第五百六十九話 剣王(一)
『衛星拠点に待機中の軍団長の皆様方へ! 現在、幻魔の大群が複数の衛星拠点を包囲しております! 既に戦闘行動が始まっている拠点もありますが、軍団長の皆様方に置かれましては、拠点防衛のため、全力を尽くしてください! 以上、総長閣下からの御命令でございますです、はい!』
戦団本部の情報官からの通信が播磨陽真の耳に届いたときには、彼は、既に部下たちの指示を終えていた。
情報官は、なにも戦団本部にいるだけではない。
央都四市の各基地でも常に走り回っているし、各衛星拠点でも衛星任務中の小隊たちや戦団本部、あるいは衛星拠点とのやり取りを受け持っている。
当然、第一衛星拠点にも複数名の情報官がついていて、常日頃から拠点を担当する軍団と綿密な連携を取っているのだ。
今回だって、そうだ。
陽真は、情報官たちからの報せによって、幻魔の大群が拠点に接近していることを知り、訓練所を飛び出していた。
陽真が多少荒れているのも、部下たちを鍛え上げるせっかくの機会が台無しにされたということも大きい。
軍団長みずから部下の訓練に携われる機会など、そうあるものではないのだ。
軍団長は、暇ではない。
防衛任務中であれ、衛星任務中であれ、軍団長は多忙を極めるのだ
故にこそ、わずかばかりの時間の隙間を見つけては、待機中の部下に声をかけ、彼らの成長を確かめることが陽真の数少ない楽しみになっていた。
そのとき以外、考えることと言えば、幻魔滅殺の四字しかないからだ。
(幻魔滅殺)
陽真は、胸中でその四字をつぶやくと、第一衛星拠点全体が防衛行動に入ったのを確認した。
拠点の外周を囲う防護壁、その歩廊に立ち並ぶ防手たちが防型魔法を駆使し、巨大な防御結界を築き上げたのだ。
第一衛星拠点を包み込むほどに巨大な魔法壁は、合性魔法によって構築されており、生半可な攻撃では傷つけることも難しいに違いない。
さすがは我が部下だ、と、彼は心の底から賞賛しながら、その魔素密度に目を細めた。
合性魔法は、極めて高度な魔法技術だ。
自身と他者の律像を組み合わせなければならず、それには細心の注意と、とてつもない魔法技量が必要なのだ。
ついこの間、対抗戦決勝大会の幻闘において、叢雲高校の生徒たちが合性魔法を披露したことはいまでも語り草になっているが、それこそ、合性魔法が簡単にできるものではないからだ。
叢雲高校の草薙真を弟子にした朱雀院火倶夜は、合性魔法に参加した生徒全員を導士に推薦したほど、彼らの技量の高さを買っていた。
もっとも、対抗戦に参加する誰もが戦団に入ることを目的としているわけでもない。仮に火倶夜の提案が護法院の審議を通過していたとしても、叢雲高校の他の生徒たちがそれを受けたかどうかはわからない。
一人二人くらいは、第十軍団の一員になったかもしれないが。
ともかく、それほどまでに合性魔法というのは魔法技量が必要なものだが、しかし、戦団の導士たるもの、同軍団の導士たちと合性魔法の一つや二つ使えなければならないというのもまた、道理である。
戦団の導士には、それだけの魔法技量が求められる。
でなければ、幻魔滅殺の四字を遂行するに至らない。
陽真の遥か前方に大量の幻魔が蠢いていて、黒い土煙を上げながら第一衛星拠点に接近している。
その速度たるや凄まじいものであり、もうしばらくすれば、戦闘距離に到達する。
「皆は、決して拠点から出ないこと。万が一にも窮地に陥ったら、そのときには応援を要請するからさ」
陽真は、拠点にいる全軍団員に対し、通信機越しにそのように通達すると、透かさず歩廊から飛び降りた。
「軍団長!?」
「正気ですか!?」
「いや、まあ、大丈夫っしょ」
「そりゃあ、そうだけど……」
歩廊に残された導士たちは、陽真の唐突な行動に慌てふためいたものの、次第に冷静さを取り戻していった。
陽真は、軍団長であり、星光級の導士だ。
