第五百七十四話 大地舞姫(三)
『こちらに向かっているのは、獣級幻魔のみで構成された集団のようです。軍隊というには雑然としていますが、なにかしら統率された意思が感じられるのは、間違いありません。数は、二千。上位下位合わせての数ですが、中には機械型も混じっています』
「にっ、二千体、ですか……!?」
拠点付きの情報官からの通信に、さすがの杖長筆頭も素っ頓狂な声を上げざるを得なかったようだ。
隣の日流子が驚くほどの大声だった。
人丸真妃は、日流子の表情によって自分の反応の大きさに気づき、すぐさま気恥ずかしそうな顔をした。しかし、驚きは消えない。
「二千体……」
歩廊から空白地帯に目を向ければ、遥か遠方から第十一衛星拠点に向かって迫りつつある黒々とした土煙の群れが、肉眼で確認できる。
どす黒い土煙を上げているのは、怪物たちの大群だ。
ガルム、フェンリル、カーシー、ケットシー、アンズーといった下位獣級幻魔がいれば、とてつもなく巨大な上位獣級幻魔リヴァイアサンの姿が目に入ってきたし、双頭のリヴァイアサンという通常存在しない幻魔も確認できた。
機械型幻魔に違いない。
双頭のリヴァイアサンの片方の首から上は、全部機械仕掛けのようだった。
フェンリル・マキナに追加された二つの首と同じだろう。
ほかにも様々な獣級幻魔が群れをなし、ただひたすらにこちらに向かってきていた。
「いくらなんでも多すぎません?」
「皆代煌士は、約四千体を斃したのよ」
「……はあ」
真妃は、日流子に目を向けて、彼女が真剣極まりない表情だということに気づき、なんともいえない顔になった。
ここで皆代統魔の名が出されるとは想定していなかったからだったし、皆代統魔といえば、規格外の代名詞のような導士だからだ。
「規格外と一緒にされましても……」
「あなたは杖長筆頭でしょう。彼よりも余程多く戦い、余程多くの死線を潜り抜けてきたわ。わたし自身、あなたのことを十一軍団で美織の次に信頼しているのよ? もっと自信を持ちなさい」
「それは……とってもありがたい御言葉なんですが」
とはいえ、だ。
自分に皆代統魔のような活躍を求められても困る、というのが、正直な話だった。
皆代統魔は、百年に一度、いや、魔法史が開かれて以来の逸材だ。
あの若さで星象現界に目覚めたこともそうだが、三種統合型の星象現界などという聞いたこともないものを編み出してしまった。
複数の星霊を同時に発現する例こそ、いくつか確認されているが、十二体もの極めて強力な星霊を同時に具現させたのは、皆代統魔が戦団史上最初の導士だろうし、それに加えて星装と星域を同時に発動させるなど、本来、ありえないことだ。
だから、規格外。
彼よりも先に星象現界に目覚めた導士たちですら、彼と自分を比較しようとは想わなかったし、彼が自分たちと同じ煌光級に昇格したことも、当然の結果だとしか想わなかった。
彼は特別で例外的な存在なのだ。
彼をして、選ばれたもの、と呼ぶ声もある。
この魔法が全ての世界において、あれだけの魔法技量の持ち主となれば、神の如く君臨できるのではないかと想えるほどだったし、実際、三種統合型の星象現界を発動し、数千体の幻魔を蹂躙する彼の姿は、地上の混沌から人類を救うために降臨した救世主のようだった。
現在、皆代統魔が、戦団内部での人気を飛躍的に高めているのは、大空洞での彼の戦いぶりを記録映像で閲覧することができるからだったし、真妃も、彼の戦いぶりに興奮した一人だ。
皆代統魔に注目しているのは、なにも彼女だけではない。
戦団に所属する導士ならば、誰もが彼に注目していたし、彼が活躍する度に賞賛したものだ。中には嫉妬と羨望の目を向けるものもいるが、それはつまり、それだけ彼が活躍しているという証でもある。
彼は、魔法士として、導士として、最高にして最良、最善にして最上の道を歩んでいる。
しかし、彼のようになりたいと想うものはそう多くはいまい。
彼の魔法技量を賞賛する言葉に嘘はなく、彼が成し遂げてきた偉業の数々も、誰一人として疑わない。
