第五百八十六話 銀河の守護者(三)
『これは……』
不意に、全神経を集中していた照彦の意識に入り込んできたのは、通信機越しの情報官の声だった。
余程の精神状態でもなければ、どのような状況であっても通信機の声に耳を貸すのが、優秀な導士というものであり、照彦も当然、通信機を飛び交う様々な声の中から必要なものだけを拾い上げる能力を持っていた。
無論、情報官との通信だけを生かしておくという方法もあるが、部下のことを第一に考えている照彦にとっては、部下一人一人の声を常に拾えるように設定しておくのは、当たり前のことだった。
だから、今現在、彼の通信機には、この拠点を護る導士たちの声が無数に飛び交っているのだ。
真言《しんごn》を唱える声、小隊長の部下への指示、圧倒的な幻魔の数と猛攻に対抗するべく奮戦する数多の導士たちの様々な声が、内容こそ照彦の頭の中に残らないものの、心に響き、力を与えてくれるようだった。
自分には、これだけの部下がいて、彼らの力があればこそ、第十二軍団は成り立っているのだと、いつものように確信する。
自分は、そんな軍団の中から軍団長に選ばれた一人に過ぎない。
無論、自分の実力が他より抜きんでていることは理解しているし、だからこそ、軍団長として、星将として、部下たちを護り抜かなければならないのだと思っている。
そしてそのためにこそ、彼らの声を少しでも聞いていたい、と、照彦は考えている。
部下の声が戦闘の邪魔になることは、一切、なかった。
むしろ、照彦の場合には、部下たちの声こそが力の源泉であり、戦い続けるための原動力なのだ。
ただし、星象現界を発動しようとしている状態では、その限りではない。
照彦は、部下たちの様々な声を脳内に飛び込んでくるのを除外することによって魔力を星神力へと昇華させ、さらに星象現界の律像を構築していたのだ。
そんな矢先、情報官の悲鳴にも似た声が届く。
『超特大質量、拠点直上に出現しました!?』
「あれですか」
照彦は、即座に頭上を仰ぎ見て、情報官が狼狽するのも納得した。
それは、第十衛星拠点の遥か上空にあった。青ざめた空の一点に出現した黒い物体。急速に巨大化しているように見えるのは、物凄い速度で近づいてきているからだ。
超巨大質量。
上位獣級幻魔の中でもリヴァイアサンと並ぶ巨躯を誇る幻魔であり、獣級幻魔の中で下位妖級幻魔にもっとも近い存在である。
莫大な魔素の塊にして、頑強極まりない魔晶体は、全長十メートルから二十メートル程度とされている。
リヴァイアサンとベヘモスには、明確な個体差があるからだ。
ただし、その個体差は、体の大きさと、大きさに比例した魔素質量にのみ現れる。
能力に違いはない、と、考えられている。
そんなベヘモスが遥か上空から拠点目掛けて落下してくる様は、隕石が降ってくる記録映像のようだった。
大気圏を貫き、赤熱する隕石のように、ベヘモスの巨躯もまた真っ赤に燃えていた。
「あんなのが降ってきたら一溜まりもありませんね」
『冷静に感想を述べている場合ですか!?』
「いやあ、まさか、こんな方法で拠点を壊滅させようなどと、幻魔が考えるとは想いもしなかったものですから」
『軍団長!?』
「まあ、持つでしょう」
照彦が、急速に近づいてくるベヘモスの巨躯が、彼の想像したそれよりも遥かに巨大であることに気づいたのは、その巨躯が陽光を遮り、視界を覆い尽くす影となってからだった。
十メートル、二十メートルどころの騒ぎではない。
「なんですか、あれは」
『固有波形の傾向から、機械型と考えられます!』
情報官の悲鳴は、このままでは機械型ベヘモスの巨体によって、魔法壁ごと拠点が押し潰されてしまう可能性を懸念したからだろう。
拠点を護る魔法壁は、多数の導士たちの合性魔法によって構築されており、堅牢極まりないのだが、しかし、二千体の幻魔の猛攻に曝され続けてもいる。
