第五百七十二話 大地舞姫(一)
この八月、第十一、第十二衛星拠点を担当しているのは、戦闘部第五軍団である。
第五軍団の軍団長といえば、情報局副局長・城ノ宮明臣の愛娘、城ノ宮日流子だ。
日流子は、その日、普段通りに第十一拠点で起床し、朝早くから軍団長としての務めを果たしていた。
八月二十五日。
特別な一日である、とは、父・明臣の言葉だが、なにが特別なのか、日流子は教わっていなかった。情報局、あるいは戦団上層部にとっての最重要機密に関連することなのだろう。
明臣は、情報局の古株である。
彼の人生が情報局の歴史といっても、言い過ぎではない。
もちろん、その上には、上庄諱という生き字引がいるのだが、大差はない。
情報局長・上庄諱は、明臣の上司であるとともに、日流子にとっては育ての親のような側面を持っている人物でもあった。
日流子は、子供のころから戦団本部に出入りしていて、情報局の局員たちに可愛がられていたという記憶がある。
中でも特に可愛がってくれたのが、諱だった。
後に知ったことだが、諱は、日流子を情報局員として育成しようとしていたらしく、それもどうやら明臣の意向を汲んだものであるらしかった。
明臣は、日流子が子供のころから戦団に入りたがっていたことを知っていたし、戦団が常に人手不足、人材不足に頭を抱えているという事実に直面しなければならない立場の人間でもあった。
だから、日流子が戦団に入ることそのものは応援してくれたのだろうし、故にこそ、情報局に入れたがったのだろう。
そのための諱の薫陶は、いまも彼女の中に深く息づいている。
「情報は力よ」
日流子は、囁くような、しかし、第十一、第十二衛星拠点にいる全ての導士に聞こえるように告げた。
通信機を通せば、彼女の小さくも可憐な声だってはっきりと聞こえるのだ。
だから、軍団長からの通信だけは最大音量にしている第五軍団員は、多い。
日流子は、その大人しく引っ込み思案な性格とは裏腹に、可憐極まりない容姿の持ち主ということもあって、戦団広報に引っ張りだこだった。
灰色の頭髪と茶色の瞳は、父から受け継いでいるが、顔立ちは母によく似ているという。母は、一時アイドル的な人気を誇った導士であり、その容貌を完璧に受け継ぎ、さらに洗練されている、というのが周囲の評価なのだが、日流子にはわからない。
自分の容姿に自信を持てるような性格の持ち主ではない。
無論、もはや記録と記憶の中だけの存在となった母親の容姿は、まさにアイドルのように可憐だと思っているし、そのことだけは誰にも誇れるのが日流子だった。
戦団の中でも特に市民人気を誇るのは、戦闘部の十二軍団長だが、その中でも、日流子は良い位置にいた。
光都事変の英雄、五星杖の内の四人が最上位を争う中に食い込むほどだ。
故に広報部は、彼女を様々な企画に採用する。
容姿の見目麗しさだけならば、自分以外にもいくらでも素晴らしい星将、導士はいるというのに、どうして広報部は自分ばかりを題材にしようとするのだろう――そんな彼女の苦悩は、ほかの誰にも理解できないらしい。
さて、日流子は、この父や一部の人達にとって特別な一日にとんでもない大事件が起きているという情報を掴んだことで、すぐさま衛星拠点に滞在中の導士たちにある命令を下していた。
それは、あらゆる事態に備え、待機しておくようにというありふれた命令である。
ただの魔法犯罪と思われた出雲遊園地への魔法攻撃が、マモン配下の改造人間によるものだと判明すれば、空白地帯にもなにが起こるものか、わかったものではないからだ。
マモンは、ついこの間、大空洞に改造人間を派遣したという事実がある。
この大規模幻魔災害に乗じて、衛星拠点までも攻撃される可能性は、少なからずあったのだ。
それもこれも、情報の力だ。
上庄諱が必要とし、明臣が薫陶を受け、さらに日流子も学んだ大いなる力。
