第五百九十五話 雷神、光神、月女神(七)
「さっすがはアザリン! 飲み込みが早いね! そしてお腹ペコペコだね!」
「さっきからそればっかりだな」
「だってえ、お腹ぺっこぺこなんだもん!」
ルナは、白銀の衣に包まれた腹部をさすりながら、統魔に全力で己の苦しみを訴えた。
元よりルナは大食いだ。
そのことは指摘されるまでもなく自覚していることだが、元々は、そうではなかった。少なくとも、自分が人間ではないと自覚するまでは、普通の食事量で済んでいたはずだ。
だが、いまとなっては、普通の食事量では圧倒的に物足りなかった。
ただ物足りないというのであれば、我慢すればいいだけなのだろうが、ルナの場合は、そういうわけにはいかなかった。
食べなければ、力が湧かないのだ。
『通常、幻魔は食事をしない。人間に擬態しているから、人間社会に紛れ込んでいるから、とはいえ、あれほどまでに食事に執着する幻魔など、考えられない。よって、彼女は幻魔ではないのではないか』
とは、蒼秀の考えだが、それは彼女が幻魔ではないことを示すものであって、ルナが正体不明の人外の怪物であることを否定するものではない。
『人間でもないが、な』
蒼秀はそうはいったものの、もはやルナのことを危険視している様子は一切なかった。
第七軍団の一員として、戦団の導士として、認めている。
しかも、戦団の将来を担う人材になってくれることを期待さえしている節がある。
この若さで星象現界を体得したのだ。
期待しないほうが、どうかしている。
「寝惚けてなけりゃ、少しくらいは食えただろうにな」
「それは……そうだけどさ。なんだか意地悪だね! 統魔!」
「そうか?」
「そうだよ!」
ルナは、そんな風にいうと、地上へと降りていった。地上では、数多の幻魔と字の間で激戦が繰り広げられている。
(激戦……? 違うな)
統魔は、戦女神の星装を纏う字が、幻魔の大群を相手に一方的な戦いを行っている様を見ていた。
本来ならば字が蹂躙されて然るべき戦力差だ。
なにせ、敵の数が圧倒的なのだ。
字は、優秀な魔法士だ。しかし、数千体の獣級幻魔を相手に粘れるほどでもなければ、生き残れるほどではない。
無論、それは大多数の導士が当てはまることであり、それでもって字の実力が不足しているというわけではない。
これほどの大軍勢を相手にたった一人で戦い、生き抜くことが出来る導士など、戦団でも数えるほどしかいないだろう。
最低でも、星象現界が使えなければならないのではないか。
使えなくとも、杖長以上の実力がなければどうにもなるまい。
敵の大半は獣級幻魔だ。だが、数があまりにも多すぎた。数千体もの獣級幻魔が一挙に押し寄せてくれば、杖長ですら命の危機を伴う。
そんな危険極まりない戦場にありながら、数多の幻魔をたった一人で殺戮しているのが、字だ。神々しい星装を身に纏う彼女は、まさに死の大地に舞い降りた戦女神であり、大剣の一振りが多数の幻魔を死に追い遣る様は、圧倒的である。
圧倒的といえば、蒼秀も、そうだ。
前方に視線を向ければ、あれだけ数のいた飛行型幻魔の編隊は、いまや半壊状態だった。
八雷神を発動した蒼秀は、強力無比だ。
統魔の星象現界とは比較にならないほどの練度は、蒼秀が歴戦の導士ということもあるだろうし、星象現界を極めるべく死に物狂いで鍛え上げてきたからに違いない。
そんな師匠だからこそ、統魔は、蒼秀を心底尊敬していたし、信頼し、全てを委ねることができるのだ。
蒼秀の指示に従っていれば、間違いはない。
そう信じられる。
さて、地上では、戦いが激化の一途を辿っていた。
字の戦場にルナが参戦したからだ。
統魔も、地上に降りるべきかと考えながら、上空から地上への攻撃を続けている。
光芒による掃射で狙うのは、機械型幻魔である。
