第五百七十六話 大地舞姫(五)
城ノ宮日流子が、幻魔との戦いのたびに考えることといえば、基本である。
始祖魔導師・御昴直次の高弟である六天星の筆頭と謳われ、いまもなおその名を燦然と輝かせ、双界に轟かせる伊佐那美咲が纏め上げた魔法基礎理論。
それは、いまや双界の魔法の基本中の基本となっており、根幹として君臨しているといっても過言ではない。
戦団の導士であろうが、一般市民であろうが、魔法犯罪者であろうが、反戦団思想の持ち主であろうが、その魔法の根底にあるのは、伊佐那美咲が編纂した魔法基礎理論なのだ。
そしてそれは、なにも現代に限った話ではなかった。
魔法社会の黎明、魔法史が産声を上げた直後から、伊佐那美咲の名は世界中に知れ渡っていた。無論、始祖魔導師・御昴直次の高弟筆頭としてであり、同時に、魔法の基礎を簡潔に纏め上げた人物として、だ。
魔法を発明したのは、魔人・御昴直久と始祖魔導師・御昴直次の二人だが、その研究過程には、伊佐那美咲ら始祖魔導師の高弟たちが深く関わっている。
魔法が発明された際、世間よりも遥かに早くその存在を教えられたのが高弟たちであり、彼らは、御昴兄弟とともに魔法で出来ることと出来ないことの研究に勤しんだと言われている。
その末に御昴直久が暴走し、魔人として世界に混乱を齎し、魔法史の始まりを告げることになるのだが、そこは、いい。
日流子にとって大切なことといえば、だ。
魔法とは、基礎こそが重要であり、基礎のなっていない魔法士は、どれだけ鍛錬を積み上げようとも、どれだけ研鑽を重ねようとも、血反吐を吐こうとも、意味がないということだ。
それは、戦闘部の十二人の軍団長たちが証明している。
十二人の軍団長は、誰もが魔法の基礎を疎かにしておらず、戦団式魔導戦術の全てを完璧に使いこなせるようになった上で、我流の闘法へと昇華しているのだ。
半端にも魔法を知った気になっている導士ほど、やはり、階級は低く、幻魔との戦いにおいても負傷しやすく、命を落としやすい。
だからこそ、日流子は、第五軍団の導士には、まず、基礎を徹底的に学ぶことを求めた。
星央魔導院で基礎を学びに学び、ようやく戦闘部の一員となった導士たちの多くは、日流子のそうした考えを理解してくれはしない。
誰もがやっとの想いで戦団の一員となり、幻魔討伐に日夜力を尽くすことができるようになったのだから、ある意味では当然だろう。
しかし、そうした考えは、幻魔との実戦を経ていく中で是正されていくのが常である。
幻魔は、たとえ最下級の霊級幻魔であっても、油断しれはならない相手だ。
油断すれば最後、星将ですら霊級幻魔に命を奪われかねない。
そして、幻魔がそれほどの脅威だということは、身を以て思い知らなければ、理解できないのも致し方のないことなのだろう。
日流子は、常々、考える。
これほどの脅威が、この広大極まる天地に満ち溢れている絶望的な現実を覆すには、どうすればいいのか。
そればかりは、魔法の基礎を磨き上げるだけではどうにもならない。
血の滲むような鍛錬と研鑽を重ね、魔法技量を磨き抜いた上で、それを視ることから始めなければ、ならない。
〈星〉である。
日流子は、機械型アンズーたちがリヴァイアサン・マキナとの恐るべき、そして信じがたい連携攻撃を受け、全身に電熱の嵐を浴びながらも、そのようなことを冷静に考えていた。
全身に激痛が走るのは、当然だ。
リヴァイアサン・マキナが浴びせてきたのは、ただの水ではない。幻魔の魔力が生み出した魔法の水であり、アンズーの雷魔法の影響を多分に高めるためのものだったのだ。
ただの獣級幻魔とは思えない、極めて理知的な戦い方。
