第五百八十四話 銀河の守護者(一)
星将の滞在する衛星拠点への総攻撃が行われ始めたという報せが入ったときには、第十衛星拠点もまた、その例外ではないということを理解する羽目になっていた。
今月、第十衛星拠点は、第九衛星拠点ともども第十二軍団が担当している衛星拠点である。
第十衛星拠点は、出雲市の西方に横たわる空白地点に建造されており、出雲市と極めて近い距離に存在する二つの〈殻〉の動向を監視する重要な役割を担い、その一部を第九衛星拠点と分かち合っている。
出雲市は、葦原市を中心とする央都、人類生存圏の中でも外側に位置することもあり、空白地帯を挟んだすぐ近くに複数の〈殻〉が存在している。
それはなにも出雲市に限った話ではなく、大和市も水穂市も同じなのだが。
なにせ、この天地は、幻魔の世界だ。
魔天創世以来、地球上に君臨してきたのは幻魔ばかりであり、鬼級幻魔たちが万物の霊長を皮肉げに名乗るっているのも、そのような理由からなのだろう。そして、人類への皮肉でもある。
そして、世界中のあらゆる場所に鬼級幻魔が主宰する〈殻〉がある。
そして、〈殻〉と〈殻〉は、互いに領土争い、勢力争いを積極的に繰り返しており、それについては、リリス文書の記録だけでなく、ノルン・システムによっても観測され続けている。
今日もどこかで鬼級幻魔率いる幻魔の大軍勢が、隣接する〈殻〉に戦争を仕掛けているのだろうし、そうした戦いが世界中、様々な場所で繰り広げられているのだろう。
鬼級幻魔は、人間に匹敵するかそれ以上の知能の持ち主であり、極めて強い個性の持ち主ばかりだが、彼らの大半は、どういうわけか領土争いに執心であるらしかった。
領土を持ち、より大きく拡げていくというのは、鬼級幻魔の本能に近いものである――というのは、リリス文書に綴られた鬼級幻魔リリスの意見だが、長らく鬼級幻魔として存在していたリリスがいうのだから、間違いではないのだろう。
そうした鬼級幻魔同士の闘争は恒常化しており、魔天創世以前、人類滅亡の寸前である混沌時代は、幻魔自らが幻魔戦国時代と称していたという。
そんな幻魔たちの動向を監視しつつ、空白地帯を見回るのが、衛星拠点の役割であり、衛星任務なのだ。
第十二軍団長・竜ヶ丘照彦は、戦団本部からの報せを受けるまでもなく、衛星拠点の要塞染みた建物の周囲四方に現れた大量の獣級幻魔を見ていた。
「どういうつもりなのでしょうね?」
拠点を囲う防護壁の歩廊に立ち、星将は、誰とはなしにつぶやいた。それは誰かに回答を求めるための質問ではない。
彼は、自分の考えを纏めるために独り言を口にすることが多かった。
そのことは、いまや第十二軍団の導士の多くが知っていることだが、照彦のことをよく知らない新人導士などは、自分が質問されたと勘違いし、緊張したり狼狽したり混乱するのが常だった。
そして、そんなことが起こるたびに副長の水谷亞里亞によって、新人を困らせないようにと注意されるのだが、こればかりはどうしようもなかった。
現在も、彼の近くにいる新人導士たちが困惑を隠せない顔を彼に向けている。
この四月に戦団に入ったばかりの導士たちには、第十二群団長がなにを考えているのかがさっぱりわからないのだ。
もしかすると、本当に自分たちに向けられた質問なのではないかと考えてしまう。しかし、なにか反応を見せれば、きょとんとするのは照彦のほうなのである。
照彦は、独り言が多い。
それは子供のころから一人でいる時間が長かったと言うことも関係あるのかもしれないし、生来の性質なのかもしれない。
どちらにしても、いまさら矯正するのは困難――ではないが、精神魔法による性格教師など受けたくはないといのが照彦の意向であり、副長の亞里亞も、彼の母である情報局情報管理部長・竜ヶ丘ユナもその意見に賛成していた。
魔法による医療の発展は、様々な難病や精神的な疾患をも完璧に近く治療できるようになった。魔法時代黄金期には、あらゆる病が魔法によって解決されるようになり、人々は、病を克服することができたのだと大喜びに喜んだという。
