第五百七十話 剣王(二)
二千体もの獣級幻魔が、陽真の前方のみならず、四方八方から彼を包囲するべく接近してきている。
先程の小手調べは、直線上の数十体を撃滅し、百体以上の幻魔に大打撃を与えたようだが、当然、その程度では殲滅しきれない。
二千体。
「確か、大空洞には四千体、だったかな」
『やっぱり張り合ってる』
「いや、ただの確認」
『将来を嘱望されている若手に嫉妬してどうするんです?』
「それ、おれが若くないっていいたいのかな?」
『少なくとも、わたしよりは』
「そりゃあそうだ」
副長と軽口を叩き合うのは、自分が置かれている状況が絶望的でもなんでもないからだ。
二千体の獣級幻魔。
その程度でやられるほど、星将は弱くはない。
星将を殺せるものがいるとすれば、同じ星将か、鬼級幻魔くらいのものだ。
妖級以下の幻魔に殺されるような星将など、星将ではない。
そう、彼は考えていたし、だからこそ、自身の魔素質量に引き寄せられる大量の幻魔を歓迎していた。
やがて、先程の攻型魔法・岩断剣の巨大な魔力体が自然と霧散する。
そのときには、彼は、大量の幻魔に遠巻きながらも包囲されており、第一衛星拠点の方はといえば、ほとんど黙殺されているといった有り様だった。
この二千体の幻魔たちは、当初、第一衛星拠点を包囲するべく動いていた。
それはまず間違いなく、なんらかの命令があり、指示があってのことだ。
しかし、陽真が星神力を披露すると、途端にその進路を変え、衛星拠点など興味がないといわんばかりに彼に集中した。
幻魔が、上位幻魔の命令を無視することはない。
「で、この状況、どう思う?」
『まあ、絶体絶命!?』
「幻魔が、ね」
『はい』
副長の反応は、素直だ。軽口に乗ってくれないことに怒っているかもしれないが。
「……それで、本当のところは?」
『軍団長のいま置かれている状況こそが、奴らの目的ではないかと』
「つまり、おれたち軍団長をいまこの瞬間に引き留めておきたい、と?」
『ほかに考えられませんし』
「それも……そうだね」
夏実の冷静極まりない判断に満足しながらも、陽真は、その場から飛び離れた。
幻魔の包囲網が急速に狭くなってきており、幻魔たちのうなり声とともに発射される魔法弾が、陽真を攻撃し始めたのだ。火炎弾やら氷塊やら毒液やら雷撃やら、多種多様な攻撃が雨嵐と吹き荒れている。
絶え間ない魔法攻撃。
『とはいえ、今更だと思えますが』
「うん」
陽真は頷き、空中を飛来してきた獣級幻魔ヴィゾーヴニルの光り輝く魔晶体を魔法の刃で切り捨てた。
ヴィゾーヴニルには、全身が発光する雌鶏のような姿をした獣級幻魔だ。その外見通り、光属性を得意とし、先程の攻撃も光魔法を纏った体当たりだったのだ。
しかし、そんなものでは、陽真は傷つけられない。
「今更だ」
陽真は、幻魔たちの猛攻を捌きながら、遠方を見遣る。
央都四市の各所に光の柱が聳え立っているのが、遠目にもはっきりとわかる。肉眼で確認できるほどに巨大なそれは、今頃央都市民を大混乱に陥らせているだろうし、避難所に逃げ込む人々で一杯だろう。
大規模幻魔災害が起きたのは、間違いないのだ。
それも、戦団の基地を狙った幻魔災害である。
いくら能天気な央都市民であっても、意図的に引き起こされたとしか思えないだろうし、戦団上層部は、全てが解決した後のことに頭を悩ませているに違いなかった。
無論、今、この状況にも頭脳を全速力で回転させているはずだが。
さて、陽真である。
二千体の獣級幻魔が彼を取り囲み、様々な方法で攻撃してきている。
それらの猛攻を軽々と躱しつつ、反撃で斃していくには時間がかかりすぎるだけでなく、時間の無駄だ。
敵に後詰めがいるのであればまだしも、そうでないのであれば、出し惜しんでいる場合でもない。