機械型幻魔は、ただ改造され、戦闘に関する機能を向上させただけの存在ではないらしいということは、話には聞いていたし、幻想訓練でも何度となく機械型幻魔とやり合って、経験している。
しかし、だ。
「何事も実際に体験してみなければ、本当の意味で理解できないものね」
日流子は、己の迂闊さを呪いながら、全身を巡る凄まじい雷撃の激流に抗わず、大きく飛び退いた。そのときになってようやく、彼女は地面から足を離している。
戦団式魔導戦術・伍拾参式・縮地法は、術者の足の裏に魔法をかけ、それによって地面を高速で滑走できるようにする魔法だ。
使い勝手の良い魔法ではあるが、飛行魔法の利便性を考えれば、使い手が少ないのも道理であり、今回のような事態を招いたのだって、結局の所、己の魔法技量に酔っていたからではないか。
日流子は、着地とともに地上を滑走し、アンズー・マキナたちが畳みかけてくる雷撃の嵐から逃れると、全身の痛みを黙殺した。この程度の痛みに耐えられないようでは、星将失格である。
導衣も肉体も、ところどころ焼け焦げていて、肉の焦げる臭いが鼻を突いた。だが、それ以上に幻魔たちの発する異臭や、異界の臭いのほうが強烈であり、日流子は、全く気にしなかった。
気にするべきは、この戦いを第五軍団の部下たちが見守っているということだ。
日流子は、部下には、拠点を護るようにと厳命した。拠点を一歩でも出れば、厳罰に処するといっており、故に、彼女の部下の誰一人として、彼女が余程の窮地にでも陥らない限り、拠点防衛に全力を尽くしてくれるだろう。
日流子の教育の賜物だ。
日流子は、そんな部下たちが大好きだったし、だからこそ、格好悪いところを見られたくはなかった。
常日頃から基礎を蔑ろにするものは、幻魔との戦いで泣きを見ると何度となく、口が酸っぱくなるくらいいってきているのだ。
日流子のこの様を見れば、部下たちはなにを想うか。
日流子こそ、軍団長こそ、基礎がなっていないのではないか――そんな部下たちの声が聞こえてくるような気がして、彼女は、機械型幻魔たちを睨みつけた。
彼女の瞳の奥に〈星〉が煌めけば、全身から満ち溢れた魔力が星神力へと昇華され、複雑極まりない律像が幾重にも重なり合って、要塞のように展開していく。
「星象現界」
日流子は、両腕を掲げながら、アンズー・マキナの雷撃とリヴァイアサン・マキナが降り注がせてきた大量の水球を回避した。地面を超高速で滑走することによって、それ以外の獣級幻魔からの集中砲火も躱していく。
回避に専念すれば、こんなものだ。
アンズー・マキナの攻撃を受けたのは、ただの失態に過ぎない。
ヤタガラスの目を通してこの戦況を見守っているであろう部下たちに見せてはならない、大失態。
日流子は、気恥ずかしさのあまり、顔面が燃えるだった。きっと、真っ赤になっていることだろうし、その様子までもが部下たちに見守られていると想うと、自分自身に腹が立つ。
自分が散々言ってきたことだ。
魔法は、基礎こそが全てであり、基礎を怠った魔法士に待つのは、死だけである、と。
だからこそ、日流子は、常日頃、魔法を基礎から学び直し、自分のやり方に間違いはないかと再確認を行うことを忘れないのだ。
それを、一瞬、忘れてしまった。
調子に乗ってしまった、と、いっていい。
(きっと、皆のせいね)
日流子は、自分の暴走を今回の大規模幻魔災害と結びつけることで、ようやく心の平衡を保たせることに成功した。
悪いのは、自分だけではない。
皆が悪いのだ。
星将たちが皆、禍御雷や幻魔掃討のために星象現界を発動しまくっているから、その雰囲気に当てられてしまったのだ。
同僚たちの戦いぶりを見せつけられれば、日流子だって、奮起しなければならない。
だからこそ、彼女は、真言を唱える。
「天之瓊矛」
瞬間、城ノ宮日流子の星象現界が発動した。