第五十六話 天燎対叢雲(二)
天燎高校対叢雲高校の前半戦は、終始、叢雲高校が主導を握った。
真っ先に一点を挙げたという事実が、天燎高校一同に重くのし掛かっていた。
最低でも引き分けて終わりたい、終わらなければならないと考えていた圭悟にとって、最悪の出足になったのだ。
引き分けで終わるには、一点を取らなければならない。
その一点が、遠かった。
「一度、攻めてみるか」
「お願いします」
法子の提案を受けて、圭悟は彼女の判断に任せることにした。
前半戦の最中のことだ。
法子は、怜治から星球を受け取ると、流麗な足取りで敵陣に踏み込んでいった。素早く、そして、鮮やかに、叢雲の陣地を蹂躙するかの如く。
対する叢雲陣地は、法子の侵攻を食い止めるべく、四枚の防壁を展開する。四人の後衛が、隙間なく法子の進路を塞いだのだ。法子は、空中に星球を放り投げる。その射線上には、圭悟が飛んでいた。圭悟は星球を受け止め、すぐさま地上に投げる。後衛を躱した法子が星球を手にし、陣地深く、星門の眼前へと至った。
だが、法子が黒い稲光とともに投げ放った星球は、叢雲の星門を割らなかった。草薙真によって阻止されたのだ。
彼は、いつの間にか最前線から舞い戻ってきていた。
そして草薙真は、自陣星門前から、天燎の星門目掛けて星球を投げつけた。星球はまさしく火の玉となり、轟然と燃え盛りながら、一直線に星門へ至った。もっとも、こちらも星門を割ることはなかった。
幸多が腹で受け止めたからだ。
幸多は、浮き上がった星球を両手で掴み取って、遥か遠方の草薙真を見遣った。草薙真の眉間に深々と皺が刻まれる。
そこからも天燎は何度か攻撃を仕掛けた。しかし、その攻撃全てが失敗に終わった。分厚い守備陣を突破することすら困難であり、突破できたとしても、星球が星門を割ることはなかった。
前半戦を終えたとき、天燎と叢雲の点差に変化はなかった。
零点対一点。
たかが一点差だが、極めて重い一点差だった。
一方で、叢雲高校側は、一点しか取れていない現状を理解して、猛り狂っていた。
特に草薙真は、最初の一点以来、あらゆる投球が天燎の守備陣と守将によって止められているという事実を受け止めなければならず、それが我慢ならなかった。
草薙真が吼えれば、草薙実以外のほかの生徒たちは、萎縮するほかない。叢雲高校の対抗戦部は、草薙真による草薙真のための組織といっても過言ではないのだ。彼に逆らうことも意見することもできなかった。
それで勝ち進めてこられたのだから、問題もなかった。
そして、この試合も、このまま推移すれば叢雲の勝ちだ。
それで問題はないはずだった。
だが、草薙真は、一点差での勝利には満足できない、もっと点を取り、圧倒的な実力の差を見せつけなければならない、という強迫観念にも似た強い想いに駆られていた。
だから彼が怒っているのは、部員たちに対してではない。
自分自身に対して、彼は、怒り狂っていた。
圭悟は、後半戦に向けて、戦術そのものの見直しを行った。
叢雲高校において注意するべきは草薙真ただ一人だが、そのたった一人が極めて厄介で、この上なく凶悪だということは、前半戦で誰もが思い知ることとなった。
取られたのは、ただの一点。しかし、それ以降も、草薙真の猛攻は終わることがなかった。何度となく星門目前まで攻め込まれ、危うく星門を割られそうな展開が多々あった。雷智の守備力と機転、守備陣の頑張りによって防ぐことができたが。
そうである以上、攻撃に手を割くというのは、無理難題だった。
攻撃に力を割けば、その分、守備が手薄になる。
「だから、陣形を変える」
そういって、彼は、端末を叩いた。幻板には戦場の全体図が表示されており、天燎側陣地には六つの光点がある。
現在は、前衛二名、後衛三名、守将一名の陣形、いわゆる大盾陣である。
「今から?」
「今だからだ」
「ふむ。しかし、どうする? 練習してきた陣形を捨てるとなれば、連携も悪くなるぞ」
「おれと先輩が後衛に回ります。それなら、守備陣の連携が悪くなることはない、でしょう」
圭悟が、幻板上の陣形を操作して、前衛一名、後衛四名、守将一名の陣形に変えた。結界陣。叢雲高校とまったく同じ陣形だ。
「確かに。では、前衛はどうする」
「皆代に任せる」
「ぼくに!?」
幸多は、話の流れから薄々想像できていた事態ではあったが、素っ頓狂な声を上げるしかなかった。圭悟は、なんとしても一点差を守りたいと考えていて、そのために守備力を高めるべく、陣形に手を入れた。
