第五百七十七話 大地舞姫(六)
日流子の周囲に形成されていた複雑怪奇としか言いようのない魔法の設計図は、彼女が発した真言とともに星神力を帯び、世界に拡散した。
魔法は、想像の産物である。
魔法士の脳内に描き上げた想像を現実にする技術こそ、魔法なのだ。
それは極めて万能に近く、全能に等しい。
なんでも出来て、出来ないことなんてなにもないのではないかと思えるほどだったし、だからこそ、魔法社会は加速度出来に発展し、人類皆魔法士となるまで時間がかからなかったのだろう。
魔法を使えなければ人間ではない――そのような考えがあっという間に蔓延していったのも、魔法があまりにも強力だったからだろうし、魔法が必要不可欠な社会が世界全土を覆っていったからに違いない。
魔法を使うことのできない人々が魔法不能者と呼ばれ、無能者の烙印を押され、否定され、排斥されていったのも、自然の摂理に近い。
それは、ようやく、人間の社会全体が、そうした社会的弱者に手を差し伸べ、共に生きていく方向へと足並みを揃えようとし始めた矢先だったというのだから、歴史とは理不尽だ。
そんな歴史の授業を脳裏に浮かべたのは、現代社会の中枢を担い、それこそ、魔法を根幹にする組織であるところの戦団において、魔法を使うことの出来ない導士が活躍しているという事実があるからだ。
皆代幸多。
魔法の申し子とも呼ばれる大天才・皆代統魔の兄弟である彼は、生粋の魔法不能者であり、この世界で唯一無二の完全無能者と診断された。
無論、魔法不能者だからといって排斥される現代社会ではない。
時代は代わり、社会も変わった。
現行社会は、魔法時代黄金期とはなにもかもが大きく違うのだ。
先天的な魔法不能障害の発生率というのは、千分の一と言われており、今現在、央都には千人近い魔法不能者が生活している。
実数までは日流子も把握していないが、戦団にせよ、央都政庁にせよ、そうした人々を社会全体で積極的に受け入れるように働きかけており、そのための様々な施策が存在していることは知っている。
戦団でも、多数の魔法不能者が職員として働いているのだ。情報局や戦務局作戦部には、魔法士が持ち得ない情報技術力を持った魔法不能者が数多く在籍していて、戦団の大いなる力となっているという事実もある。
しかし、戦闘部への所属を希望した魔法不能者は、皆代幸多が初めてだった。
魔法不能者が幻魔と戦うことなどできるわけがないという大前提は、彼自身の経歴が否定し、そして、彼が所属以降に積み重ねてきた実績が、彼の実力を世に知らしめている。
そんな完全無能者の皆代幸多ですら、この大規模幻魔災害の真っ只中で奮戦しているというのだ。
星将たるものが奮起しないでどうするというのか。
(たぶん、皆そうなのよ)
日流子は、星象現界の発動に伴う爆発的な昂揚感の中で、幻魔の群れが放った無数の魔法が殺到してくる様を、緩慢な映像として捉えていた。
視覚、聴覚、触覚、嗅覚――ありとあらゆる感覚が肥大し、鋭敏化しているのがわかる。
日流子は、星神力の凝縮によって具現したそれを両手で握り締め、痛みまでもが増大してしまったことに苦笑を禁じ得なかった。
あらゆる感覚が増幅するということはつまり、痛覚もまた、増幅するものだ。
しかし、そうした痛みも、星象現界の発動とともに薄れ始めていた。全身に満ちた星神力が体中の細胞に働きかけ、再生を促すのだ。
彼女が治癒魔法を用いなかったのは、星象現界のこうした副作用を理解し、期待していたからこそだ。
日流子が手にしたのは、長大な矛である。彼女の身の丈以上の長さを誇る柄は、神々しく輝いており、柄頭や柄自身は無論のこそ、穂部にも様々な装飾が施されていた。
特に目立つのは、柄頭と穂部の宝玉だろう。
曇り一つなく透き通った宝玉は、星神力の輝きを帯び、内部に星のような光を煌めかせていた。
彼女は、この武装顕現型の星象現界を天之瓊矛と名付けた。
