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第五百八十二話 紅蓮の魔女(五)

「たーまやー」

 二千体もの獣級幻魔の大軍勢に包囲された第三衛星拠点の北側防護壁、その長大な歩廊ほろうに上がるなり、平塚蒼子ひらつかあおこの視界に飛び込んできたのは、物凄ものすさまじい爆発の数々だった。

『花火でも始まったのかい?』

「はい、とても綺麗な花火が打ち上がり始めましたよ」

 蒼子は、通信機越しの夫の声がわずかに震えていることに気づきながらも、普段通りに返答して見せた。

 平塚蒼子は、青みがかった長い髪を持つ長身の女性であり、戦場を見遣る瞳には、鈍色にびいろ虹彩こうさいが浮かんでいる。常に微笑を浮かべているとされる顔は、この戦場の真っ只中にあっても変わらなかった。

 余程の窮地きゅうちに陥っても平常心を崩さない蒼子こそ導士の鏡である、とは、第十軍団長・朱雀院火倶夜すざくいんかぐやの評価だ。

 蒼子は、そんな火倶夜の評価を誇るべきものとして思っており、だからこそ、このような状況にあっても一切動じることなく、ゆったりとした足取りで歩廊へと上がってきたのだ。

 さすがに導衣どういこそ身につけているものの、いまの彼女が纏っている空気感は、戦場にいるもののそれではない。

 まるで日常の真っ只中にいるかのような、緩やかな空気が、蒼子を取り巻いている。

 だからだろう。

 歩廊にあって周囲を警戒し、緊張感を以て迎撃態勢を取っている導士たちが、蒼子の姿を視認するなり、なんだか安心しきったような顔をした。

 蒼子は、第十軍団にとって日常の象徴ともいうべき存在なのだ。

 ただし、彼女は、第十軍団の杖長筆頭じょうちょうひっとうでもある。

 杖長とは、文字通り、杖の長を意味する。

 戦団に属する魔法士の中でも特筆するべき実力、戦歴の持ち主のことだ。

 多くは、煌光級の導士が任命される。

 蒼子も煌光級導士であり、朱雀院火具夜を頂点とする第十軍団においては、彼女の夫・平塚光作(こうさく)に次ぐ魔法技量の持ち主であり、歴戦の導士でもあった。

 故にこそ、彼女が杖長筆頭に選ばれるのは道理であったし、第十軍団の導士の中には、本来ならば蒼子が副長であるべきだという声も聞こえなくはなかった。

 そしてその場合の軍団長は、平塚光作ということになるだろう。

 光都事変によって英雄となった火倶夜よりも、実績も戦歴もある平塚光作こそが、大再編によって第十軍団長に選ばれていれば良かった、というものたちの声は、つまり、蒼子を副長とし、平塚夫妻によって第十軍団を運営して欲しかったというものでもある。

 そんな声は、今ではわずかにしか聞こえない。

 誰もが、いま、あの地獄のような戦場で爆炎を撒き散らす軍団長の魔法技量に打ちのめされてきたからだ。

 魔法社会は、実力主義社会でもある。

 魔法の実力がその人間の評価の基準になることは、往々にしてある。

 どれだけ低く見られていても、圧倒的な魔法技量を持ち合わせていれば、それだけで周囲からの扱いも変わるというものなのだ。

 特に戦団の戦闘部においては、魔法技量こそが唯一不変の基準であり、だからこそ、光都事変の英雄、五星杖ごせいじょうとして持て囃された朱雀院火倶夜が軍団長に抜擢ばってきされたことに不満を抱いていた一部の導士たちも、次第にそのわだかまりを捨てていったのだ。