合性魔法とはいえ、絶対無敵の盾などではない。
攻撃を受け続ければ、当然、削られ続けるものであり、いずれ突破される可能性もある。
もちろん、導士たちは、常に魔法壁の補修や強化を行っているのだが、それを上回る速度で攻撃を受け続ければ、持たない。
(まるで怪獣そのものですね)
照彦は、胸中、こみ上げてくるものがあって、口の端に笑みを刻んだ。周囲の導士たちの誰にも見えないように、そっと、小さく。
誰一人、照彦に注目しているものはいなかったのだが、それでも、配慮しておくに越したことはない。
なにせ、戦団の戦場には、常にカメラが回っているのだ。
どこにヤタガラスが飛んでいるのかわからないし、その目線がどこに向けられているのか、どのような記録映像が残っているのか、戦闘が終わってからでなければ確認のしようがなかった。
だから、彼は笑みを隠したまま、いまや目前に迫った大怪獣に向かって告げるのだ。
「銀河守護神《G・ガーディアン》」
照彦の全身に充ち満ちた星神力が、複雑に絡み合った多層構造の律像とともに周囲に拡散していくと、莫大極まりない白金色の光が天へと昇った。
さながら巨大な光の柱として聳え立ったそれは、上空で膨大化すると、超極大機械型幻魔の落下を止めて見せた。
光の柱が受け止めたのではない。
光の柱の中から伸びてきた巨大な手が、ベヘモスの巨体から伸びた異形の角を握り締めたのだ。
さらにもう片方の腕が伸びてくると、ベヘモスの落下は完全に止まった。
そして、光の柱の中から、それは姿を現す。
それは、一言で言えば、白金色の光の巨人だ。
全長数十メートルはあろう巨躯を誇るそれは、常に眩い光を放っているということもあって、どのような姿形をしているのか、ぼんやりとした全体像でしかわからない。
形としては、人間に近い。全身に装甲を纏った人間がそのまま巨大化したようにも見えなくはないが、その肉体が超高密度の星神力の塊であることは、その勇姿を仰ぎ見る導士たちの大半が理解していた。
照彦の星象現界は、第十二軍団の導士の間では、常識といっても過言ではないからだ。
誰もがその圧倒的な巨躯を目の当たりにすれば腰を抜かしたものだったし、その破壊力を目撃して、慄然とするほかなかった。
照彦は、光の巨人でもってベヘモスの巨躯の落下を防ぎ止めると、超巨大質量が禍々しい咆哮を上げ、魔法を発動するのを見て、すぐさま放り投げた。
ベヘモスを投げ放った先には、獣級幻魔の群れがおり、その真っ只中に落下した大怪獣は、百体以上の幻魔を下敷きにして、魔界の大地に大穴を開けた。
だが、それだけだ。
ベヘモスは、未だ無傷の状態で健在であり、第十衛星拠点に出現した光の巨人と向き合うようにして、態勢を整えた。
「す、すげえ」
「さすが軍団長……」
「照彦様……惚れ直しますぅ……」
照彦の活躍を目の当たりにした導士たちの様々な声が、彼の耳に直接聞こえてくるのが、多少、気恥ずかしかったりもした。
彼らに戦功を稼がせるため、援護に徹しようとした結果がこれだ。
星象現界・銀河守護神を主戦場に引っ張り出さなければならなくなってしまった。
機械型のベヘモスは、既にコード666を発動しているらしく、その結果、とんでもない巨体を得ていたようだ。全身を覆う漆黒の装甲、その表面を走る紅い光跡は、コード666発動後の共通点だ。
さらにいえば、機械型幻魔の場合、全身の機械化がより複雑化しており、ベヘモスの全身には、頭部の角に近似した無数の突起が生えていた。機械的な突起は、一見、砲台のように見えなくもない。
照彦は、光の柱が失せ、完全な姿を見せた銀河守護神を制御し、ベヘモスと向き合った。
子供のころに見たヒーローものの映画の最終決戦のようだ、と、彼は、少しだけ、想った。