歩廊にいる誰よりも圧倒的に強く、たかが獣級幻魔の大群程度、相手にはならない。
星将を相手取るには、上位妖級幻魔を大量に用意するか、鬼級幻魔自らが出向いてくるしかない。
もっとも、後者の場合、星将一人では悲惨な結果に終わるという事実もまた、この場にいる誰もが理解している。
鬼級幻魔とは、それほどまでに強力で凶悪なのだ。
星将ほどの魔法士ですら、星象現界を駆使してようやく食い下がることができるほどだという。
そんな強敵が多数、央都に潜伏していて、いつでも大規模幻魔災害を引き起こすことのできる現状というのは、戦団に所属する導士たちからしてみても、そら恐ろしいものだった。
むしろ、〈七悪〉の存在を知らないままでいる一般市民のほうが、余程、安穏たる日々を送れているのではないか。
そんなことを脳裏に過らせながら、第三軍団の導士たちは合性魔法の維持に全精力を注ぐ。
わずかでも同調が損なわれれば、その瞬間、合性魔法は瓦解する。
故にこそ、高度な技量が必要であり、血の滲むような鍛錬と研鑽が必須なのだ。
そんな合性魔法によって構築された巨大な魔法結界を振り返るなり、その圧倒的な存在感に感動すらしながら、陽真は、幻魔の大軍勢とたった一人で向き合った。
『お一人で出撃ですか?』
「この数だからね。それが一番だと判断したのさ」
『またまた、格好付けたいだけでしょうに』
などと、通信機越しに呆れてきたのは、第三軍団副長の宗佐夏実である。彼女は、軍団長を補佐する副長でありながらこの場にはいない。
第二衛星拠点にいて、部下たちを指揮しているからだ。
「わかった?」
『わかりますよ。何年副長を務めていると思っているんですか』
「一年かな」
『はい』
「それで、そっちはどうなの?」
『こちらには来ていませんね。やはり、作戦部の推察通り、軍団長の行動を封じるのが目的かもしれません』
「うん、だから、作戦部もそう判断したんだろうし……実際、軍団長自ら動くほかないし」
『では、頑張って!』
「それ、応援?」
『はい! 目を輝かせて応援させて頂いております!』
「うーん……」
『なにが不満なんですかねえ』
「全部かな」
『それ、わたしの台詞ですよ』
「だったらいますぐ第七軍団なり第十軍団なり、好みの軍団に移ればいいさ。きみほどの人材なら、どこだって喜んで引き受けてくれるよ」
『嫌味は止してくださいよー、かわいいなー、もー』
夏実の思い切り棒読みの声を聞きながら、陽真の魔力は臨界点に達そうとしていた。魔力と星神力の狭間。 〈星〉を視たものにしか辿り着けない境地であるそれを認識すると、彼はさらに魔力の密度を高め、昇華を促した。
魔力が星神力へと昇華すると、彼の全身に満ちた魔素質量は何倍、何十倍どころではなく膨れ上がり、故にこそ、幻魔たちがその目を輝かせた。
禍々《まがまが》しくも赤黒い輝きは、遥か前方に予期せぬ餌が出現したことに興奮していることを伝えていた。
理性も知性も持たない怪物たちは、力量差などお構いなしに襲いかかってくるだろう。
幻魔同士ならば、本能的に力量差を理解するというのに、相手が幻魔以外になると途端にわからなくなるのはどういうわけなのか。
(生物としての根本が違うからってのは、本当なのかもな)
陽真は、超高密度の律像を形成しながらも、まずは小手調べを行うこととした。両腕を頭上に掲げ、星神力を凝縮する。真言。
「岩断剣!」
陽真の手の内に巨大な星神力の剣が具現し、その全力の一振りは、直線上の大地を真っ二つに切り裂いた。地中深くまで穿たれる巨大な亀裂が、その魔法の威力を明言していたし、幻魔たちの断末魔や悲鳴、怒号が響き渡ってくることからも、確かに効果があったことがわかった。
極大剣の斬撃が、大地にとてつもなく深い亀裂を刻みつけ、直線上の幻魔のみならず、周囲の幻魔にも甚大な被害をもたらしたのだ。
「まあ、当然か」
しかし、この程度で満足して良いわけもない
敵は、二千体もの幻魔だ。