機械型幻魔たちは、咆哮とともにコード666を発動しており、その姿を大きく変貌させていた。
イクサや三田弘道の成れの果てを想起させる、漆黒の外装に覆われた怪物たち。
特にケルベロス・マキナやユルルングル・マキナといった上位獣級幻魔の機械型は、その性能の向上の恩恵を大きく受けるに違いなかったし、妖級に匹敵するほどの力を発揮してもおかしくはなかった。
三つ首の魔狼ケルベロス・マキナは、その頭の数をさらに増やしただけでなく、全身から無数の蛇の頭を生やしている。
虹蛇ユルルングル・マキナは、通常ならば虹色に輝く大蛇ということもあり、幻魔でありながら美しいと形容されるのだが、コード666によって全身を黒く紅く塗り潰されてしまっている。
そしてその金属製の装甲から数多の翼を生やしているのが、ユルルングル・マキナである。
機械型幻魔の変貌ぶりを見た統魔は、光芒の掃射を止めた。光輪を背後に戻し、虚空を蹴るように飛び出す。その際、光輪が火を噴いた。それによって超加速を得れば、統魔は、一瞬にしてケルベロス・マキナを眼前に捉えている。
ケルベロス・マキナの五つの頭と無数の蛇が、統魔を視認し、赤黒い眼光を激しく燃え上がらせた。無数の口が同時に咆哮を発し、魔法が具現する。
爆炎が、統魔を四方八方から押し包むように発生したのだ。
だが、統魔は、一切動揺しなかったし、魔法そのものを黙殺した。全周囲からの同時爆撃。確かに高火力であり、通常ならば、致命傷を負ったに違いなければ、死んでいてもおかしくはなかった。
しかし、統魔は、掠り傷ひとつ負わなかった。全周囲、あらゆる方向から押し寄せてくる爆炎を涼しい顔で受け流し、ケルベロス・マキナの頭頂部に踵を叩き込む。ただの打撃ではない。星神力を込めた打撃だ。その一撃で頭蓋が砕け散り、残る四つの頭部にも余波が響く。
ケルベロス・マキナが怒り狂い、体内の発火器官で生み出した炎を吐き出してくるのを統魔は待たない。踵落としからの足技の乱打でケルベロス・マキナの巨躯を打ち上げると、背後の光輪から十一本の光条を伸ばし、がら空きの腹に突き刺して見せた。
無論、コード666によって強化された魔晶体だ。生半可な攻撃が通用するわけもない。
十一本の光条がケルベロス・マキナの巨躯を貫いたのは、一本一本が凝縮された星神力の塊だからにほかならない。
超密度の星神力が、堅牢強固な魔法合金の装甲を突き破り、魔晶体をも貫通して見せた。さらにそこへ星神力を流し込めば、内部から破壊することも容易い。
統魔は、ケルベロス・マキナの頭部が急速に復元していく中、体内で爆発した星神力によって、その巨躯が粉々に吹き飛ぶ様を見届けた。
そこへ、虹色の光が雨のように降り注いできたので、統魔は、そちらを見遣る。
漆黒の装甲に覆われた巨大な蛇が、全身から生やした赤黒い光の翼を広げ、こちらを見下ろしている。
ユルルングル・マキナ。
全長十メートルほどはあるだろうか。
通常のユルルングルの二倍以上の体積は、コード666の発動によって生じた幻魔細胞の増大の結果だ。そしてその結果、幻魔にあるまじき美しさを誇る虹色の魔晶体は見られなくなってしまったのは、多少、残念な感じがあった。
無論、そちらのほうが機械型が本領を発揮するには望ましい状態なのは、統魔もわかっているのだが。
「もったいないな」
などといったものの、本音などではない。
幻魔は滅ぼすべし。
統魔を突き動かすのは、徹頭徹尾、その想いだけだ。
虹色の光の雨が周囲の幻魔をも巻き込みながら降り注ぐ中、統魔は、ユルルングルの赤黒い目を見据えた。
ユルルングル・マキナが声なき声で吼え、虹の雨をさらに激しく、苛烈なものへと変えていった。。
それはさながら洪水のように戦場を飲み込み、無数の幻魔たちを飲み込んでいく。
幻魔に仲間意識などはない。