第五百七十八話 紅蓮の魔女(一)
戦団戦務局戦闘部第十軍団は、いま現在、第三衛星拠点を巡る攻防の真っ只中にあった。
禍御雷を名乗る改造人間たちの襲来に端を発する大規模幻魔災害、その続きが、いままさにこの空白地帯で起こっているのだ。
二千体もの幻魔の群れが、第三衛星拠点を包囲しており、拠点の四方を囲うように聳える防護壁の歩廊にあって、草薙真は、今まで見たこともない数の幻魔の群れに瞠目していた。
この八月、第十軍団が担当している衛星拠点は、第三、第四の二カ所だが、たったいま、幻魔の群れに襲撃を受けたのは、第三衛星拠点だけである。
戦闘部には全部で十二の軍団があり、そのうち六軍団が央都四市の防衛を担当し、残り六軍団が十二の衛星拠点を担当するのが通例となっている。
十二の衛星拠点のうち、各軍団が担当することになる二つの拠点というのは、第一・第二、第三・第四、第五・第六、第七・第八、第九・第十、第十一、第十二の一組ずつと決まっている。
それは地理的な関係からであり、同軍団で補い合えるからだ。
無論、他軍団と協力して任務に当たっても何ら問題はないのだが、軍団制を敷いている以上、同軍団で事に当たるほうがなにかと便利だったし、都合が良かった。
軍団内連携の精度や、軍団員導士の紐帯を強化する上でも、重要なことだ。
また、十二ある軍団には、それぞれおよそ千名ずつ導士が所属しており、戦闘部だけで一万二千名の導士が存在している。
央都四市の人口が百万人を突破したのがつい数年前のことだ。
つまり、央都市民の百人に一人以上が戦闘部に所属していることになるのだ。
だが、しかし、世界の有り様を考えれば、全く以て少なかったし、戦団の悲願を叶えるには、余りにも足りなさすぎた。
戦団が常に人手不足、人材不足に悩まされているのは、央都の人口そのものが少ないことが最大の原因といっていいだろう。
それでも、この五十年で、央都は想像以上の加速度的な速さで成長したといっていいはずだったし、人口も急激に増大しているのだ。
なのに、戦団の目的を考えると、どうしようもなく少なく思えてしまう。
戦団は、地上を幻魔から奪還し、人類の復興を成し遂げることを大目的として掲げている。
この魔界と化した地上には、百万市民とは比較にしようもないほどの数の幻魔が蠢き、潜み、跳梁跋扈しているのだ。
それこそ、遥か眼下からこちらを値踏みしている獣級幻魔二千体など、幻魔の総数から考えれば、ほんの一部にも満たないだろう。
戦団と幻魔。
戦力差は、余りにも大きすぎる。
それをどうにかして覆すためには、やはり、才能の発掘こそが重要なのだろう。
皆代統魔のような魔法士が続々と誕生し、発掘され、戦団に所属してもらうことこそ、人類が幻魔に勝利するための最短の道なのではないか。
真は、獣級幻魔の群れの後方に待機する、超特大質量を見遣った。
上位獣級幻魔ベヘモスに改造を施した機械型幻魔。作戦部の命名法則に従うのであれば、ベヘモス・マキナといったところだろう。
ベヘモスは、超巨大質量、超特大質量などとも呼ばれる、特に巨体を誇る獣級幻魔の一種だ。その巨躯はリヴァイアサンと双璧を成し、上位獣級幻魔でありながら、下位妖級幻魔に匹敵する生命力を誇るとされている。
実際、その山のような巨躯には、膨大な魔素が満ちており、ただ歩くだけで周囲に甚大な被害をもたらすのだ。
歩き回るだけで破壊を撒き散らす幻魔といえば、妖級幻魔のトロールがいるが、ベヘモスは、トロールとは規模が違った。
ベヘモスは、全長二十メートルを超える巨体であり、その大怪獣と呼ぶに相応しい威容は、神話や伝説の中から飛び出してきたといわれても納得してしまいそうになるくらいに凶悪だ。
しかも、ベヘモス・マキナは、所々金属製の装甲に覆われており、背部に発光器官が見えていた。禍々しく赤黒く輝くのは、その双眸と同じだ。そして、装甲部にも紅い光跡が走っているのだが、それにも見覚えがあった。
