第五百七十三話 大地舞姫(二)
「あなたは……個人的な恨みを晴らそうと……? そのために、そのためだけに、わたしを後継者に選んだというのですか?」
升田春雪の声がわずかに震えていたのは、必然であり、道理としか言い様がなかっただろう。
彼には想像だにしなかった真実を告げられ、その上、そのことを他の誰かに打ち明けることなど許されるわけもないという事実を知っているからだ。
いや、真実を打ち明けたところで、誰が信用してくれるというのか。。
天燎鏡磨たちのように悪魔に精神支配されているのではないかと疑われるだけのことだ。そして、その疑いこそが真実となって、春雪の人生は終りを迎える。
そんな彼の胸中に渦巻く様々な想いが、城ノ宮明臣には、手に取るように理解できた。
それは、取りも直さず、かつての自分がそうだったからにほかならない。
継承とは、そういうものだ。
「やはり、きみは頭が良い。話が早くて助かるよ、本当に」
明臣は、心底、嬉しそうにいった。
地上では、禍御雷や機械型幻魔が暴れ回り、その掃討のために星将たちが駆り出された後だ。
既に全ての戦闘行動は終了し、禍御雷も殲滅されたという。
戦団本部は大打撃を受けたものの、二人がいる深層区画にはなんら影響はなかった。ここにいたおかげで禍御雷の攻撃に巻き込まれずに済んだのだから、幸運というほかない。
しかも、そのまま地下に退避しておけという上からの指示もあった。
明臣は、春雪と話し込む時間がたっぷりと持てたというわけだ。
後継者と、明臣自身の今後について。
「そうだよ、わたしはね。サタンに復讐がしたいんだ」
明臣は、隣を歩く春雪の視線が自分に集中していることを感じながら、告げた。
明臣の最愛の妻・日流女は、幻魔災害によって死亡した――と、世間には知られている。戦団がそのように発表したからだったし、それは特別指定幻魔壱号の存在は秘匿しておく必要があると情報局が判断した結果だ。
明臣は、情報局の副局長という立場にあり、彼が戦団の根幹を支える人物であるという事実は、よく知られた話だ。そんな彼を支持する市民の多くは、幻魔災害によって愛妻を失いながらも戦団の一員として職務を全うし続けようとする彼の姿にこそ、感動し、絶賛し、尊敬するのだろう。
それこそが戦団の、導士の在り方だからだ。
そして、戦団と導士によって、この央都の安寧が守られているからだ。
しかし、明臣自身にしてみれば、自分の支持者、応援者たちの考えなど、どうだってよかったし、真実を知るべくはずもない彼らの声援が空疎に聞こえるのも、ある意味では当然だったのかもしれない。
ただし、そのことで明臣が支持者らに失望することはなかった。
知る由がないことを知らないというだけで失望するのは、あまりにも身勝手だ。
サタンこと特別指定幻魔壱号ダークセラフに関する報道に関しては、徹底的かつ厳重に管理されなければならなかった。そう判断したのは、彼を含む情報局であり、護法院も情報局の意見を採用し、報道規制を敷いている。
市民が真実を知る方法は一切なかったし、情報を管理する側の明臣が支持者たちに教える理由もなかった。
央都に吹き荒れる幻魔災害の数々が、一体の強大な鬼級幻魔によって引き起こされているという事実が明らかになれば、それだけで央都は大混乱に陥るだろうことは、火を見るより明らかだ。
戦団の責任を問う声も爆発的に膨れ上がるだろうが、それは、いい。
市民が戦団に対し、どのような意見を持ち、どのような発言をしようとも、検閲もされなければ、野放しにされているのが、この央都の有り様だ。
央都は、徹底的な管理社会だが、しかし、箱庭の中には確かな自由もまた、存在した。
央都の一般市民は、自由に議論を交わし、戦わせ、ときには戦団に対し、非難や糾弾を行うことだって許されたのだ。
かつてのネノクニとはわけが違う。
央都以上に絶対的な管理社会だったネノクニにおいて、神の如く君臨していた統治機構を非難することは許されなかったし、意見を述べることすら罪に問われた。
統治機構のやり方を否定するためには、反政府勢力に身を投じる覚悟が必要だったのだ。
だからこそ、いくつかの反政府勢力が誕生し、地下に隠れることとなったのだろうし、神木神威率いる地上奪還部隊が統治機構と対立することになったのも、そうしたことの積み重ねの結果なのだろう。
央都は、その点、自由だ。
報道こそ戦団によって管理され、規制されることも少なくないものの、自由闊達な議論がそこかしこで行われている。
巷には戦団の活動や、導士たちの周囲への被害を顧みない戦いを非難するような記事が嫌と言うほど溢れているし、央都市民の全員が戦団の支持者だというわけではない。
それも、央都が絶対的な管理社会ではないことの証明だろう。
それでもなお、明臣の愛妻の死の原因は、秘された。
ただ、幻魔災害によって命を落としたということになってしまった。
