も、当然、彼が考えたものだが、安直すぎるだの、もっと良い名前はなかったのかだの、言いたい放題言われているものの、彼自身は、その名を気に入っていた。

 この〈殻〉に相応しい名前だ。

「彼も、そう簡単に死ぬつもりはないということでしょう」

「ふむ……」

 彼は、眼下に視線を落とし、遥か闇の底からこちらを仰ぎ見ているアスモデウスの複雑そうな表情を見た。

 アスモデウス自らが生み出したマモンもまた、今回、処断の対象となっている。

 アスモデウスにしてみれば、納得の行かない事態には違いなく、だからこそ、自ら出向くことができないのかもしれない。

「かわいそうなマモン。バアル・ゼブルの口車に乗せられて、サタン様のお怒りを買うことになるだなんて……」

 アスモデウスは、大いになげきながら、闇の世界にこだまする死闘の音を聞いていた。

 〈強欲〉の間で始まったバアル・ゼブルとアザゼルの戦いは、〈暴食〉の間へと移っている。

 〈強欲〉の間は、マモンの領土だ。マモンが本領を発揮できるように設計されている空間であり、だからこそ、バアル・ゼブルは、アザゼルの攻撃をいなしながら、己が領土たる〈暴食〉の間へと移動したのだろう。

 彼がその欲求を満たすためだけに作り直した、闇の世界の一端。

 アーリマンの目には、その光景がはっきりと捉えられていたし、なにが起こっているのかも完全に把握はあくできていた。

 バアル・ゼブルとアザゼルの戦いは、激しさを増す一方だ。


「やるじゃあないか」

 アザゼルの声は、いつだって軽薄けいはくだ。

 バアル・ゼブルには、彼の発する言葉の全てが空疎くうそに聞こえたし、どんな内容であれ、聞き流しても問題ないのではないかと思っていた。

「思ってもいないことを!」

 叫び、バアル・ゼブルは、前方で両手を交差させた。すると、アザゼルが立っていた場所が歪み、ひしゃげていった。

 アザゼルごと、だ。

 だが、アザゼルには効いていない。

 ひしゃげていったのは、アザゼルの残像に過ぎなかったからだ。

 本体は、バアル・ゼブルの背後に現れている。

 バアル・ゼブルは、振り向かず、はね羽撃はばたかせて嵐を起こす。破壊的な魔力の嵐。〈暴食〉の間が根底から壊れていくが、こればかりは致し方のないことだ。

 力を抑えてどうにかなる相手ではない。

 〈暴食〉の間。

 この闇の世界におけるバアル・ゼブルの領土のことだ。

 〈七悪しちあく〉にはそれぞれ異なる象徴がある。

 サタンは〈憤怒ふんぬ〉、アーリマンは〈傲慢ごうまん〉、アスモデウスは〈色欲しきよく〉、アザゼルは〈嫉妬しっと〉、マモンは〈強欲〉、そして、バアル・ゼブルは〈暴食〉である。

 闇の世界におけるそれぞれの領土と象徴が結びつけられるのは、ある意味では当然だったのかもしれない。

 実際、それぞれの領土は、己の象徴に相応しいように作り替えられているものだったし、〈暴食〉の間には、地上から取り寄せた様々な食材が、数え切れないほどに積み上げられていた。

 全ては、バアル・ゼブルがその幻魔にあるまじき食欲を満たすためにほかならない。

 彼は、竜巻によってアザゼルの接近を阻むと、巻き込んで吹き飛ばしてしまった数多の食材を空間ごと喰らうことで、腹を満たした。

 それだけで、バアル・ゼブルの消耗した魔力は回復する。

 だからこそ、バアル・ゼブルは、アザゼルを〈暴食〉の間に引き込んだのだ。

 自分の領土こそ、その力を最大限に発揮できる空間だからだ。

ずるいなあ、本当に狡い。少し食べて全快? きみ、本当に悪魔なのかな?」

半端者はんぱものと呼んで見下してた奴がなにをいったところで、響かねえよ!」

「あー……そういうことか」

 アザゼルは、魔力の渦に打ち上げられた状態から態勢たいせいを立て直し、眼下を見た。バアル・ゼブルがこちらに向き直り、右腕を振り上げる。その直線上の空間に亀裂が走ったが、そのときには、アザゼルは場所を移動している。

