第五百九十六話 雷神、光神、月女神(八)
豪雨となって降り注ぎ、洪水の如く戦場を飲み込んでいく虹色の光は、一見、幻想的としか言い様がなかったが、しかし、極めて凶悪で破壊的だということは誰の目にも明らかだった。
多数の獣級幻魔が巻き込まれ、断末魔を上げていく様は、地獄の一風景を見せつけられているようだ。
味方にどれだけの被害が生じようとも構わないのは、いかにも幻魔らしい戦い方といえるし、この大軍勢が徹底的に統率された組織ではないことを示している。
虹色の光による破壊の洪水の真っ只中にあって、巨大な三日月が無数の獣級幻魔を両断していく光景を見た。
ルナが、三日月を巨大化させて投げ放ったのだ。
「どう! これが三日月斬の切れ味よ!」
超高速で回転しながら飛翔する三日月は、多数の幻魔の強固な肉体を容易く真っ二つにしており、その切れ味の凄まじさを見せつけていた。そこへ虹色の洪水が押し寄せたものだから、幻魔たちは再生することすら叶わずに死んでいく。
「同士討ちってわけでもないが、なんだかな」
統魔は、虹の洪水のただ中で、ユルルングル・マキナの巨躯を仰ぎ見ていた。コード666の発動によって異形化、巨大化した上位獣級幻魔は、虹色の洪水を悪化させ続けている。
それが統魔たちに一切影響を及ぼさないことを理解しているはずなのにも関わらず、だ。
異様だった。
ユルルングル・マキナの周囲一帯に布陣していた多数の幻魔だけが、洪水に飲まれて死んでいく。
それを機械型幻魔は理解しているようだった。
赤黒く輝く双眸の奥で、知性が瞬いていた。
そして、虹の洪水がその流れを大きく変えたかと想うと、激流は、大地に満ちた幻魔の死骸を押し流すようにして、しかし、一点へと持ち運んでいく。
ユルルングル・マキナが開いた大口のただ中へ。
「なるほど」
統魔は、ようやくユルルングル・マキナの目的を把握した。
ユルルングル・マキナは、統魔と対峙した瞬間、力の差を把握したのだろう。そして、少しでもその差を埋めるための方法として、周囲の幻魔を殺し、その死によって生じる大量の魔力を取り込むことにしたのだ。
虹の洪水で統魔たちを撃破できないことなど、最初から織り込み済みだったということだ。
大量の死と、それによって生じた膨大極まりない魔力を取り込んだユルルングル・マキナは、その巨躯をさらに何倍にも膨張させた。
元よりリヴァイアサン級だった巨体が、その数倍――百メートルは優に超える大きさへと変貌する。
「いくらなんでもでかすぎない!?」
「確かに……」
ルナと字は、ユルルングル・マキナの変貌ぶりに驚きながらも、獣級幻魔との戦闘の手を止めることはしない。
ルナは、手元に戻ってきた三日月をまたしても弓のように構えると、破壊的な光線を乱射していたし、字は、大盾で幻魔の攻撃を防ぎながら、大剣を振り回して幻魔の群れを血祭りに上げている。
星装を身に纏う二人の前では、獣級幻魔などものの数にも入らない。
一方、統魔がユルルングル・マキナの変貌を見届けたのは、獣級幻魔の数を少しでも減らしてくれたことの感謝の気持ちのようなものだ。
コード666を発動するだけでは埋めがたい力の差をどうにかしようと足掻くだけ足掻いた機械型幻魔の結末は、変わりようがない。
だから、統魔は、ユルルングル・マキナが膨張した全身から虹色の翼を生やし、そこから無数の光線を発射してくるのを見ても、表情ひとつ変えなかった。
光輪を前面に展開し、統魔へと収束してくる虹光線の尽くを跳ね返し、吹き飛ばす。虹蛇が吼え猛る。複雑怪奇な律像が幾重にも展開し、虹色の光が乱舞する。
光属性魔法の乱打が、虹色の洪水以上の破壊を周囲にもたらし、幻魔軍団への被害をさらに拡大していく。このまま放っておけば自滅するのではないかというほどに惨憺たる有り様だ。
しかし、統魔には届かない。
統魔は、軽く魔法を唱えた。
「撃光雨」