人型魔導戦術機イクサだ。
イクサは、機械型幻魔の元になったといわれており、似ているのも頷けるというものだろう。
機械型幻魔は、並の獣級幻魔よりも圧倒的な魔素質量を誇るだけでなく、知能も高いということが判明しており、だからこそ、ベヘモス・マキナ率いる二千体の獣級幻魔が、第三衛星拠点を包囲したまま微動だにしないのではないか。
なにか、作戦でも練っているのかもしれない。
「ほかの拠点も同規模の幻魔の軍勢に襲われているそうよ」
不意に、頭上から声が降ってきたかと思えば、朱雀院火倶夜が真の隣に降り立ち、彼の右肩に腕を置いてきた。
「それも星将が滞在中の拠点だけらしいわ」
「つまり、六つの拠点が攻撃を受けている最中、ということですか」
「そうよ。そして、ほとんどの拠点は、星将自ら出張ってるって話」
「星将自らが?」
「獣級幻魔とはいえ二千体よ。動員可能な戦力を考えれば、ある程度は、妥当な判断といえるわ」
「確かに……」
真は、この状況下でも一切動揺を見せない師の凜とした横顔を見つめた。
火倶夜の千草色の瞳は、二千体の獣級幻魔を掃きだめの塵と見ているような、そんな感じがあった。
極めて冷徹で、冷厳たる眼差し。
真は、そんな師匠にして直属の上司の視線を追って、遥か前方の幻魔の群れに視線を戻す。
二千体の獣級幻魔。
たかが獣級幻魔と侮っては、ならない。
『過信と侮りは、予期せぬ敗北をもたらすもの。あなたが一番知っていることよね?』
真が火倶夜と師弟の契りを結び、一番最初に叩き込まれた言葉が、いま、脳裏を過った。
『あなたは、対抗戦決勝大会で、勝てるはずの戦いに敗れた。幻闘で、皆代幸多くんに、敗れ去った。それはなぜか。あなた自身が、一番よくわかっていることよね?』
だから、それ以上はいわない、とでもいうように火倶夜は告げてきたものだ。
実際、真には、あの幻闘における敗因は、自分の慢心にあると理解していた。
無論、幸多の身体能力が真の想像を遥かに陵駕するものだったということもあれば、彼に特定の性質の魔法が一切通用しないということも大いに関係しているが、最大の要因は、やはり、幸多を魔法不能者と侮ったことだろう。
そして、己の力を、魔法技量を、擬似召喚魔法を過信しすぎていた。
七支宝刀によって、天燎高校の生徒たちを全滅させたに違いないと思い込み、もう一人の生存者がいることを考えもしなかった。
もし、あのとき、幸多以外の天燎の生徒たちが全滅していれば、真率いる叢雲高校が優勝していたのだ。
もちろん、それで真の敗北感が拭い去られるわけではないのだが。
真は、幸多に敗れ去った。
徹底的に打ちのめされて、幻闘を、対抗戦を終えた。
その事実は、どう足掻いても変わらない。
ただし、火倶夜の言うとおり、一切の油断なく、相手を侮ることなく戦っていれば、全く異なる結果に終わっただろうということも確かなのだ。
真は、日々、火倶夜から学び続けている。
先日、幸多が閃光級二位に上がったが、真もまた、閃光級三位に昇進している。
それもこれも、弟子想いの師に恵まれたおかげであり、火倶夜の薫陶があればこそだ。
しかも、火倶夜は、伊佐那麒麟の薫陶を受けて、今の自分があるというのだ。
真にしてみれば、運命を感じざるを得ない。
彼にとって伊佐那麒麟は憧れの魔法士であり、ヒーローだった。
子供のころから伊佐那麒麟のような魔法士になりたかったし、だからこそ、草薙家の当主の座につかなければならない己の運命を呪い、世界を呪った。
その呪いから解き放ってくれたのが、自分を打ち負かしてくれた幸多なのだから、あのとき、完膚なきまでに敗れ去っておいてよかったとは、思っている。
そして、麒麟に認められ、火倶夜の弟子となり、いまの自分があるのだということを、真は、常日頃から考えていた。