 虚空を駆け抜け、地上へ至る。

 山のように積み上げられた大量の食材が、これまでの戦闘の影響ででたらめに散乱し、荒れ放題としか言いようのない光景を描き出しているが、そんなことは、彼にはどうでもよかった。

 バアル・ゼブルの空間攻撃は、止まらない。

 アザゼルの移動先の空間そのものが抉り取られ、さらに虚空の穴が拡大していく様を目の当たりにすれば、透かさず飛び退かざるを得ない。

 バアル・ゼブルの空間を抉り取る攻撃は、強力無比だ。

 直撃を喰らえば、アザゼルといえども痛撃となりかねない。

 とはいえ、逃げ回っているだけでは、決着をつけられないのも確かだ。

 バアル・ゼブルは、アザゼルが〈暴食〉の間をでたらめに移動しながらも攻撃の隙をうかがっていることを理解していた。だからこその大攻勢なのだ。相手に攻撃する隙を与えず、追い詰めていく。

 ここは、〈暴食〉の間。

 バアル・ゼブルにとってこそ有利な戦場であるはずだったし、いまのところ、その通りになっていた。

 彼は、止めどなく空間攻撃を繰り返しながら、回避し続けるアザゼルを誘導していく。

 菓子の山を離れ、肉の森へと至る。肉の森は、その名の通り、様々な獣の肉が木々のように立ち並ぶ区域である。もちろん、それらは全て、彼が地上から取り寄せたものだ。

 彼が得意とする空間魔法を用いれば、人間が自分たちのためだけに生産した食材の数々を奪い取ることなど、あまりにも容易い。

 そのことが地上で事件になっているなど、バアル・ゼブルにはどうでもいいことだ。

 幻魔災害に遭うよりは遥かに増しだろう。

 いや、バアル・ゼブルによって食材を奪われるのもまた、幻魔災害なのかもしれないが。

 そんなことは、彼には関係がない。

「必死だね」

「必死に決まってんだろ!」

 アザゼルの冷笑に対し、彼はえた。

 空間魔法が発動し、虚空に出現した巨大な口が、肉の森ごとアザゼルを飲み込み、バアル・ゼブルの腹に収まる。

 勝負は、長時間に及んだものの、決着は一瞬だった。

 バアル・ゼブルが己が領土に罠を張り巡らせていたからこその勝利である。

 肉の森に仕掛けていたのは、最大威力の攻撃魔法であり、規模、速度、精度ともに最高級品といっていい。だからこそ、アザゼルにも避けきれなかったのだ。

「なにが悪魔だ、クソが」

 バアル・ゼブルは、吐き捨てると、大量の肉が体内で消化され、肉を構成する魔素が全身に溶けていく感覚を味わっていた。

 幻魔は、通常、食事をしない。

 いや、魔素や魔力を取り込むことを食事といっていいのであれば、しないわけではないのだが、それは一般的には食事とはいわないだろう。

 だから、バアル・ゼブルは、自分が他の幻魔とは大きく異なる趣味趣向の持ち主だということを理解していたし、それこそが彼の中の違和感の始まりでもあった。

 他の幻魔との、他の悪魔たちとの差違。

 自分が何者で、何故、サタンに付き従っているのか。

 疑問が生じ、疑念が生まれた。

『きみの体内も悪くないけれどね』

 突如、バアル・ゼブルの脳内に響き渡ったのは、アザゼルの声であり、相変わらず軽薄極まりない声色には、力があった。

 死を身近に感じるほどの力。


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