その一端でもって、彼女は、予期せぬ事態に備えることに長けていた。
だから、だろう。
第五軍団の対応に遅れが出ることは、なかった。
「戦団本部からの情報によれば、既に禍御雷は全て撃滅されたということだけど、状況が終了したわけではないわ。あの雷の柱を見てもわかると思うけれど」
日流子は、第十一衛星拠点の防護壁の歩廊に立っていた。通信機越しに部下たちに説明している。
衛星拠点は、空白地帯に築き上げられた戦団の最前線基地であり、要塞である。巨大で分厚い防護壁によって四方を囲われており、防護壁の歩廊には、常に導士たちが待機し、周囲の空白地帯に監視の眼を光らせていた。
もちろん、ヤタガラスを飛ばすことも忘れてはいない。
ヤタガラスの目だけでは捉えきれないものが、導士の感覚で捕まえることができる。
だから、全てを機械に任せることはできないのだし、ノルン・システムによる情報の精査も、最終的には、人間の目を通すことになっているのもそのためだ。
その人間の目で見ても、不気味で禍々《まがまが》しい光景だった。
七本の雷光が、巨大な柱となって、央都四市に聳え立っている。
幻魔が人類生存圏を蹂躙した証を打ち立てているかのようであり、それが忌々《いまいま》しく思えるのは、導士ならば当然のことだろう。
「なにが起こっているんです?」
日流子に問うたのは、第五軍団杖長筆頭・人丸真妃である。月白色の髪を二つ結びにしており、草色の瞳が日流子を見下ろしている。彼女は極めて高い身の丈の持ち主だった。
だから、平均以上の背丈はあるはずの日流子すら見下ろしてしまうのが、なんとも申し訳ない気持ちで一杯だった。
仕方がないとは癒え、軍団長を見下ろすことになるのは、彼女個人の気持ちとして、あまり心地のいいものではない
本来ならば、軍団長の側にいるのは副長の務めとされており、実際そうなのだが、衛星任務中、軍団長と副長が一堂に会することはほとんどなかった。
二つの拠点を一つの軍団が受け持つのだ。
軍団の長と副長がそれぞれの拠点を管理するのは、合理的な判断といえる。
ちなみに、第五軍団の副長は、美乃利美織という。
美乃利美織の母、美乃利緑は、日流子が光都事変直後の大再編によって第五軍団長に任命される以前、第五部隊といわれたころの部隊長だった人物だ。つまり、星光級の導士であり、星将と呼ばれてもいたほどの魔法士である。
大再編の際に退任した美乃利緑は、今は星央魔導院で教鞭を振るっている。以来十二年間、魔導院を卒業した導士たちの中には、当然、緑の弟子を名乗るものも少なくなく、その縁もあって、第五軍団への配属を望むものも多い。
そんな緑の娘、美織は、第十二衛星拠点で日流子の声を通信機越しに聞き、口元をほころばせているのだが、日流子には伝わっていない。
日流子は、人丸真妃と並んで歩廊を進みながら、人類生存圏の生気に溢れた、しかし今や禍々しさに満ちた土地から、空白地帯の死の大地へと視線を移した。
「わからないけれど……あらゆる可能性を想像し、どのような事態が起きたとしても、いつも通り、冷静沈着に対応すればいいわ。そうすれば、負けることはないはずよ」
これまでもそうであったように、と、彼女が付け足すと、無数の通信機の向こう側で、彼女の部下たちが力強く頷き、それぞれの持ち場でやる気を充溢させていく。
第五軍団は、日流子を中心として、物凄まじい連帯感を持った組織である。
日流子は、そんな部下たちを心から信頼していたし、部下たちも日流子からの信頼を感じるからこそ、やり甲斐を感じるのだ。
日流子のためならば死をも厭わないものばかりだったが、日流子のためを思えばこそ、死ぬわけにはいかないとも、誰もが思っている。
日流子は、幻魔に母の命を奪われている。
彼女の母の命を奪ったのは、特別指定幻魔壱号――鬼級幻魔サタンである。




