第五十七話 十二分に鍛え抜かれた肉体は、魔法と見分けがつかない
(早い!)
草薙真は、後半戦開始とともに星球を奪取しようとした。
しかし、皆代幸多のほうが圧倒的に早く星球に触れていた。まるで彼は、草薙真の視界から消失したかのように、中心円へと至っていたのだ。
その速度たるや常識外れであり、桁違いといっても過言ではなかった。
まるで、魔法を使っているようだった。
そして、幸多は、草薙真の視線を振り払うようにして、叢雲陣地へ侵攻してきた。地を蹴り、虚空を駆け抜け、後衛闘手の猛追を躱す。
その動きは、草薙真の目でも追い切れない。
あまりにも早すぎるからだ。
(本当に魔法不能者なのか?)
疑問が湧く。
が、皆代幸多が魔法不能者であるというのは、虚偽申告などではない。対抗戦決勝大会の開催に当たって、身体検査を行っているはずであり、そこで魔法不能者として改めて診断されているのだ。
だからこそ、彼は、魔法不能者として初の対抗戦参加者となった。
そして、本当は魔法が使えるというのであれば、わざわざ前衛に出してくる必要がない。
天燎の前衛には、黒木法子という適任がいるのだから、守備の練習を積んだのであろう皆代幸多を引っ張り出す理由がなかった
魔法を隠していたのなら、守備で唐突に披露するというのも、効果的だろう。
もっとも、魔法士が魔法不能者と偽って対抗戦に参加すれば、大問題となるだけで、なんの得にもならないのだが。
草薙真がそのような愚にもつかない考えを浮かべたのは、一瞬。
つぎの瞬間には、皆代幸多を追いかけていた。
魔法を用い、瞬間最大加速によって、一足飛びに追随する。
叢雲の星門が目前だった。
皆代幸多は、草薙真を振り向いた。そして、笑っていた。
「これじゃあ、点なんて取れないよ」
彼がいったのは、叢雲の守備の鉄壁ぶりを目の当たりにしてのことだろう。星門前に三人の後衛が集まり、主将とともに巨大な魔法壁を張っている。これをぶち破るのは、並大抵のことではなかった。
ましてや、魔法を使えない皆代幸多に突破できるはずもない。
だからだろう、彼は、星球を後方に放り投げたのだ。星球は高い放物線を描き、天燎陣地へと至る。そして、空中に伸びた魔法の腕によって受け止められ、米田圭悟の手に渡る。
「よっしゃあああ!」
圭悟の雄叫びが戦場に響き渡った。
草薙真は、即座に転進した。天燎高校陣地へと向かおうとした、そのとき、影が視界に滑り込んできた。思わず足を止める。
「まあ、落ち着こう」
「なに?」
草薙真は、皆代幸多が進路を塞ぐように立ちはだかったので、彼を睨み付けた。皆代幸多の考えは、わかりきっている。叢雲の攻撃の要は、草薙真だ。草薙真さえ押さえていれば、これ以上得点を重ねられる心配がない。
であれば、一分でも長く、一秒でも長く、草薙真を引きつけ、引き留めておこうというのだ。
そのために立ちはだかったのだが、だとしたら、お笑いぐさだ。
「馬鹿め」
草薙真は、唾棄するように告げると、上空に飛び上がった。飛行魔法を使えば、一瞬で追い抜ける。
実際、彼は皆代幸多を飛び越え、瞬く間に自陣から敵陣へと至っていた。そして、
「なに?」
「前衛を任されたわけだよ、ぼくはさ」
皆代幸多が、草薙真の目の前に立ちはだかっていた。褐色の瞳が、鈍く輝いている。
「だったら、相手の前衛に張り付くのも、大切な役目ってわけだ」
「貴様……!」
草薙真は、自陣で星球を投げ合っている天燎高校の面々を見遣りながら、自分から決して目を逸らさず、離れようともしない皆代幸多に歯噛みした。
「凄い凄い凄い凄い! 凄いよ幸多! 我らが幸多! 皆代幸多! 叢雲なんかやっつけろー!」
長沢珠恵が、そのうち喉を枯らすのではないかと心配になるくらいの大音声でもって幸多を応援する隣で、皆代奏恵は、最愛の我が子の奮闘ぶりに目を細めていた。
「後半戦開始からどうなるかと思ったけど、やるわね、あの子」
「まさか前衛を任されるとはなあ」
「天燎高校の子たち、幸多くんを信頼してくれているのねえ」
奏恵の姉の望実や父の伊津火、母の浅子が幸多と天燎高校に対し、並々ならぬ感情を抱くのも無理からぬことだった。
特に幸多に対する思い入れが強いのは、家族として当然のことだったし、そんな幸多とともに戦う学生たちに好意を抱くのも必然だった。
奏恵は、幸多から高校生活について色々と聞いているということもあって、余計に感情移入してしまうのだった。