故に彼は、星象現界を発動する。
「正統なる王の剣」
陽真が真言を唱えた瞬間、超高密度の律像が星神力とともに発散し、周囲に殺到してきていたガルムやフェンリルたちを圧倒、仰け反らせた。
星神力は爆発的な光となって彼の全身から放たれたかと思えば、前方の地面へと収斂していく。幻魔たちが、本能的な恐怖によって飛び退いて距離を取ったのは、当然といえるだろうし、正しい判断だ。
光が収まると、死せる大地の真っ只中に一本の剣が突き刺さっていた。とてつもない魔素質量を誇るそれは、星神力の塊そのものであり、武装顕現型の星象現界だということがひと目で分かるだろう。
見るからに幻想的な剣だった。
柄の長さから、両手で握る種類の剣であることがわかったが、刀身の長さはまるでわからない。なぜならば、その両手剣は、鍔元まで、深々と大地に埋まっていたからだ。
鍔と柄、柄頭の装飾は、神秘性すら感じさせるほどに精巧にして精緻であり、わずかに覗く刀身の一部からは、その表面に無数の文字が刻まれていることが窺える。
陽真は、星象現界の発動が成功したことを認識すると、幻魔たちが攻撃を再開するよりも早く、剣の元へと駆け寄った。
一足飛びで近づける距離ではあるが、少し距離が離れた場所に具現するのが、この星象現界唯一の難点といっていい。
『星象現界、使ったんですね?』
「悪いかい?」
『いやあ、軍団長の星象現界、直接見たかったなあ、と』
「心が籠もってないよ」
『えー、嘘でしょー。こんなにも軍団長を愛しているというのに……』
「いま、きみの側に何人いるのかな?」
『優秀な部下が十人ほどですが、なにか』
「いや、確認しただけだよ」
などと、夏実との会話に徒労感すら覚えながらも、陽真は、エクスカリバーと名付けた星装に触れた。複雑な装飾が施された柄頭に軽く右手を置くだけで、力が湧き上がる気がした。
いや、それは気のせいではない。
武装顕現型の星象現界は、装備してことその力を発揮するのであり、故にこそ、発動位置がわずかに離れるエクスカリバーには明確な弱点があるということだ。
しかも、手に触れさえすればこちらのものである、というものでもないのだ。
陽真は、エクスカリバーの柄を両手で握り締めると、大地から引き抜こうとした。だが、エクスカリバーは、大地に埋まったままびくともしない。
その間にも、幻魔たちが戦闘行動を再開している。
ガルムが吼え、フェンリルが唸る。カラドリウスが群れをなして飛びかかってくれば、ヴィゾーヴニルが太陽のような光を放ち、光線として撃ち出してくる。アンズーの雷撃も嵐のようだ。
「相変わらず、いうことを聞かないなあっ!」
陽真は、幻魔の猛攻の真っ只中、全身に魔法攻撃を浴びながらも、エクスカリバーに意識を集中し続けた。全身の星神力を注ぎ込み、ついには、エクスカリバーを引き抜くことに成功したときには、陽真の全身は幻魔たちの魔法攻撃を浴びてボロボロになっていた。
もっとも、そうなっているのは、彼の導衣だけだ。星神力に満ちた肉体そのものには、傷ひとつついていない。
そして、彼は、大地という鞘ごと引き抜いたエクスカリバーを両手で握り締めると、頭上に掲げた。
一見すると、巨大な岩塊が刀身そのものとなったような両手剣は、しかし、超高密度の星神力の塊であり、彼が掲げた瞬間、幻魔たちの視線がエクスカリバーに集中した。
膨大極まりない魔素質量を感じ取ったのだろう。
それが脅威であるということも実感したのか、どうか。
陽真は、いつものように岩塊の鞘に収まったままのエクスカリバーを頭上に掲げて、しまりのない顔になってしまうのを自覚しながらも、状況が激変したことを認識してもいた。
もはや、陽真に敗北の二字はない。
あるのは、幻魔滅殺の四字だけである。