彼は、将来、戦団最高の導士の名をほしいままにするだろうことも、わかりきっている。
だが、だからこそ、だ。
力には、責任が伴うものだ。
彼ほど途方もない力を持つものには、それだけの責任が付き纏うものであり、義務を負うものだ。
将来的には、常に導士としての活動に束縛され、自由などなくなってしまうのではないか。
戦団総長にして戦団最高の導士たる神木神威がそうであるように。
「あの程度、あなた一人でも殲滅可能よね?」
「それは……どうでしょう」
アイドルのような可憐な容貌で、とんでもなく苛烈なことを言ってきた上司に対し、真妃は、どういう表情をするべきなのか、迷いに迷った。
日流子と任務が一緒になると、突発的にこのような無茶ぶりをしてくるのだが、それは、彼女の中でも特に父親の城ノ宮明臣によく似ている部分だといわれている。そして、それを指摘すると満面の笑みを浮かべるのが、日流子である。
日流子は、父親が大好きであるらしかったし、明臣もまた、日流子の写真のみならず戦団公式グッズを持ち歩くほどに溺愛しているという。
二人が一堂に会したときには、目が眩むほどに輝かしい光景が展開されるのは、第十一軍団の導士ならば誰もが知っていることだったし、新入りが面食らう場面でもあった。
「冗談よ」
そういって微笑した日流子の横顔を見届けることになってしまったのは、真妃が出遅れたからにほかならない。
日流子は、灰色の髪と漆黒の導衣を靡かせながら、防護壁から飛び降りたかと想えば、律像を展開していた。歩廊から地上に到達するまでに完成した律像の美しさたるや、真妃が想わず見惚れるほどだったし、その完成度こそが日流子の強さなのだと思い知るのだ。
「伍拾参式・縮地法!」
日流子は、着地の瞬間、真言を発した。律像が魔力とともに拡散し、魔法が完成する。
日流子が、死せる異界の大地を凄まじい勢いで滑走し始めたのは、それが伍拾参式・縮地法という魔法の力だからだ。
足の裏に張り付くように発動した魔法は、地面との摩擦を大きく軽減するだけでなく、魔力によってとてつもない推進力を得ることが出来た。
空を飛ぶよりも大地を滑走するほうが、日流子の得意属性に合っている。
日流子は、地属性を得意としているのだ。
第三軍団長・播磨陽真と得意属性が同じということもあり、時として切磋琢磨する関係であったりするが、いまも、日流子の頭の片隅には陽真のことがあった。
陽真も今頃幻魔の群れと戦っているに違いないからだ。
情報に寄れば、獣級幻魔の群れが現れたのは、軍団長が待機中の衛星拠点の周囲だけだという話であり、幻魔を操る何者かが、意図的にこのような状況を生み出しているのは間違いない。
その目的、意図については、いまいち判然としない。
もし、マモンが引き起こしているのであろう央都四市の災害と関係しているのであれば、あまりにも遅すぎたし、そんな必要性すらなかったはずだ。
星将は、衛星拠点を迂闊に離れることは出来ない。
いや、星将だけではない。
衛星任務中の軍団が衛星拠点を離れれば、その瞬間、央都の防衛網が崩壊するということであり、近隣の〈殻〉に付け入る隙を与えることになりかねないのだ。
そんなことは、断じてあってはならない。
余程――。
(余程、央都が窮地に陥らなければ、慌てる必要はない)
日流子は、明臣や上庄諱からの教育によって備わった冷静さによって、状況を判断していた。
大地を滑るように移動しながら、二千体もの幻魔の群れへと突貫していく。
伍拾参式・縮地法は、戦団式魔導戦術の一つだ。
彼女が用いる魔法の大半が戦団式魔導戦術なのは、それこそが子供のころから憧れていた導士の魔法だからだ。
日流子は、物心ついたときから戦団と関わりを持っていた。父が、戦団の重職だったからであり、溺愛する愛娘を職場に連れてきては、皆に自慢したがったからだ。
そうする内に、様々な導士と縁を持った。
導士たちの多くは、戦団式魔導戦術を用いる。
幻想訓練中の導士たちの姿を見て、すっかり心を奪われた日流子が、戦団式魔導戦術に拘るのは、必然だったのだ。