第五百八十話 紅蓮の魔女(三)
真は、以前、七支宝刀という名の擬似召喚魔法を独自に編み出した。
己が宿命に世界を呪い、全てを呪い、戦団をも呪った彼は、自分が社会人となり、草薙家の当主となるまでにその主張を社会に突きつける方法はないものかと考えに考え抜いた。
それこそ、血反吐の吐くような鍛錬と研鑽を繰り返しながら、だ。
弟の実が彼の修行の日々に何度も心配し、止めようとしてくれたが、彼はそうした優しさこそが自分への悪意であり、敵意だと受け止めるような人間になってしまっていた。
あんなにも家族が自分を想い、愛してくれていたというのに、その愛情を真っ直ぐに受け止めることが出来なかったのだ。
出来るわけがなかった。
自分は――幼少期に伊佐那麒麟に窮地を救われた自分は、戦団の導士となり、戦闘部の一員となって、麒麟のような魔法士になるはずだったのに。
そのような子供のころの夢は、大人の現実によって塗り潰されてしまった。
となれば、大人になるまでに、高校を卒業し、草薙家の当主として社会に出るまでに、なにか成し遂げたかった。
高校への進学は、真に許された唯一の親への反抗といっても過言ではなかっただろう。
この魔法社会における成人年齢は、十六歳である。
十六歳になれば自動的に大人になる、というわけではないが、成人として認められ、央都の社会に参加する資格を得ることができるようになるのだ。
だから、中学校を卒業して、すぐに社会人になる市民も少なくなかった。
魔法社会とは、魔法を根幹とする実力社会である。
魔法士としての技量、実力があれば、どのような職業でもすぐさま頭角を現すことができたし、周囲に一目置かれる存在になることだって難しくはない。
それが魔法社会というものであり、中学時代から魔法士としての才覚を発揮した人物というのは、大抵、央都の社会でなにかしらの成功を収めるものだった。
だから、真も、中学校を卒業次第、草薙家の当主になる手筈だったのだ。
しかし、真は、中学時代にはまだなにも為し得ていなかった。
魔法士としての才能は、誰よりもあった。
それだけは確かで在り、彼自身、疑ったことはない。
それこそ、子供のころからだ。
だから、戦団から彼に星央魔導院への入学を勧める声がかかったのだし、戦団に入ることすら期待されていたのだ。
それが嬉しかったことは、いまも、覚えている。
けれども、結局、彼は星央魔導院には入れなかった。
草薙家の跡取りであり、将来、家を背負わなければならない立場だったからだ。
弟の実には、魔法士として、それなりの才能しかなかった。
魔法の大家である草薙家の当主として相応しいのは、だれがどう見ても自分だったし、親戚一同が集まれば、近い将来、草薙家の当主となるだろう彼をこそ、特別扱いしたものだった。
そうした周囲からの扱いが、彼の心をずたずたにしていったのは、皮肉か、因果か。
子供のころからの夢だった星央魔導院ではなく、普通の中学校に通うことになった彼は、中学卒業直前、高校への進学を父に志願した。
草薙家の当主となるにはまだまだ足りないものがある、と、嘯いて。
父は、彼の嘘を見抜いていたようだが、高校への進学そのものは認めてくれた。
彼の父、草薙真人は、感情を表に出すことが少ない人だった。だから、真は、父から愛されていることを実感しにくかったのだろうし、父が様々に考え、真にとって最良の未来とはどんなものなのか、苦悩しているという事実にも気づかなかったのだ。
真が草薙家当主の座につくことについて、複雑な考えを持っていることも見抜いていたらしい。
だから、彼の父は、彼が高校に進学することを認めたのだそうだ。
高校生としての三年間で見聞を広めれば、真がなにか変われるのではないか。
少なくとも、自分の意志でもって行動することができるようになるのではないか、と、真人は期待していたようだ。
もっとも、真の二年半近い高校生活の大半は、対抗戦に費やされ、見聞を広めるためには使われなかった。
真は、考えたのだ。