真言の発声とともに、虹蛇の頭上から光の雨が降り注ぐ。ただひたすらに眩しく、破壊的な光の豪雨。それはさながら巨大な滝そのものであり、瞬く間にユルルングル・マキナの巨躯を飲み込むと、分厚い装甲を打ち破り、貫き、粉砕し、破壊していった。
だが、虹蛇も大したもので、凄まじい速度で損傷部位を再生して見せると、怒号とともに破壊的な魔法を統魔に乱射した。
虹色の光が螺旋を描き、統魔に殺到する。
統魔は、顔色一つ変えない。前方に展開した光輪を拡大し、幻魔の魔法を受け止めた。虹色の光が周囲に飛散して、流れ弾が幻魔を撃ち抜き、致命傷を負わせていく。
「ここまでにしよう。でないと……」
統魔は、虹蛇がさらなる大魔法を発動しようと律像を練り上げていく様を見て、告げた。前方に展開したままの光輪から、十一本の光条を突出させ、ユルルングル・マキナの腹を突き破る。そして、真言を紡ぐ。
「七星光」
虹蛇の体内にて発動した魔法は、七本の光芒となって幻魔の肉体を徹底的に破壊し、灼き尽くしていく。
ただの魔法ではない。
星神力を駆使した魔法は、通常時とは比較にならない威力を発揮するのだ。
大蛇の体内で暴れ回った統魔の魔法は、やがて、その魔晶体を貫き、体外へと放出される。凄まじいとしか言いようのない光の奔流。余波に触れるだけで、獣級幻魔はその存在を拒絶されるようにして消滅していった。
それほどの威力だ。
ユルルングル・マキナが断末魔を上げるまで時間はかからなかった。
幻魔の心臓たる魔晶核と機械型の心臓であるDEMコア、二つの心臓を破壊されてしまえば、いかに百メートル近くに巨大化した幻魔であっても、どうすることもできないのだ。
ただ死ぬだけだ。
絶命し、ただの死骸となった巨躯が、ばらばらになって落下するころ、蒼天に雷鳴が轟いた。
「まさに晴天の霹靂って奴だな」
統魔は、虹蛇の死骸の落下地点から遠ざかりながら、次々と降り注いでくる雷の強力さに目を丸くした。
強力無比な雷撃の数々は、麒麟寺蒼秀の雷魔法であり、星象現界・八雷神によって飛躍的に強化されたそれらは、やはり、直撃せずとも獣級幻魔を撃破していく。
降り注ぐ雷の雨は、未だ生き残っていた幻魔の大群を撃ち抜き、灼き尽くした。
その凄まじさには、統魔だけでなく、ルナも思わず掲げていた三日月をそのままにするくらいだったし、字などは大盾の影に身を隠すほどだった。
統魔は、天を仰ぎ、異界の空の膨大な魔素の狭間に満ちる星神力の強大さに畏怖すら感じ取った。
怒りだ。
怒りが、蒼秀を突き動かしている。
それが己の失態に対するものだということは、統魔にはいたいほどよくわかった。
蒼秀は、アザゼルとの死闘の中で自身の右腕を奪われたことを失態と捉えていたのだ。
星象現界中の右腕を奪われ、研究され、解析された結果、禍御雷なる改造人間たちが誕生し、戦団に多大な被害をもたらした。
そのことが彼自身に責任を感じさせている。
大空洞のこともある。
もしあのとき、統魔が星象現界に目覚めなければ、味泥中隊が全滅していてもおかしくなかったのだ。
それもこれも、蒼秀がアザゼルに不覚を取ったからにほかならない。
あのとき、右腕を奪われさえしなければ、少なくとも禍御雷は誕生していないし、全く異なる状況になったのではないか。
蒼秀は、極めて責任感の強い人だ。
彼がそのように考えていたのだとしても、なんら不思議ではない。
統魔は、降りしきる雷撃が、幻魔の大軍勢を殲滅するまで、天に在る雷神を見つめ続けていた。
蒼秀の魔法技量は、やはり、統魔とは比べものにならない。
威力も、精度も、なにもかもが、だ。
統魔は、星象現界を使えるようになった。だが、それだけだ。使いこなせてなどいなかったし、未だに力に振り回されているという感覚があった。
星将のように自在に使いこなせるようにならなければ、鬼級幻魔との戦いにおける戦力として駆り出されることはないだろう。
だからこそ、統魔は、蒼秀を見つめ続けるのだ。
戦団の雷神は、膨大な星神力を雷光として放出し続けており、無数の雷が止まない雨となって、混沌たる大地に降り続けていた。