前衛二名後衛三名の大盾陣ではなく、前衛一人後衛四人の結界陣にしたのだ。そして、その上で守備力を高めるというのであれば、魔法士四人で後衛を固めるべきだろう。
魔法を使えない幸多は、邪魔以外のなにものでもない。
それは、攻撃においてもいえることなのだが。
「おう、皆代。気張れよ」
圭悟は、幸多の驚愕に見開かれた目を見つめた。その褐色の瞳を見据えて想うのは、彼のこれまでの人生について、だ。皆代幸多という十六歳になったばかりの少年の、これまで。その大半を圭悟は知らない、知る由もない。だが、幸多が想像を絶する懊悩と苦難を乗り越えてきたのだろうということは、疑うべくもない。
そして、そのためにこそ、幸多は自身を鍛え抜いてきた。
それこそ、身体能力では、誰も敵わないほどに。
だからこそ、圭悟は、幸多に託すのだ。
「これは、おまえのための大会なんだからな」
「う、うん!」
幸多は、圭悟にそうまでいわれてしまえば、断ることなできるわけもなかった。元より、自分の無茶を聞いてもらったことがきっかけだった。そこからほとんど全て、圭悟がお膳立てしてくれたようなものだ。
法子もいっていたことではある。
本心から優勝したいのは、ほかならぬ幸多なのだ。
ほかの誰一人として優勝できなくても問題はなかったし、そのことで多少悔しく想うことはあっても、一生涯引き摺るようなことはあるまい。
幸多とは、違う。
幸多は、この大会に全てを懸けている。
自分の、人生の、命の。
ならば、やるしかない。
もっとも、前衛に配置されたからといって、攻勢に出る必要はないということは改めていわれるまでもなかった。
圭悟は、護りを固めるための陣形を取った。
引き分けに持ち込めないのであれば、この一点差のまま、試合を終えることを考えるべきだ、と、圭悟はいうのだ。
「負けて、勝つ」
圭悟は、声を励まして、いった。
その言葉の意味するところを部員全員が理解している。
閃球の結果が、すべてを決めるわけではない。
むしろ、閃球は、三種競技の一つでしかないのだ。
勝敗を決めるのは、最終戦だ。
その最終戦に勝利するためには、力を温存することであり、そのための戦いをするべきだった。
そして、休憩時間が終わった。
戦場の天燎高校陣地に変化が起きたことが伝わると、競技場内にどよめきが生じた。
陣地に表示される六つの光の円が、天燎が陣形を変えたことを明確に伝える。
元より守備的陣形だったが、後衛に四人を配置したことで、さらに守備的となった。
それは叢雲高校とまったく同じ配置であり、陣形だった。
結界陣同士。
そのたった一人の前衛を務めるのは、叢雲は変わらず草薙真であり、彼のやる気は殺気の如く燃え盛っている。
一方の天燎はといえば、ここまで後衛を務めてきた皆代幸多だった。
これには、観客席も貴賓席もネットテレビやラジオを聞いている人達も大いに驚いた。
特に実況と解説は、魔法不能者に前衛を任せた天燎の采配には、度肝を抜かれたものだったし、疑問を呈した。
幸多は、競技場にいるほとんど全ての人が、自分に様々な意図の視線を向けていることを想像した。それは想像であって、実感ではない。視線など、本来感じるものではないのだから。
全身から汗が噴き出している。緊張と昂奮がない交ぜになった複雑な感情が、幸多の脳裏を巡り、体中を駆け巡っていた。
前方、絶対境界線の向こう側には、草薙真が立っている。彼は、不快感を隠さなかった。
「ふざけているのか?」
「まさか。本気だよ」
「それをふざけているというんだ」
草薙真は、天燎の布陣の意図を理解し、納得しながらも、しかし、だからといって到底許せるものではないと思った。
天燎が護りを固めるというのであれば、こうする以外方法がない。控え選手がいないのだから、魔法不能者を前衛に立たせることでしか、最硬の守備力を発揮する方法などはなかった。
それが最善、最良、最硬の布陣だ。
「潰す」
「それしかいうことないの」
「徹底的に、ぶっ潰す」
「語彙がないね」
草薙真に睨み据えられながらも、幸多は、肩を竦めた。そのような狂暴なまなざしには、ある意味で慣れていた。人間の目だ。余程優しく、柔らかい。
幻魔の赤黒い目に比べれば、彼の狂暴な面構えも、なんのことはなかった。
だから、というわけではないが、幸多は、彼の前で涼しい顔で立っていた。
星球が降ってくる。
絶対境界線、その中心円に。
そして、後半戦開始の合図が鳴り響いた。
幸多は、地を蹴るようにして飛び、草薙真より早く、星球を奪取した。