どうすれば、この戦団を中心とする社会にこのどす黒い怒りをぶつかることができるのか、と。
ただし、ただ想うままに怒りをぶつけるだけでは駄目だ。
魔法犯罪など以ての外だ。
社会に混乱を招きたいわけでもなければ、誰かを傷つけたいわけでも、央都そのものを破壊したいわけでもない。
ただ、この世界に草薙真という魔法士が存在するのだということを主張したかったのだ。
それも圧倒的な実力を持った魔法士であり、そんな魔法士が戦団にも入らず、ただの央都市民として存在しているのだということを突きつける。
そのために対抗戦を利用しようとしたのだ。
対抗戦を圧倒的大勝でもって優勝し、その上で戦団からの勧誘を声高らかに拒絶する。
それによって、この戦団を中心とする世界への、小さな、本当に小さな復讐は終わる――はずだった。
(幼稚だったな)
真は、七支霊刀の切っ先をガルム・マキナの顔面に向けながら、内心、苦笑するほかなかった。
七支霊刀を使うたびに想うのは、今年の対抗戦を終えるまでの自分が如何に幼稚で、愚昧だったかということだ。
対抗戦決勝大会で準優勝という結果に終わったとき、彼は、なぜだか爽やかさすら感じた。
対抗戦は、高校生たちの青春である。
大半の高校生は、卒業と共に社会に赴く。
央都における大学など、選ばれたわずかばかりの人間が行く場所であり、ただの高等教育機関などではないという考えが一般的である。
十六歳が成人年齢で有ることも考えれば、なおさらだ。
高校の三年間、対抗戦に費やしてきた学生の多くは、決勝大会の結果に関わらず、それでもって青春を終えるのだ。
しかし、真の青春は、対抗戦決勝大会の敗北によって終わったのではなく、むしろ、始まりを告げたと言っても過言ではなかった。
それまで歪みきった価値観で社会を見てきた彼にとって、この二ヶ月は、新たな風を感じる日々だった。
その場合、彼にとってもっとも大きいのは、皆代幸多との出逢いだということは、いうまでもあるまい。
彼に出逢い、彼と戦い、彼に完膚なきまでに敗れ去ったことで、真は、自分を見つめ直すことができた。
家族が自分を心底愛してくれていたことも知ったし、弟のみならず、父も、自分が草薙家の当主にならず、別の道を進む可能性について考えてくれていた。
結局、自分の視野が狭すぎただけなのだ。
その結果、周囲の人々を傷つけていたことを思い知ったのであり、対抗戦部の部員たちに謝って回ると、彼らは、目を丸くしたものだった。
本当にあの叢雲高校対抗戦部の暴君、草薙真なのか、と。
だが、真の謝罪を受け入れてくれるものはいなかった。
『謝られることなんてなにもないよ』
『おれたちのほうこそ、部長に頼りきりだったんだ』
『部長のおかげで決勝大会に行けたんだよ』
『部長様々だよなあ』
『ほんとほんと、部長がいなかったら、この一年、ここまで充実していなかったもの』
叢雲高校対抗戦部の部員たちは、皆、真の苛烈極まりない猛特訓に耐え抜いた猛者であり、将来有望な魔法士たちといっていい。
高校を卒業し、社会に出ても必ずや成功するだろう、と、真がお墨付きを与えると、誰もが喜んでくれたものだった。
その時初めて、真は、部員たちと心の底から笑い合うことができたのであり、打ち解けることができたのだ。
一つ、心残りがあるとすれば、そんな彼らを優勝の高みに連れて行けなかったことだが、それはそれで大きな問題を含んでいた。
もし仮に対抗戦決勝大会で優勝していた場合、草薙真は、世界を呪う存在として在り続けただろうからだ。
七支霊刀が誕生することもなかった。
七つの切っ先が火を噴けば、ガルム・マキナの熱光線とぶつかり合い、大爆発を引き起こした。
真は、後方に飛び退いている。
七支霊刀をその場に残して、だ。
そして、彼は、さらなる魔法を発動した。
「火杯」
真は、右腕を大きく振り回すと、手の先から八つの火の玉を発射した。
放射状にばら撒かれた火の玉は、獣級幻魔の群れの真っ只中へと落ちていき、地面か幻魔に触れた瞬間、超巨大な火柱となって吹き上がり、無数の幻魔が奇怪な悲鳴を上げた。