 蒼子は、第十部隊が第十軍団へと再編成され、火倶夜の圧倒的な火力によって一つに纏まっていく様をずっと見ていた。

 光作は、火倶夜の隣でおろおろしているばかりだったが、そんな夫だからこそ、副長が務まるのではないかと思ったりもするし、軍団長の器などではないと確信もする。

 たとえ火倶夜が軍団長の座を退くようなことがあったとしても、光作に第十軍団の長は務まるまい。

 穏和な顔で、戦場で引き起こされる爆砕に次ぐ爆砕を見遣りながら、蒼子は、そんなことを考える。

 火倶夜は、果断かだんの人だ。

 常に超高速で頭脳を回転させているからこそ、瞬時に判断し、行動に移す。

 その速度についていけるものなど、この第十軍団には一人としていなかったし、そんな火倶夜の補佐には、光作くらい鈍感なほうがちょうどいいのだ。

「そちらからは見えませんか?」

『カラス越しに見ているが……一体どういうことなんだね!?』

 第三拠点を中心とする戦場の光景を目の当たりにしたのだろう光作が、通信機越しに狼狽ろうばいしきった声を上げてくるのも無理のない話だった。

 常日頃から火倶夜の即断即決に振り回されている光作でなくとも、似たような反応をするだろう。

 この第三拠点にいる導士たちでさえ、いま目の前で起きている戦いを信じられないような面持ちで見ているはずだ。

「獅子は我が子を千尋せんじんの谷に突き落とすというでしょう? あれよ、あれ」

草薙閃士くさなぎせんしは、将来有望な新人なんだぞ!? いくら弟子とはいえ、あまりにも無茶が過ぎるっ……!』

「それもそうだけれど……でも、いまこの世界で一番安全な場所にいるのも、真くんなのよねえ」

『それは……そうだが……しかし……』

 蒼子が突いた真理を否定することも出来ず、とはいえ、火倶夜と真、師弟たった二人で二千体もの獣級幻魔の群れと戦い始めているという事実には、光作は頭を抱えざるを得ないに違いない。

 これだから、第十軍団の副長は大変なのだ。

 いつも火倶夜の行動に振り回されている。

(でも、そんなところが可愛いのよねえ)

 蒼子は、通信機の向こう側で夫がどのように青ざめた表情をしているのかを想像しながら、第三拠点を包囲していたはずの獣級幻魔が、一点に向かって大移動し始めたのを知った。

 それが幻魔の習性によるものだということも、わかっている。

 その周囲に存在する魔素質量の中で、もっとも巨大なものに引き寄せられるのが、幻魔の習性であり、本能だ。

 ただし、幻魔が幻魔の魔素質量に引き寄せられることはない。

 もし、幻魔の習性が幻魔さえも対象とするのであれば、この魔界を埋め尽くすほどの幻魔の大半が、世界に六体確認されている竜級幻魔の元に集い、六つの大勢力を形成したことだろう。

 そうなれば鬼級幻魔同士の領土争いも、その規模が小さくならざるを得なかっただろうし、野良幻魔など一切いなかったに違いない。

 竜級幻魔とは、それほどまでに圧倒的な魔素質量を誇る存在なのだ。

 今まさに特大の魔素質量が発生しているのは、火倶夜が、己が魔力を星神力せいしんりょくへと昇華しょうかし、星象現界せいしょうげんかいを発動させようとしているからだが、竜級幻魔は、星将が束になって星象現界を発動してもまったくもって叶わないほどに膨大な魔素質量を内包している。

 竜級幻魔が動けば、天地が動き、世界が変わる、と、まことしやかに囁かれている。

 過去、竜級幻魔がその力の一部でも見せた記録というのは、ほんのわずかばかりしかない。

 だが、そのほんのわずかばかりの例が、竜級幻魔は放置しておくに限る、という結論に至るのだ。

 竜級幻魔は、鬼級幻魔とも次元の違う力を持っているといわれているし、実際そうなのだろう。

 だから、領土争いに熱心な鬼級幻魔たちも、竜級幻魔が眠る土地には手を出さないのだ、と、リリス日記に記されていた。

 リリスは、竜級幻魔に手を出すのは、己の分を弁えぬ愚か者である、と、述べている。

 人類は、過去、六体の竜級幻魔を発見しているが、そのいずれもが人知を超えたただひたすらに圧倒的な力を持っていたことはいうまでもない。

 鬼級幻魔ですら空恐ろしいというのに、その鬼級幻魔が畏怖するほどの力の持ち主たちなのだ。

 とはいえ。

「火倶夜様も、鬼のように恐ろしいのよねえ」

『そうだとも! あの人は鬼そのものだよ!』

「あら、そんなことをいっていいの?」

『たまにはいいだろ! こんなときくらい……!』

「通信記録に残っちゃうわよ?」

『あ……』

 夫が慌てふためきながら通信を切るのと、戦場の真っ只中に爆炎の魔法士が君臨するのは、ほとんど同時だった。

 燃え盛る紅蓮の炎を幾重もの衣のように見に纏う朱雀院火倶夜の姿は、遠目からでも、はっきりと見えるのだ。

 戦場に降臨した紅蓮の魔女の威容は圧倒的というほかなく、故にこそ、第十軍団古参の導士たちもまた、彼女に平伏するしかない。

 魔法技量こそが、導士たちの評価基準なのだから。


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