そのことについて、長い間、彼は考え続けなければならなかった。
特定壱号の出現以来、頻発するようになった幻魔災害は、日に日にその規模を拡大しているようでもあった。
サタン。
〈七悪〉などと名乗る幻魔勢力の首魁と目される鬼級幻魔であり、魔法士の死から幻魔を確実に作り出す力を持った稀有な存在。絶大な力を持つことは、鬼級幻魔たちがサタンに従っていることからも理解できるだろう。
幻魔は、本能として、習性として、自分よりも強い幻魔に付き従う。
そんなサタンだが、央都壊滅、人類生存圏の崩壊を謳いながら、〈七悪〉が揃うことになぜか執着していることには、ある意味では感謝しなければならないのだろう。
日流女の、最愛の妻の敵を討つ機会が得られるかもしれない。
それまでに、復讐を果たすまでに人類が滅ぼされるようなことがあってはならないし、明臣自身の命脈が断たれるようなことがあっては、なんの意味もないからだ。
明臣は、最愛の妻がサタンの尾に貫かれて、絶命する瞬間を目の当たりにしていて、その瞬間、日流女の姿がサタンの影に飲まれていく様が網膜に焼き付いていて、離れなかった。
およそ三年前のことだ。
サタンがその行動を活発化させるようになったのは、この六年の間のことであり、戦闘部の導士でもない明臣には、サタンに対し、反応することすらできなかったし、サタンが日流女の亡骸とともに異空間に消え去る様を見届けるしかなかった。
日流女を殺され、その亡骸を葬り、弔う権利さえも奪われたのだ。
明臣は、慟哭し、咆哮したが、降り注ぐ雷雨が彼の声を掻き消した――。
「――そのためならば、わたしがこれまで積み上げてきた全てを失おうとも構いはしない」
明臣は、脳裏に浮かんだ最愛の妻の最期の姿に目を細めながら、告げた。実際、サタンを斃すことさえできるのであれば、命すらも惜しくなかった。
それは、彼だけでなく、多くの導士に共通する想いでもあるだろうが。
しかし、央都市民の安寧のため、一刻も早く〈七悪〉を滅ぼしたいという強い望みは、極めて輝かしいものであり、彼のどす黒い復讐心とは相容れないものでもあった。
だから、だろう。
春雪の声は、未だに震えていた。
「サタンへの……復讐……」
「きみには、全く関係のない話だが」
「なにを」
春雪は、明臣のもはや狂気を孕み始めた目を見つめながら、言葉を飲み込んだ。
ここまで巻き込んでおいて、今更、なにをいうのか。
春雪には、もはや逃げ場はなかった。
春雪は、彼の後継者に指名され、引き受けてしまった。
舞い上がっていたのだろうし、心の隙を上手く突かれたという感覚もある。
なにより、明臣の話の持って行き方が巧みすぎたのだろう。
しかし、彼の話を聞けば聞くほど、後継者という立場の重みについて理解すればするほど、自分の判断について考え込まざるを得ない。
そして、こうした事態に直面する度に思い知らされるのだ。
自分は、升田春雪という人間は、余りにも迂闊すぎるのだ、と。
〈スコル〉のときもそうだったが、そもそも、〈フェンリル〉に関わってしまったのだって、自分の迂闊さが招いた事態ではないのか。
いま、この場にいて、彼の後継者とならざるを得ない状況に直面したこともまた、迂闊さの結果だ。
それを誰かの責任にすることはできなかったし、結局、全ては自分が招いた災いなのだと飲み下すしかない。
とはいえ、彼の、城ノ宮明臣の後継者として活動することそのものに否やはなかった。
彼がこれから先、復讐を果たすために全身全霊を尽くすというのであれば、確かに後継者を用意しておくのは重要なことだ。
でなければ、組織が立ち行かなくなる。
そんなことを考え込んでいると、不意に明臣が足を止めた。深層区画の薄暗い通路の途中、彼は携帯端末を見て、歩いていた。地上の様子が気になるのは、明臣だけではない。
春雪も、家族のこともそうだが、同僚たちのことが、導士たちのことが心配でならなかった。
「どうされたんです?」
「日流子が……心配だ」
「……はあ」
思わず生返事を浮かべてしまったのは、明臣が、いつもの親馬鹿に戻っていたからだが。
それから春雪が己の携帯端末を操作してわかったのは、地上が落ち着きつつあるわけではないということであり、各地の衛星拠点が数千体もの幻魔の群れに襲われている最中だということだった。
その中には、明臣の娘にして第五軍団長・城ノ宮日流子がいる第十一拠点もあった。
しかし、春雪は、明臣の言葉通り心配そうな表情を見ても、同じようには全く思えなかった。
日流子は、星将だ。
戦団最高峰の魔法士の一人なのだ。
たかが獣級幻魔など、数千体でも相手にならないのではないか。
春雪には、そう思えてならなかったし、実際、その通りだったのだから、明臣の親馬鹿ぶりに上庄諱が太鼓判を押すのも当たり前だったのかもしれない。
春雪は、なんともいえない表情で、明臣が第十一拠点の戦況報告に耳を傾ける様を見ていた。