その名の由来は、いまや滅び去ったこの島国の創世神話において、伊弉諾、伊弉冉という二神が、混沌たる大地を掻き混ぜるために用いた矛である。
なぜそう名付けたのかと言えば、理由は単純だ。
日流子は、振り上げたまま掴んだ矛を旋回させ、星神力とともに足下の地面に突き立てた。すると星神力が波紋となって大地を走り、激震が起きたかと思えば、穂先から地面が真っ二つに割れ、大地が隆起した。
巨大な岩盤が、さながら日流子を護る防壁のように聳え立つと、前方から飛来する攻撃魔法の数々を受け止めて見せる。直撃に次ぐ直撃は、爆砕を連続させ、盛大に岩盤を破壊していく。
魔法攻撃は、止まない。
中でも、リヴァイアサン・マキナとアンズー・マキナたちの連携は、留まるところを知らなかった。
リヴァイアサン・マキナが大量の水を滝のように降らせてきたかと思えば、アンズー・マキナたちが電光の帯を四方八方から飛ばしてきたのだ。
日流子は、冷ややかに機械型幻魔の巨躯を見遣った。一度の成功に味を占めている。
一度日流子に通用したものだから、同じような連携を畳みかければ、すぐにでも撃破できるだろうと考えているのではないか。
少なくとも機械型は、並の獣級幻魔とは比べものにならない知能を持っている。
そのくらいのことは考えていてもおかしくなかったし、だからこそ、機械型以外の雑多な獣級幻魔の本能的としか言いようのない攻撃の数々が目に付くのだろう。
基礎が、なっていない。
魔法の基礎も、戦闘の基礎も、なにもかもがなっていないのだ。
そういう点においては、機械型幻魔は及第点といって良かった。
この星将たる日流子に一撃を浴びせることが出来たという時点で、他の獣級幻魔とは比較にならない。
だが、同じ手を二度も喰らう日流子ではなかった。
地面に突き刺したままだった天之瓊矛を抜き放てば、大地が鳴動し、前方の地面の亀裂から大量の土砂が噴き出した。
星神力を帯びた膨大な量の土砂は、日流子が舞い踊るように矛を振るうと、その軌跡を辿るように虚空を駆け巡り、日流子の周囲を飾っていく。
降り注ぐ豪雨も、四方八方から飛来する電撃も、土砂の防壁を打ち破ることはできない。
魔素質量の差が、あまりにも大きすぎるからだ。
いまや、日流子と機械型幻魔の魔素質量の差は、大人と赤子以上の差といっても過言ではなかったし、相手になどなるはずもなかった。
いわずもがな、数多の獣級幻魔たちもだ。
上位獣級幻魔ですら、機械型の足下にも及ばないのだから、当然だろう。
そして、その当然の結果を冷静に認め、決して酔い痴れることがないのが、本来の日流子である。
彼女は、苛烈なまでの魔法攻撃の雨霰を凌ぎきると、天之瓊矛をさらに振り回した。
足下の地面に突き刺した最初の一撃によって広範囲の大地に行き渡った星神力は、大地そのものを彼女の所有物とした。
日流子が矛を振るえば、その動作に合わせて大地が激しく揺れ動き、岩塊が飛び出してきたかと思えば、幻魔を押し潰し、あるいは巨大な亀裂に数多の幻魔を飲み込んでいく。
大地とともに踊る日流子の姿は、大地を司る巫女かなにかのようであり、彼女の戦いぶりを見守っている第五軍団の導士たちは、軍団長の勇姿をその目に焼き付けるのだ。
最初、日流子に大打撃を与えたリヴァイアサン・マキナもアンズー・マキナも、天之瓊矛を手にした彼女の前では敵にすらならなかった。
空中を飛び回る飛行型の幻魔も、吹き荒れる土砂と岩石の嵐に撃ち落とされ、岩盤に押し潰されて息絶えれば、リヴァイアサンのような超特大質量とも呼ばれる幻魔は、天之瓊矛の能力の的になった。
日流子の舞が終わると、周囲の大地はでたらめに激変しており、天変地異でも起こったのではないかと思えるほどだった。
日々変化する異界においても、これほどまでの激変を見せることなどないだろうと思えるほどだ。
さながら大地の神を祀る神殿の如く、彼女の周囲の大地は変貌していたのだ。
もちろん、二千体の幻魔は、一体残らず絶命した。