幸多の日常を彩る友人や先輩、対抗戦部の仲間たちについて、様々な話を聞いた。入学早々、とてもいい友人に出逢えた、と、幸多は心の底から嬉しそうに報告してきたものだった。
そんな友人たちが、幸多に前衛を任せている。
通常、考えられないことだ。
魔法不能者である幸多を試合に出す事それ自体が、普通では考えられないことなのだが、それにしたって、だ。
得点源であろう前衛を幸多に一任するなど、常識的な戦術ではなかった。
「天燎としては、これ以上の失点を防ぎつつ、次の幻闘にすべてを懸けたいんだろうな」
「なるほど、だから無能者を前衛に?」
「だとしても、彼はよくやっているよ。見ろよ、あの張り付きっぷり。中々できることじゃあない」
「確かに」
周囲から聞こえてきた観客の評価に、奏恵は、顔がほころぶのを押さえられなかった。
幸多が評価されている、ただそれだけのことが、それほどまでに嬉しい。
幸多は、叢雲高校の前衛闘手、草薙真に張り付いていて、決して離れようとはしなかった。
そのため、叢雲高校が攻勢に転じることが出来ずにいたのだ。
後半戦、残り五分を切った。
一点差で叢雲高校が優勢なのは変わらないのだが、試合を支配しているのは、どう見ても、天燎高校だった。
「邪魔を……!」
仲間から投げ渡されるはずの星球が皆代幸多によって阻止されて、草薙真は、怒り心頭になった。
皆代幸多に邪魔されるのは、後半戦始まってからこれで何度目だろうか。
とても数えきれるものではない。
後半戦序盤は、天燎によって星球が支配されている時間が長かった。しかし、天燎が攻めてこないことがわかると、叢雲は、後衛のうち、二人を前線に投入、攻撃に参加させた。
それによって叢雲が星球を奪取する展開が増えてきたのだが、しかし、そうして奪い取った星球が草薙真に渡ってくるということがなかった。
草薙真が張り付かれているからだ。
皆代幸多という魔法不能者によって。
皆代幸多は、草薙真がどれだけ飛行魔法や移動魔法で引き離しても、瞬時に追い着いてきていた。息も切らさず、汗もかかず、一切の消耗を感じさせない様子は、さながら怪物以外のなにものでもなかった。
草薙真は、自分に投げられた星球が視界外から伸びてきた手によって弾き返され、天燎の後衛に拾われる様を何度となく目の当たりにし、そのたびに歯噛みした。
口惜しさたるや、凄まじいものがあった。
彼は、決勝大会が始まるに当たって、決勝進出校について徹底的に調査している。御影と天燎以外の二校は強豪といって良かった。特に星桜は、常勝校であり、過去に七度も優勝していることもあって、入念に調べた。
もちろん、万年最下位の烙印を押されているからといって、天燎の調査を怠るわけもない。決勝大会に参加する全ての高校の出場選手について、調べられる限り調べ尽くした。
その結果、天燎において注意するべきは、黒木法子と我孫子雷智の二人とわかった。残りは一年生で、魔法士としての才能も技量も低い。特に皆代幸多は、魔法不能者だ。天燎にとってただの足枷に過ぎない。
皆代統魔の兄弟だからといって、特別注意する必要はない――そう、草薙真は断定した。
だが、現実はどうだ。
皆代幸多は、類い希な身体能力でもって、草薙真に食らいついている。草薙真を自由にすれば、それだけで天燎がさらなる失点を重ねる恐れがあるからだ。だから、草薙真を野放しに出来ない。放っておく訳にはいかない。
だから、皆代幸多は、張り付いている。
草薙真は、飛行魔法でもって、戦場を飛び回っている。それこそ、必要のない無駄な動きすら交えて、だ。それによって皆代幸多を引き離そうとするのだが、気がつくと、彼はすぐ側にいて、草薙真に渡されるはずの星球を跳ね返して見せるのだ。
草薙真が苛立ちの余り魔力を爆発させたのは、当然の結果だった。
そして、後半戦終了を告げる音が、戦場に鳴り響いた。
得点差は変わらない。
つまり、勝ったのは、叢雲高校だ。
だが、草薙真は、この上なく満足げにこちらを見ている皆代幸多の姿を視界に収めて、どうしようもない敗北感を覚えていた。
大量得点でもって天燎を天国から地獄に突き落とすつもりが、一点差の勝利に終わってしまった。
試合に勝って勝負に負けた、とは、まさにこのことではないか。
彼は、拳を握りしめ、己の胸中を渦巻く激情に耐えるほかなかった。