そうした魔法による医療行為の中には、性格や人格の矯正といったものも含まれる。
照彦の独り言も、魔法医療によって簡単に矯正できるのは、間違いなかった。
だが、それによって誕生する新たな竜ヶ丘照彦は、本当に自分自身といえるのか、と、彼は疑問を持ち続けている。それはもはや、魔法によって改造された別人であり、自分という存在は消えてなくなってしまうのではないか。
幻魔人間・禍御雷へと改造されたものたちの末路を知れば知るほど、自分の考えが間違ってはいなかったと想う。
歩廊に立つ彼の姿は、独り言はともかく、周囲の導士たちの緊張や不安を和らげ、安心感を与えるくらいには力強く、頼もしい。
百八十センチメートルをわずかに上回る身長は、いまの時代、決して長身といえるほどのものではないし、痩せ形の優男ということもあり、見た目には威圧感などはない。
しかし、長い黒髪を異界の風に靡かせながら、二千体にも及ぶ幻魔の群れに対し、一切の変化を見せない横顔には、彼が歴戦の猛者であることを示していたし、なにより、彼が自分たちとともに堂々と佇む姿こそ、導士たちには安堵するのだ。
星将自らが前線に出てきてくれることほど、心強いことはない。
照彦は、そんな部下たちの内心など一顧だにせず、鈍色の瞳で遥か遠方からどす黒い土煙を上げながら接近しつつある怪物の群れを見ていた。
獣級幻魔が二千体。
この数ヶ月余り、何度となく央都で引き起こされてきた大規模幻魔災害とも比較にならない規模の大軍勢だ。
しかも、ここを含めた六カ所の衛星拠点が同時に同じ数だけの幻魔に襲われているという。
「早計一万二千体以上もの幻魔を動員してまで、なにをしようというのでしょうね?」
やはり、照彦は自問を言葉にする。
秀麗な顔立ちは、先程から一切変化はない。
『マモンの計画とは関係ないのではないか、というのが戦団本部の考えのようですが』
通信機越しに言ってきたのは、水谷亞里亞だ。副長である彼女は、第九衛星拠点にあって、第十衛星拠点の状況を見守っている。
「はい?」
照彦が困惑したのは、まるで心の中を読んだかのように亞里亞がいってきたからだが、数秒の間を置いて、理解する。
「失礼。また、独り言を零していたようですね」
『新人たちを困らせないなら、わたし自身は構いませんが』
「それが……」
照彦は、少しばかり苦笑しながら、周囲を見回した。
防護壁の歩廊には、拠点防衛に駆り出された導士たちが、膨大な数の獣級幻魔を前に恐怖心と戦っている。その様子から見て、彼らが新人導士だということがはっきりと伝わってくるのであり、彼らが照彦の独り言に翻弄されていたに違いないということも理解できる。
「周りには若い子ばかりでして……」
『それは困りますね』
亞里亞は、通信機の向こう側で苦笑するほかないといった反応をした。
そうしている間にも、幻魔の大群と第十衛星拠点の距離は縮まり続けている。
第十衛星拠点は、防護壁に囲われているだけでなく、擬似セフィラ結界によって護られているのだが、そんなものが通用するのは、普通の幻魔に対してだけだ。
二千体もの幻魔の群れが、なんらかの意図も持たずに移動するわけもなければ、拠点に向かってくるはずもないのだ。
まず間違いなく、鬼級幻魔の支配下にある幻魔たちだ。
それも〈七悪〉と関連していることは、機械型幻魔が混じっていることからも明らかだった。
つまり、マモンによる一連の騒動とも関係していてもおかしくはないのだが、だとすれば不自然だと戦団本部はいう。
マモンの指示であれば、禍御雷と同時に行動を起こすべきではないか。
確かに、そのほうが効果的に思えた。
照彦は、出雲市に聳え立つ雷の柱を見遣り、それから幻魔の群れへと視線を戻した。
魔力を練り上げ、律像を編み、右腕を軽く掲げる。
「光球破《O・ブラスト》!」
照彦が真言を唱えた瞬間、攻型魔法が発動した。
手の先に生じた莫大な光が、巨大な砲弾となって発射され、幻魔の群れの先頭を走るガルムに直撃すると、凄まじい爆光が撒き散らされる。
彼の魔法が、いままさに開戦を告げたのだ。